キラリと光る会社

60

多摩冶金

家族経営の理想形?
三代目の兄弟が共に目指すのは、
価値ある「100年企業」

多摩冶金株式会社

“冶金(やきん)”は、鉱物から金属を採取し、それを精製、加工するための一連の技術のことで、多摩冶金の社名もそれに由来しています。1951年創業の多摩冶金は現在、冶金の中で、金属加工の過程に欠かせない熱処理に特化した事業を行っています。専門の認証を受けて航空分野にも進出。多種の金属を扱い、特に高い精度を求められる特殊な加工も手掛けます。約70名を率いるのは、3代目として共に代表を務める社長と副社長のご兄弟。中小企業の家族経営は珍しくないものの、それによるむずかしさも多く聞かれる中、社員の方々が「仲良し」と口をそろえる経営一家です。
キラリと光る会社第60回は、 多摩冶金 代表取締役副社⻑の山田真輔さんと、総務グループ長の平岡恵美子さんにお話をお聞きしました。

多摩冶金公式サイト

自転車から自動車、そして航空機へ

—御社の事業である熱処理は、金属加工には欠かせない技術ということで。加熱で柔らかく冷却で硬くなる金属の性質を利用する、刀鍛冶の古くからの技を高度に工業的に応用したものとの理解で合っていますか。

山田さん:はい、おっしゃるように、真っ赤に加熱して、たたいて、水で冷やすといったような刀鍛冶の技術を、弊社では工業的に応用しています。もっとも、我々の熱処理には、たたくという作業は含まれませんので、金属の熱を管理する技術ですね。

—金属の熱処理。

山田さん:はい、冷やすところまでを含めて、熱処理です。それも金属の性質や用途によってさまざまなやり方があるんです。金属は急速に冷やすとより硬くなり、ゆっくり冷やすと柔らかくなるので、機械的な力が思い切りかかることが想定される用途であれば急冷します。それによってより強くなります。熱処理後に削ったり曲げたりという作業が待っている場合には、扱いやすくなるよう比較的ゆっくり冷やします。それぞれの目的に適うように行うものなんです。

—そういうプロセスが必要だということも知りませんでした。創業者であるお祖父さまは、どうしてこの道に?

山田さん:理工学部を出ていて、化学に強い人だったみたいですね。戦中は化学工場に勤めていましたが、戦後、物資のない中で窯を手づくりして、自転車の部品の熱処理を行っていたそうです。

—戦後の復興期から。

山田さん:そうなんです。そこから高度経済成長期にかけて、扱う部品も、自転車から次第に自動車になっていきました。

—現在は航空機中心ですもんね。

山田さん:それはまぁ、時代の波に乗ったというよりも、背水の陣のような感じでの挑戦が、結果的に実ってのことですね。

—背水の陣?

山田さん:それまでは地場の町工場として地道にやってきた多摩冶金も、リーマンショックのあおりで仕事が減り、先行きが非常に不安になりました。防衛部品を扱った経験もあって、航空関連に参入したいとは思っていたんです。ただ、航空の場合は、Nadcapという国際認証がありその中でも熱処理工程について取得する必要がありましたし、組織を大きく改編する必要もあって、それらは非常に高いハードルでした。

—Nadcapという認証を受けている企業は、多くはないのですか。

山田さん:熱処理専業でやっている企業は国内6社のみで、うちはそのうちの1社です。

—それは貴重ですね!取得も維持も大変なのですか?

山田さん:確かに取るのも大変で、持っていると一目置かれるものではあります。取得しないとそもそも航空業界の仕事はできませんが、この航空業界の仕事というのは、受けるとなると社内での管理プロセスがかなり多くて複雑になるんですね。

—あぁ、ペーパーワークが。

山田さん:そうなんです。言ったようにうちはいわゆる町工場でしたので、そんな体制ではなかったんです。人員も現場が8割で、航空機事業を下支えできるほどの技術や、品質保証、さらにはバックオフィスの機能を担うには全然足りませんでした。

山田さんと平岡さん

組織を変え、女性の存在感が急上昇!

—それは大変。新規参入方針には、社内での反発というか、抵抗感もあったのでは。

山田さん:本当にそうで、いいか悪いかは別にして、とにかく身も心も町工場でしたから。組織を文化レベルから変えないと航空への参入は無理だと思いました。

—身も心も(笑)。でも、背水の陣だったんですもんね。

山田さん:はい。

—それから、ずいぶん変わりましたか。

山田さん:現在は管理部門が6割、現場が4割です。女性の割合も一気に上がりましたからね。ものづくり関連の工場の中でもとりわけ熱処理業界は、おじさんとおじいさんで構成されるところが多くて、うちもその一途をたどっていました。それがいま、女性が、数としては半分に満たないくらいですけど、存在感としては完全に超えていますね。

—その代表格でありそうな、総務のグループ長である平岡さんは、いつのご入社ですか。

平岡さん:2017年です。私はまさにその、町工場を脱却しようというタイミングで入社しました。長年都心で働いてきて、都会はもういいかなという思いとキャリアの区切りの時期が一致して、住まいと同じ多摩地区で転職先を探してました。ネットでいろいろ観ていたところ、ここがたまたま目に留まって。

—たまたま。

平岡さん:私は人事畑を経て、キャリアコンサルタントとして某大手人材系企業と契約で仕事をしていました。多摩冶金の採用サイトを見たときに、“困ってる感”が汲み取れたんですね。役に立てるんじゃないかと思いました。広島出身なので、この会社に広島事業所があることにも縁を感じて。私は夜型でして、そのとき夜中の3時だったんですが、エントリーフォームを送信したんです。そしたら……。

山田さん:僕も夜型なんですよ。平岡の応募を、リアルタイムで見てました(笑)。

—なんと。

山田さん:募集職種の中でも総務は人気だったんですよ。結構たくさん応募がありました。でも平岡には、会おうと決めました。

平岡さん:その日私は、少し早くここに到着して、周辺をぐるぐる見て回ったんですね。そして、「この会社、ボロいしヤバい」と思って、そのまま帰ろうとしたんですよ(笑)。会社の看板もボロくて、「(文字通りカンバンである)看板も直せない会社なんて絶対ダメだ!」と、引き返す寸前でした。

—ははは!それまで都心の大きなビルで働いていらしたら、ギャップがあったかもしれませんね。

平岡さん:そうですよ。こういう製造業も知らなかったですし、「これは違う」と思いました。

山田さん:看板は、その後あたらしくしました。

—あははは。

平岡さんの入社後に新調した看板。

個性の異なる兄弟二人が代表取締役として

平岡さん:本当に帰ろうと思ったんですけどね、応対に出てきてくれた副社長が予想に反してソフトイメージで、「おや?」と。

—少し気持ちが落ち着いたんですね(笑)。

平岡さん:そうなんです。そこから話してみて意気投合。社長も通りがかりに話しかけてくれて、どこに住んでるか聞かれて国立市と答えると、「国立なら同じだから送っていこうか!」とまで言ってくださって(笑)。

山田さん:兄は一本気な性格で、一度知り合うと親身に相手のためになろうとするところがあるんですよね(笑)。

平岡さん:遠慮しましたけど(笑)、そうなんです、社長には、そういうかわいらしいところがあるんです。

—かわいらしい…。その言葉は記事に採用しますね(笑)。でも結果的に、お互いに好感を持たれて。

平岡さん:次の面談は、では国立で、と言ってくださって、国立のコメダ珈琲でお会いすることになりました。社長と副社長に、会長も交えて。

—おもしろい(笑)。

平岡さん:ですよね。

山田さん:2017年は、兄が社長に、僕が副社長に就任して、人事に強い平岡も入って、多摩冶金を、名実ともに会社組織にしようとスタートさせた年でした。前年から新卒採用も始めて、いよいよアクセル踏むぞと。

—山田さんも、お兄さまも、かねて会社を継ぐおつもりだったんですか。

山田さん:兄と私はタイプも違う上に5歳離れていまして、入社の経緯も異なります。まず兄は、大学卒業後に大手企業に入社して、組織の歯車的な存在でいることがしっくりこないと感じていたようです。中国に赴任したときに小規模な事業所だったのが性に合って、それが家業を顧みるきっかけになったそうです。一方私は、小学校2年生のときにすでに「焼き入れ屋さんになりたい」と言っていました。

—焼き入れ屋さんというのは、家業のことですか。

山田さん:そうです。父は2代目としてこの会社を継ぐまでは自衛隊のパイロットだったんです。兄と5歳違うと言いましたが、兄は自衛官の父の、私は多摩冶金の経営者の父の背中を見ながら育ったんでしょうね。私は早くから、会社の経営という形で社会に関わり貢献したい、と考えていました。

—なるほど、見ていた背中が違ったんですね。

山田さん:そう感じています。私はその後の海外経験の中から起業家思考も芽生えて、実際に起業もしました。多摩冶金には兄より9年遅れて、2014年に入ります。33歳のときでした。

—入社されてみてどうでしたか。

山田さん:私には入社以前の経歴から人事とITに多少の知見あって、この会社に一番足りていない部分は人事まわりだと思いました。採用の仕方にはかなり言いたいことがありましたね(笑)。

—どんなふうだったのですか。

山田さん:ほとんど、履歴書上にある条件だけで決めていました。いや、人を見ないでどうするんだ?と。

—あぁ…。そういうことでぶつかりませんでしたか。

山田さん:小競り合いはいまでもありますよ(笑)。でも私は、ゼロからの起業などいくつかの修羅場を経て入社していましたから、限界点を経験したというのでしょうかね、踏み込んではならない境界線を、当時から感覚で理解していた気がします。うちは家族同士の距離が近い家庭ではありましたが、引くところは引いて、バランスを取りながら。うちは、兄と二人だと小競り合いがあるのに、そこに父が入るとなくなるんですね。でも父と兄も二人だと小競り合いがある(笑)。兄はなにかと直球なんですよねぇ。

平岡さん:おもしろいのは、それまで白熱の言い合いをしていても、切り替えがすごいんですよ。お昼のチャイムが鳴った途端、「お昼行く?」って、一緒に行っちゃう。びっくりしますよ。現在月一ペースで会社に来る会長がいる日なんか、必ず3人で仲良くランチですよ。本当に仲のいい家族だと思います。

—家族経営でいがみ合って深刻な事態に…というのも聞きますから、何よりですよね。

山田さん:いや、これは真剣にそう思います。そういう、親族の内輪揉めから会社が破綻するケースすらありますからね。長く続いてきた会社が身内のケンカでダメになるなんて、あってはならないことです。従業員はもとより地域への悪影響も大きいので、絶対に避けなくてはなりません。経験の中で培ってきたものを、いつかほかの会社でも役立ててもらえるといいなと思っています。

—すごくいいと思います! 家族経営のケーススタディって、きっと求められていますよね。

山田さん:それもまた、自分が経営という形で社会に貢献できることのひとつではないかと思っていて。人生理念というのでしょうかね、私にとってはそれは、経営という職業を通して人を助けることなんです。

事務所での仕事の多くは女性が担っている。

価値ある「100年企業」になるために

—それにしても、いまのお話を含めて山田さんもですが、御社は、いわゆるミッションですとか理念をしっかり持つだけではなく、言葉にしていますよね。代々、そういう志向があったということですかね。

山田さん:それはそうかもしれませんね。Webサイトなどに整理してまとめたのは私ですが、言葉は残っていましたから。

—『我等の目標』というのがありますよね。それ自体もですが、「創立二十五周年に際し社員全員により決議す」とあるのが印象的です。時代が時代だけに、社員の方々に諮(はか)っていたのだとしたらすごいことではないですか。

山田さん:そうなんですよね。祖父にしても父にしても、兄や自分もそうなんですが、内向きではなくて社会の方を向いているところは一貫していると思います。社員に対しても、そうした意識で物事を考えていたことと関係しているかもしれません。

—まだまだ伸びる多摩冶金ですかね。

山田さん:航空業界に未来を感じているからというのもありますが、そう思っています。課題はたくさんありますよ。いまは目標に対し、五合目くらいでしょうかね。時間もお金も投資している段階です。新工場がうまく回り切らずに赤字だったり、設備にしても、人材にしても、一層のレベルアップが必要だったり。女性社員が増えて助かっているので、彼女たちのライフステージに合わせた働きやすさへの対応も、これからもっと考える必要があります。社員のみんなにはこの会社に携わってよかったと思えるように、充実した生活を送ってもらいたいですから、会社としてできるだけの環境を整えたいんです。取り組むべきことは多いですね。

—人材については、まず採用に悩む企業が多いですが、御社は新卒採用も順調なようですよね。

山田さん:そうですね。そこは平岡の力が大きいですね。

平岡さん:応募の段階から、いい人に恵まれてるんですよね。おかげで適材適所が成功してきています。

—適材適所は、どのようにして?

平岡さん:私自身がキャリアコンサルタントでもあるので、一人ひとりの適性を見極めるのがまず得意ですね。事務の募集できてくれたけど、デザインの心得があるとわかったのでそういう仕事を振るだとか、軽作業で入ってくれたけど細かいところまでよく気づくから検査に回ってもらったり。誰と組み合わせたらシナジーを生み出せるかまで、よく話せば見えてくるんですよ。

—そうかぁ。そうやって、一人ひとりを丁寧に見て、理解してくれていると思えば、働く側もやる気が出るし、何かあっても相談しやすいですよね。

平岡さん:そうなんです。あとは一人ひとりの能力がしっかり発揮できるよう、上司にあたる人材の意識を引き上げるのが課題ですね。こういう工場だと、持ち場での能力は高いけど、マネジメントはわからないという人も多いんですよ。まずはとにかく、ちゃんと部下の話を聞くよう促しています。最初は失敗しても、失敗しているうちにわかってくるはず。いきなり私が介入するのではなく現場に任せ、必要なら私や総務のチームメンバーが交通整理します。総務グループはチーム力が高いですよ!

—本当に頼もしいですね。

山田さん:なので、女性の存在感は人数以上なんです。

—課題も多いとのことではありましたが、「100年企業」を目指す多摩冶金さんの、前途は明るそうですね。

山田さん:100年の数字だけを追って、ギリギリ滑り込むのではなく、そのときがきても確信を持って続けられる、価値のある会社にしたいです。そして多摩冶金に関わるすべての人に対して、価値をGiveできるような会社でありたいです。

穏やかな口調からも情熱がうかがえる山田さんと、強いエネルギーで引き込むようにお話しされる平岡さん!

多摩冶金のじまんの人

本間さん

&

関根さん

&

須藤さん

(右から順に)設備Gの本間さんは埼玉、加工Gの関根さんは神奈川、技術Gの須藤さんは千葉出身で、みなさん同じ社宅にお住まい。近郊出身ということもあり都会への憧れはなく、多摩冶金の地元、武蔵村山市について、本間さんは「埼玉っぽいところがよかった」、関根さんは「田舎がいいけど田舎すぎるのは困るのでちょうどいい」と。本間さんと関根さんは2020年入社の同期、2022年入社の須藤さんは本間さんと同じ大学ご出身。本間さんはバイクに車、釣りにスキーと多趣味で、ヒップホップ好きの関根さんは収入の多くを自分を磨く美容に注ぎ込み、撮り鉄の須藤さんは、晴れた休日は撮影をしにドライブ、雨が降ると鉄道模型をいじるという三者三様です。

本間さん:大学で学んだのは電子系だったので分野は違いますが、ものづくりに興味があって入社を決めました。多摩冶金は、自由な発想を活かせるところ、任せてもらえるところが、自分に合っていると感じています。上司がなんでもできる人で、特に独創的な発想力には感心させられます。僕の強みは、技術への関心が高くてどんなことにも意欲的に取り組めるところですかね。ただ、モチベーションを保ったままひとつのことを長く続けるのが苦手で。これは仕事以外でもそうで、着想はいいのですが、形になるまでやり通せないところがあって、その点は課題だと思っています。

関根さん:一人暮らしのために条件に合うところを探していてたどり着いた職場です。社宅での一人暮らしが実現して、楽しく満足しています。仕事は、夏は暑く冬は寒い環境で大変ですが、この会社ならではの、機械のことを学べるのがいいです。個性としては「甘え上手」です。ベテランに囲まれながら、かわいさで取り入ることでポジションを確保しています。多摩冶金は、個人の裁量に任せてくれる社風です。せっかくそうなのに、教えてもらったり許してもらったりが得意すぎて、ちょっと頼りすぎかなと。もっと自力で解決しないとダメだなと、近ごろ思い始めています。

須藤さん:大学で金属材料の研究をしていたので、活かしたくて入社しました。真面目でなんでもやりすぎるきらいがあり、面談のたびに「そこまでやらなくていい」と言われています。全部やろうとして一番やるべきことを絞りきれなかったり、仕事が好きで働きすぎたりと、真面目さが裏目に出ている自覚があります。多摩冶金はコミュニケーションがきちんとなされる会社なので、僕も入社後コミュニケーション力が向上したと思います。本間さんとは逆で、0から1を生み出すことはできないのですが、1から10にするために取り組んでやり遂げることはできるタイプです。

編集後記

佐藤製作所 » の佐藤さんからのご紹介です。山田さんと佐藤さんは、ずいぶんお親しいそうです。『キラリ』の佐藤製作所編はもちろん、みつばち社についてもWebサイトでご覧になっていた平岡さんは、インタビュー前に私たちをとても褒めてくださいました。肝心の多摩冶金編(本記事)、ご期待に応えられたなら良いのですが。面接に来社した平岡さんが引き返そうとした矢先に山田さんとお会いしてお気持ちを変えたエピソードには、深く納得。きっと誰しもそうなるでしょう。そして、山田さんと平岡さんとお話しして抱いた印象を、僭越ながら率直に言わせていただくと、「この会社は大丈夫だな」です。山田さんにはぜひぜひ、経営者ファミリーがもめることなく円滑に会社運営に取り組める秘訣を、幾多の悩める会社に伝授してもらいたいです。(2024年12月取材)

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