キラリと光る会社
「社会のため」の“社会”は、自分たちも含む。働く人のしあわせを目指し、逆境の中、できることを

株式会社城南村田

城南村田は、ものづくりが盛んで知られる東京都大田区の蒲田地域で、主にプラスチックトレイを、金型から一貫製造しています。1949年に品川区にて紙の卸売事業を行う会社として創業。2002年に現社長が就任して以降、二つの会社の買収を経て現在に至ります。全国的にも数えるほどになった、手彫りで原型をつくる木型職人を有し、デジタル技術と併せたものづくりを実践。プラスチックトレイのほか、ソフビ人形の原型も手がけます。従業員約20名。新型コロナウイルスによる混乱で医療用資材が不足した2020年の春、急遽フェイスシールドを製造し、関係機関に寄贈して注目されました。
キラリと光る会社第25回は、城南村田代表の青沼隆宏さんにお話をお聞きしました。

城南村田公式サイト

“木型師”の職人技と、デジタル技術を併せ持つ

—「箱入りのクッキーやチョコレートなどがこわれないよう保護する、あのプラスチックの容器」と言えば、誰でもわかると思うのですが、あれをつくっていらっしゃるんですよね?

青沼さん:そうです、あれです。あのトレイの、金型を開発、製作することと、小ロットに対応したトレイそのものの製造がうちの主力事業で、二本柱です。ほかに、持てる設備と、職人の技術で、必要とされるものをなんでもつくる、という三本目の柱もあります。

—気にしたことがなくてすみません!つくるのに職人さんの技術が必要だというのも、ちょっとイメージがつかないのが正直なところなのですが。

青沼さん:普通はそうですよね。トレイの製造には企画ごとに金型が必要です。その金型を製造する工程で、一般的にはCADで設計しますが、うちの特色として、まずは木型をつくるんですよ。正確には、ケミカルウッドと呼ばれる樹脂を使うんですけどね、これを「木型師(きがたし)」が、手で削り出すなどしてつくるんです

—金型をつくるために。手で?木工みたいな感じですか?

青沼さん:そうです。お寺の鐘を例にとるとわかりやすいと思うんですが、あの鐘はずっと昔からありますよね、金属の塊を直にくりぬいたり削り出したりして成型するのは無理じゃないですか。まずは鋳型(いがた)をつくって、そこに銅や錫(すず)を流し込んでつくるわけです。その鋳型をつくるには、つくりたい鐘のサンプルが必要ですよね。それを木型と呼びます。鐘の場合だと粘土などで成形されますね。

—なるほど。

青沼さん:我々が手がけるトレイは、小さくて繊細なお菓子が入るものなので、製品のサイズや形状、見栄えを考えた角度に合わせて、かなり精緻につくる必要があるんですね。ここ20〜30年で、CADを使っていきなり金型を削り出すこと自体はできるようになりました。プラスチック製ですし、データを揃えれば、すぐに機械で正確に出来上がりそうなものですが、製品化するプロセスでは、いまも木型師の手による木型に優位性があるんです。現物に合わせて微調整を繰り返すほうが、逆に早くて効率的なんですね。

—かなり、びっくりしています。全然知りませんでした。「木型師」という職業も知りませんでしたが、その木型を専門につくる方がいるということですよね?

青沼さん:専門の、職人ですね。いまでは全国にも数えるほどになりましたが、うちには二人、その木型師がいます。前身の会社の社長も木型師でした。

—そんな貴重な…。この先なり手がいないと消滅してしまう仕事じゃないですか。

青沼さん:まさにそうですね。ただうちの、二人のうち一人はまだ40代なんです。女性の木型師で、先ほど話した三本目の柱の中に入る、ソフビ人形の原型づくりなどは彼女がやってくれていますね。

—人形ですか。

青沼さん:人形とか、フィギュアみたいなものって、人が手彫りした型を元に製造したほうが、いいものができると思います。すべてをコンピュータと機械でやると、無機質すぎる出来になってしまうというので。例えば、人や動物のような生き物には、完全な左右対称ってないじゃないですか。人が手でつくるほうがいいのは、限りなく左右対称につくり込んだとしてもなお、わずかなブレがあって、それがかえって生き物らしさを再現させるんでしょうね。

—あぁ、それはなんとなくわかる気がしますね。そして、なんだかいいですね。

青沼さん:3Dプリンターも普及しましたし、コストがこなれてくれば製造の方法も変わるかもしれませんが、いまはまだ、いまうちがやっているやり方が最先端だと思います。木型師がつくった試作型をデジタルデータ化して、金型の製造につなげられる会社がうちくらいしかないんですよ。かろうじて木型師が残る事業所は家内制のような小さなところで、高齢化もあってデジタル化を進めるのはむずかしいんです。

青沼さん

アメリカから帰国して、経営危機の家業を継いだ

—御社の沿革を拝見すると、創業はもう70年くらい前ですね。元々扱っていた紙関連の事業を手放していまのような会社にされたのは青沼さんですもんね?青沼さん自身は、日本と、それからアメリカで会計事務所に勤務していらしたとか。

青沼さん:いわゆる町工場の経営者としては、ちょっと変わった経歴だと思います。

—どのような経緯で?

青沼さん:親族にサラリーマンがいない家系で、僕自身、サラリーマン人生というのをイメージできなかったんですよね。大学は文学部だったのですが、いったん就職したとしてもいずれ独立する前提で、なにを身につけるべきか父に相談したとき、なににしろ「数字に強くなったほうがいい」と言われたんです。単に親父は数字が苦手だったというのが大きかったみたいですけど(笑)、数字に強い方がいいのはもっともだと思ったので、ダブルスクールで専門学校に通わせてもらって、簿記とかを学んだんです。親父と違って元々数学が好きだったし、やってみたらなかなかおもしろくて、就職先に会計事務所を選んだのはその流れからです。加えて、そのころは、ビジネスならアメリカかイギリスだと思い込んでたんですよね。どちらかの国に転勤できる会社に入りたくて、外資系の大手を志望しました。希望通りに入社できたものの、いつまで経っても転勤できそうにもないので辞めて渡米したんです。27歳のときでした。結局、辞めたのと同じ会社に現地採用で入社して、3年ほど勤務しました。

—そうでしたか。かなり異業種ですが、お父様の会社を継ぐつもりで帰国されたのですか。

青沼さん:母親から、戻って来てほしいと言われました。会社が大変だって。いずれは継ぐんだろうとは思ってましたけど、倒産しそうな会社だったとは。一番大口の取引先が不渡りを出すし、つき合いのあった金融機関は引き上げる気満々(笑)。対応に奔走しました。僕が中心となってつくった再建計画を仕入先や銀行にサポートしてもらう条件が、社長に就任することでした。

成形されたプラスチックトレイ。「真空成形」という、プラスチックのシートに熱を加えて金型を当て、真空吸引して成形する製造方法を用いている。

使い込まれた機械。青沼さんは「モスラ」と呼んでいるそう。そういえば確かに顔っぽい(笑)。

コロナ禍。これまででいまが一番厳しいけれど

—それはずい分大変でしたね…。そのあと、東日本大震災やリーマンショック、そしていまのコロナと。

青沼さん:いやぁ、いまが一番大変かもしれません。いろんな経営リスクが予測されますし、経験もしてきましたけど、ここまで人々のライフスタイルが一気に変わる事象はさすがに想定できませんでした。うちの製品は、大型テーマパークの商品にもかなり使われていたので、そういったところがコロナで全面休業になったのは痛かった。会社全体の売り上げは一時期3分の1くらいに落ち込んで、助成金がなければ本当に厳しかったです。環境はいくらか改善したものの、元に戻ることを期待して待ち続けるだけではダメですよね。

—そんな中で生まれたのがフェイスシールドだったのでしょうか。

青沼さん:春に、コロナで人との接触を8割減らそうと呼びかけられましたよね。うちみたいな製造業は、どうやっても8割は現実的じゃないんです。だからといって、できない理由を並べて「無理です」というのも、どうしても嫌だったんですよ。言い訳みたいなのが嫌いな性分で…。接触を8割減らす協力ができない分、別の形で貢献できないかと考えるうち、連日報じられていた医療用資材の不足に応えて、フェイスシールドならうちでもつくれるんじゃないかと。2週間くらいで完成させて、2万個を医療機関や介護施設、手話通訳関係者に寄贈しました。

—ご自分たちも非常に苦しい時期だったと思うのですが。

青沼さん:そうなんですけど、黙ってたら社内も暗くなる材料しかない状況の中で、連日、お礼の連絡が届くんですね。それにはみんな、非常に励まされました。

—BtoBのものづくりの現場だと、普段はなかなか、そうした声も届きづらいですしね。

青沼さん:そうなんですよ。だから余計に、うれしかったんですよね。

—コロナ禍に見い出した明るい材料は、ほかにありますか。

青沼さん:働き方は変わりましたね。通常なら繁忙期だった時期の仕事が激減して、それまでの週5日、1日8時間勤務を変えざるをえなくなりました。助成金でやりくりしながら、工場は週4日か3日、営業は在宅勤務にシフトして、出社日を大きく減らしました。実はコロナのずっと以前から、週休三日制にしてはどうだろうと提案していたのですが、社員が難色を示しまして(笑)頓挫してたんですよね。自分なら、同じ給与で1日8時間勤務の週休二日より、1日10時間の週休三日のほうが、人生を豊かにできると思ったんですけど。

—それが、望んだ形ではなく実現した…。

青沼さん:そうなんですよね。こんな形でやむなく、ではありましたけど、やってみたらできるんだという感覚は、みんなつかんだみたいです。簡単には戻れないんじゃないですかね。いずれにせよ、それが働く人にとってしあわせな働き方であるのがいいと思います。働いてくれる人がしあわせになれる会社にするのが、経営者として大きな目標ですからね。時間と場所から自由になれる方向に、個々の能力や技術を活かせるのが一番だというのが僕の考え。そのために会社を使ってもらいたい。

フェイスシールドは、いまも介護などの現場から注文が入るそう。

事業のあり方も、働き方も、「ゼロベースで」考え直す機会に

—経営者にそういう意識があるとないとでは、大きな違いがありますよね。

青沼さん:いつの時代も、社会のため、社会に役立つ組織でありたいですが、その“社会”には、自分たちも含まれなくてはならないはずなんです。自分たちもしあわせでなくてはならない。ただ、僕の考えるしあわせが、みんなと同じかはわからないですから。かけ離れていたなら、ここにはいないほうがいいということになるのでしょうね。

—かけ離れているケースってあるんですかね。

青沼さん:世代によっては、あるんじゃないですかね。話しても理解されないことはあります。会社の繁栄と個々の自己実現が両立しないことには、と僕は考えますし、いまの若い人は、仕事に意味を求めるのが普通になってますよね。でも上の世代の多くは、そうした理屈ではなくやってきたんだと思います。

—確かに。その感覚の溝は、“感覚”だけに、話すことで容易に埋められるものではなさそうです。

青沼さん:時代というのは確かにあって、仕事に関する価値観や働き方、もちろん、デジタル化もそうですね。僕らの扱っているプラスチックトレイは、ヨーロッパでは近年中に、代替素材に見直される方向です。プラスチック素材を減らす世界的な動きが止まることはないので、日本も後追いするでしょう。こうした、環境視点での変革も時代の要請です。我々もシフトしていかなくてはいけませんよね。僕はいま、自分の、会社への関わり方を含め、組織の建てつけも仕事の組み立てもゼロベースで考え直す必要性について考えています。

—コロナを機に、加速することもあるでしょうね。

青沼さん:そうでしょうね。どんなきっかけでも、より良いものを見い出したいですね。でないと、ただ「大変だった。売上げ下がって最悪だった」で終わってしまいますもんね。それじゃあどうにもならない。

—本当ですよね。「ゼロベースで考え直す」とおっしゃいましたが、はからずもそれには、いいきっかけとも言えるのかもしれませんね。というか、なんとかそうしていかないとと、私たちも自分に言い聞かせています。

青沼さん:まったくその通りです。

—具体的に考えていらっしゃることはありますか。

青沼さん:うちの会社は、2度の合併でいまにいたるので、3つの会社の流れを汲んでいます。後継者問題に悩む経営者が多い中、困っているところを、これまでと同じくM&Aすることで、あらたな可能性を手にするのもひとつだと思うんですよね。選択肢として地方の会社にも目を向けてみる。いまこれだけリモートが増えて、それで成り立つことも実証されてきているのを見ていると、逆に、「この場所である理由」を考えさせられます。東京でのものづくりは高くつくという以上に、世の中にひとつしかないこの土地をこのように使うのでいいのかという問いが、常に胸にあります。

—世の中にひとつしかない。その通りですけど、そんなふうに考えたことはなかったなぁ。あたらしい視点です。

青沼さん:長年ここでやっていますが、うちの土地だからうちが好きにしていいというのは、うちの社員だからといって好きに使っていいわけがないように、違うと思うんです。この住所の土地は唯一のものなので、明らかにもっとポテンシャルを発揮できる使われ方があるなら、そちらを選ぶべきなんだと思うんですよね。もしも明らかなものが見えてきたら、そのときは。

夕暮れ時の蒲田は、どことなく風情があった。

イチオシ 城南村田のじまんの人 榎並彩子さん

入社して10年、所属は「製造部 造形」の木型師。仕事は入社後に覚えた。美大出身で、趣味はビーズのアクセサリーづくり。絵画や陶芸もやっていたそうで、根っからものづくりが好きだと語ってくれました。

キャラクターの人形の、原型をつくるのが私の主な仕事です。角材状のケミカルウッドを、削ったり、足りないところはパテで盛ったりしながら慎重に仕上げていきます。技術が必要で、かつ毎回考えながらの仕事です。なかなか思うようにはいきませんけど、そんな、キリのないところが楽しくもあります。キャラクターものは、製作過程を公開することがむずかしく、中にはうちでつくっているということも言えないものもあるのですけど、自分が関わった製品が世に出ると、やっぱりうれしいですね。大変なことはいろいろあっても、「木型師」って、貴重で特別感があって、自分がその職業を名乗れるのが誇らしいです。職人ってかっこいいと思っているので。

編集後記

大田区の町工場が、不足しているフェイスシールドを製造、提供したという記事を目にして気になっていました。コロナに翻弄される2020年、久しぶりの取材です。「木型師」も「ケミカルウッド」も「真空成形」も、初めて知りました。昨今、過剰包装とみなされる向きもある、あのプラスチックトレイですが、繊細なお菓子をいかにきれいに見せるか、日本人らしい追求の仕方ですよね。青沼さんによると、実際、これほど精緻に作り上げるのは日本だけ。プラスチックの削減には大いに賛成しますが、脇役のトレイにも存在理由があり、いろんな人の丹念な工夫があったのだと知ったいま、「あんな無駄なもの」とは決して言うまいと思いました。お役御免となった日には、「お疲れ様でした」と言いたいです。(2020年11月取材)

ページトップへ