佐藤製作所は、1958(昭和33)年創業の、銀ロウ付け、ハンダ付けを主力とする、従業員20名弱の金属加工の会社です。東京都目黒区、東横線の学芸大学駅から徒歩5分という、およそ製造業のイメージのない場所にあります。若い職人が多く、女性の割合も高いのが自慢。2022年には「東京都女性活躍推進大賞」で大賞に輝きました。「他社が断る仕事を積極的に受ける」を身上とし、都度あらたな技術の取得のための試行錯誤を厭わない佐藤製作所は、かつて茨の道を歩いた会社でもあります。
キラリと光る会社第43回は、佐藤製作所 常務取締役の佐藤修哉さんにお話をお聞きしました。
—学芸大駅から、カフェなど飲食店の多い通りを歩いてほどなく。すごい場所と言われませんか。
佐藤さん:そうですね。祖父が創業した会社ですが、最初の場所取りが良かったと、運に恵まれたと思っています。
—特に若い人には魅力ですよね。採用活動においては有利ではないですか。
佐藤さん:はい、そう思っています。昔はこの辺りにも製造業を営む会社がもっとあったのですが、いまは珍しいですよね。
—ただ、若い人が多くなったのは、佐藤さんが家業に入った2014年以降、ここ10年ほどのことなんですよね。
佐藤さん:はい。僕が入ったときは、若手ゼロでした。おじいちゃんの年齢の男性だけでしたね。祖父から会社を継いだ父親には、じきにたたむと聞かされた会社でしたしね。
—佐藤さんは大学院を出て、IT系の企業に勤務していたんですよね?それが、じきにたたむ家業に?
佐藤さん:僕は祖父に継ぐように言われてこの会社に入ったのですけど、それまでは継ごうと思ってませんでしたし、業績どころか事業内容すらよく知りませんでした。他にやりたいことがなかったのが、正直言って一番の理由でしたね。
—入ってからはご苦労されたのでは。
佐藤さん:めちゃくちゃしんどかったです。当時、いまの5分の1とか6分の1しか仕事がなかったんですよ。なので、日々、仕事をつくるために営業に駆けずり回りました。僕がやらなければ100%潰れるとわかっていたので、自信がある、ないに関わらず、とにかくやるしかありませんでした。あんなに必死になったのは受験以来ですかね。
—二代目であるお父さまは、そのときは?
佐藤さん:そもそもたたむ予定で、僕に入社して立て直してくれとも思ってなかったんですよね。続けるにしても、家族でぼちぼちやる感じで考えていたようです。
—一方で佐藤さんは、立て直すのに必死になられた。動いてみて、光は見えたのでしょうか。
佐藤さん:希望といえば、「よくなるかもしれない」の思いだけです。仕事量は頑張って営業して増やせたとしても、会社を変えないことにはその先どうにもならないと思いました。会社が変わるには人が変わらないといけない。だから、営業と同じくらい、採用に力を入れました。
—中小の製造業はどこも採用に苦労されている印象です。
佐藤さん:その通りで、これも運が良かったんです。以前はハローワーク一本だったのを、工業系、芸術系の高校や専門学校を中心に足でまわり、学校との関係づくりに励みました。いまのように若手も女性もいない、無名の会社で、PRしようにも材料がないような状況でしたけど、少しでも目立つよう求人票を手書きにしたり、できる工夫はなんでもしました。
—2015年以降、新卒採用にしぼったんですね。
佐藤さん:最近になって中途採用も再開しましたが、はい。新卒採用を言い出したときは、「務まらない」と、それも社内で反対されました。とにかくあたらしいことはすべて否定されてしまう状況で。でも、第一に雰囲気、これを絶対に変えないといけないと思っていたんです。若い人に入ってもらって、空気を入れ替えたかった。あのままなら、僕も辞めてましたから。
—数年後には「東京都女性活躍推進大賞」で大賞を受賞する企業とは思えませんね。
佐藤さん:昔からの職人の、無骨な世界とはいえ、社内での会話は皆無でした。あってもほとんどが、「ダメだ」「無理だ」みたいなネガティブワード。一番嫌だったのは、萎縮を招く空気です。不機嫌な振る舞いをしたり、声を荒げたり。これは精神的に、本当に辛かったです。なんとしても、逆を目指そうと思いました。いくら仕事ができようが、業績が良かろうが、以前のような空気の会社にだけはしたくないと、いまも痛切に思っています。
—若い人もですが、女性が働く職場にしようとされたのは、その、「雰囲気」を変える一環ですか。
佐藤さん:それまで、お客さん対応や、品質、納期管理も杜撰で、クレームが生じていたんです。そんな会社の体質を変える助けになるだろうと思いました。それに、僕がいたIT業界でも、たとえば飲食業界でも、女性が活躍してましたからね。一般的には当たり前のことを製造業がやっていないなら、一層やる価値があると考えたんです。
—結果、正解だった。
佐藤さん:窓口対応も、品質や納期管理も、高齢男性が担うには確かに厳しかったのでしょう。女性社員に任せるようになってはるかに質が向上しました。不良が多いとか納期が遅れるとか、製造業として致命的なことを度々やっていた会社です、あの時点で変えなければ、まず潰れていたと思います。
—加えて、現場の、職人としての仕事にも女性を。
佐藤さん:僕は入社以来、現場で雑用係をしながら見ていたのですが、うちが主力にしている、ロウ付けやハンダ付けは、どちらかというと繊細な作業です。筋肉より美的センスがものをいうところがあって、女性だから不利ということはないのではないかと思いました。実際にそうでしたね。
—それにしても、10年でここまで変えることができたのは、本当にご立派です。
佐藤さん:いやいや、まだまだ課題はありますよ。でもやってきてよかったです。
—特にどんなとき、やってきてよかったと実感されますか。
佐藤さん:社歴の浅い人たちが雑談していたり、昔は無表情だったベテランが笑顔を見せたり、あと、自分の家族が喜んでいる様子には、うれしくなりますね。そういうのがやってきたことの成果かなと。
—社風を変えるというのは、実際には大仕事ですよね。業績も向上させたのですからすごいですよ。
佐藤さん:会社ですから、数字をあげる必要はあります。働く人に分配するためにも、業績という結果が必要。だからといって、それだけを求める人生は豊かではないですよね。常にそこを考えながら、働く人が安心して安定した生活を築けるようにしたい。いくら業績が上がったとしても、残業ばかりではダメだと思うんです。うちが他社でやらないことをするのは、苛烈な価格競争をせずに数字をあげるためでもあります。
—「何件も断られた」といった特殊な仕事は積極的に受けるそうですね。
佐藤さん:その時点では技術的なノウハウを持たない、つまりうちではできない仕事でも受けます。
—できないことでも?
佐藤さん:他社でできないむずかしいことを、いまのうちに学んでおけば、どこもできない仕事がうちでは受けられるようになります。試行錯誤しながらになるので、短期的に見ればひどく効率が悪いですが、投資だと考えています。あちこちで職人の高齢化が進んでいる中で、うちの職人の若さは長期的には強みですよね。現時点での技術力ではベテランに敵いませんが、先が長いからこそ取り組めることがあります。
—まったくその通りですね。
佐藤さん:女性の割合が高いこともそうですが、他がやらない、正解のないことを積み重ねながら結果を求めていくのは、経営としてもやりがいがあります。
—まだまだ課題があるとおっしゃいましたが、どのような点でしょう。
佐藤さん:人間関係は、セオリーがない分むずかしいですよね。うちのような中小企業において経営者は、全社員とコミュニケーションを取って、いろんな個性と向き合う必要があります。個性はあってしかるべきですが、組織としてバラバラにならないよう、そこをまとめる役割を担わなくてはいけません。これには常にむずかしさが伴います。現場で、経験の浅い若手の技術や知識を向上させることももちろん重要です。いまはまだ、失敗してもいいから経験値を上げてほしいという考えのもと、とにかく多くを経験してもらうことに力を入れています。レベルを上げて各々に稼ぐ力をつけてもらい、この先も技術を継承していきたいです。
—大変なご苦労があったと思いますが、家業に入ったことに後悔はないですか。
佐藤さん:ヘヴィーな経験を重ねて免疫がついたのか、大概のことでは動じなくなりました(笑)。後悔はなくて、いまは好きでやっています。どんな仕事にも良さはあると思いますけど、自分たちのつくったものを、その場で成果物として見ることができるのは製造業ならではですよね。小さい会社で、お客さんとの距離が近いのもいいところです。
—個人のお客さんからの依頼もお受けになっているんですね。外の窓に、台所用品などを「修理します」という張り紙を見ました。
佐藤さん:いまも、近所のおばあちゃんの、年季の入ったやかんを預かっているのですが、こういうのは全国から問い合わせが絶えません。唯一の愛用品なので失敗はできないし、それなりに手間もかかるので、ちょっとしたもののようでも1万円を超える見積もりになっちゃって、買った方が安いケースもあると思うんですよね。それでもいいから直してほしいと言われることが少なくなくて。
—それは素敵なお話だと思います。その人にとっては特別なものなのでしょうし、直して、長く使い続ける人も、それを助けてくれる人も、どちらも素敵です。
佐藤さん:そうですね。きっと、思い入れのあるものなんだろうと思います。
—最後に、佐藤さんには、思い描く夢のようなものはありますか。
佐藤さん:現段階で現実的なものでなくてもいいなら…ですが、都会ではない所に支社をつくってみたいですね。沖縄とか、自然いっぱいの場所にして、社員も東京とどちらか選べるようにして、ここで疲れたらそっちで働くとか。でも僕自身、まだ小さい子どもが二人いまして、家族が大事なんです。仕事のみに邁進すれば、支社をつくるのも夢ではないかもしれませんが、体は一つしかありません。父親として、子育てをしない選択肢はありませんから、いまは欲張れませんね。
お二人とも営業、広報、製造管理、そして製造を兼ねています。同じ高専のデザイン科を卒業した先輩・後輩で、佐々木さん(左)は2020年、森下さんは2023年に入社。職人というものに憧れがあったという佐々木さんは、まずはインターンシップ制度で佐藤製作所に。学校では木工をやっていたそうで、金属は初めてだけど「かっこいいと思った」。森下さんも、趣味でアクセサリーを作ったり、陶芸をしたりとものづくりが好き。在学中に直接の接点はなかったものの、佐々木さんの存在をきっかけにして佐藤製作所に入りました。
佐々木さん:学校の掲示板で募集を見て、会社説明会に参加。「銀ロウ付け」に興味を引かれました。いまでも、学校でやっていた木工とは違うおもしろさを感じています。仕事ですから、責任を持って精巧に仕上げなくてはいけない点も違います。一人前の職人を名乗れるようやり続けたいのですが、業務の割り振り上、圧倒的に事務所での仕事が多いのが現状です。最初は電話応対にすごく苦手意識があって憂鬱だったのですが、克服しました。でも、事務所と現場の仕事とが半々くらいになるとうれしいです。現場仕事に必要な体力を維持するために、ジムにも通っています。
森下さん:佐々木さんと同じく、私も電話が得意ではありませんでした。お客さんにやさしい方が多くて助かりました。仕上がった製品の検査も、間違いがあってはならないと、プレッシャーを感じながら緊張してやっています。まだ未熟ですが、少しずつ慣れてきたところです。佐々木さんという同じ学校の、同じ女性の先輩がいてくれて、本当に心強く思っています。佐藤製作所にはものづくりが好きな人が集まっていて、よそでは断られるような仕事もみんなで知恵を出し合ってチャレンジしています。私も力になれるようがんばっていきたいと思います。
佐藤製作所は、「え、ここ?」という場所にありました。平均年齢30代、16名の約半数が女性の同社、若手人材の不足と採用に頭を悩ませる中小企業が多い中で、「じまんの人」のような方に選ばれるのは、しかしロケーションだけが理由ではないはずです。三代目となる佐藤さんは改革を成し遂げたわけですが、特段誇る様子もありません。賞を取ったり、メディアに出たり、活発に動画で発信したりの情報から抱いていたイメージよりも、目の前の実直なお話しぶりのほうが印象に残りました。頑張って頑張ってこられたのだとお察ししますが、誤解を恐れずに言うと、それも一昔前のど根性とは一味違っていて、とりわけ、何に価値を置いてこられたかの中身を知れば、いまの時代の経営者だなぁと。会社の雰囲気や、個々の人生の豊かさを大事に思う、そういう経営者のほうが、いいですよね。(2024年2月取材)