キラリと光る会社

58

大東

「女はダメ」と言われた三代目。
変化に抗う会社から、人が育つ会社に

株式会社大東

一般に目を向けられることは少ないけれど、一定以上の規模の施設には不可欠な配電盤。北九州市にある大東は、高い耐久性や精度を求められる、製鉄所向けの受配電盤、制御盤の設計と製作を行う会社です。提供先のニーズに合わせてのカスタムメイドで、それら特殊な製品を提供し、特殊であるため手がける会社は少ないものの、その中での競争は激しいといいます。九州という保守的傾向が残るといわれる土地柄、女性として後を継ぐにあたり前経営陣とぶつかった経験もある三代目の現社長が、果敢に舵を取ります。
キラリと光る会社第58回は、大東 代表の能美由希子さんにお話をお聞きしました。

大東公式サイト

向き不向きのある、完全なる理系の仕事

—1963年ですから60年くらい前に、能美さんのお祖父さまが創業されたのですね。

能美さん:北九州に本社のある大手の電気機器関連企業でエンジニアをしていた祖父が、独立して始めました。最初は裏庭にプレハブ建ててやっていたのですが、当時は景気が良くて、八幡製鐵所の仕事がいっぱいあったそうです。造船関係の会社に勤務していた父も、実家に戻って祖父に設計を教わるなどして、一緒にやるようになりました。

—そういう成り立ちだったのですね。かなり専門的な、特殊な世界ですよね。

能美さん:特殊ですね。それに、電気機器として基本的な部分は同じでも、業界や企業ごとに配電盤にも特徴があります。うちは製鉄所の仕事が9割を占めていまして、大規模になるとその中でもさらに技術による住み分けがあるもので、付帯設備の方をやっています。

—それだけ特殊だと、ニッチといいますか、あまり競争のない世界ですか。

能美さん:新規参入は、そうそうないし、できないですね。製鉄所は新規の取引を滅多に始めないところでもあります。なので、他の業界に比べると競合が多いわけではないのですが、少ない中での競争が激しいというのでしょうか。

—そうなんですね。社員の方は、技術系が多いですか。

能美さん:そうですね。現在は、設計10名、工場と営業が6名ずつという構成です。

—どのようなバックグラウンドの方が多いのでしょう。

能美さん:営業は別として、電機系の大学などで学んだ人、あと、最近だと情報系からもきますね。プログラミングができる人。

—やはり理系ということですね。

能美さん:はい、完全に。いずれにせよ、入社後、ゼロから覚えてもらうことにはなります。

—向き不向きははっきりしていますか。

能美さん:そう思います。訓練でできるようになるところはもちろんありますけど、そうじゃないところも歴然と存在していて、これはもう、持って生まれたものでしょうね。新人のときから違うんですよ。それに、ベテランになってからも、違いはあり続けます。

能美さん

「女は3ランク下」と言われたことも。継ぐ前も後も波乱

—能美さんも、継がれるおつもりで学んだんですか?

能美さん:全然!私は大学も法学部で、法曹界に進みたかったんです。3回目の司法試験に挑戦するか否かで親ともめた末に、父に言われて最初はイヤイヤ入った会社でした。でも設計をやってみたらおもしろくなったんですね。ハマって、頑張ったんですけど、総務に異動させられることになりまた父とケンカです。

—継がせるために、いろいろ経験させようと。

能美さん:いえいえ、父にもそんな気なかったんですよ。設計でやっと信頼を得てきたころに総務。営業も希望したんですけどね、女はダメだと言われるし、甚だ不本意でしたよ。でも総務もやったことで、全体が見えてきたのは確かです。

—見えてきたのはどんなことだったのでしょう。

能美さん:一言で言うと、会社の体質がダメでした。硬直化した組織にありがちな課題がどんどん見えてきて、父の経営にも口を出しまくるようになっていきました。でも父はというと、祖父と一緒にゼロから始めて、「いまが集大成」みたいな気持ちだったようです。自分の代で終わってもいいと思っていたっぽいんですよね。人も育ってないし、この先どうするのかと聞けば、「好きにすればいい」と言われました。

—最終的には「任せたぞ」とか、ありましたか。

能美さん:私はそのころ、元はM&Aのような形で取得した会社を関連事業の子会社として立ち上げて、共同代表を務めていましたし、最後の10年くらいはずっと、実質的には経営に参画してました。それでも最後まで、ちゃんと認めてくれはしませんでしたね。「それなら好きにしろ」「では、好きにさせていただきます」という感じで終わって、認めてくれないまま、亡くなってしまいました。

—そうでしたか…。社長になられて、すぐに改革に着手された。

能美さん:私は第二創業がしたかったんですね。問題意識が大きかったので。でも、変わることを良しとしない人もいますよね。古参の幹部で、ナンバーツーだった人は辞めていきました。「女とは仕事の話はしない」「女は3ランク下だ」などと散々言われた末に。

—ええええっ…ものすごい破壊力のセリフですね。何時代からいらしたのかと思っちゃいました。能美さんも、それはかなりのストレスであったかと。

能美さん:ストレスはありましたけど、自分が間違っているとは思わなかったので。3ランク下だと言うのなら、債券よろしく、上げていけばいいんだと受け止めました。その人も最後は「時代は変わったんだな」と言って辞めて行きましたね。

—能美さん、強い。

能美さん:そんなこんなで継ぐには継いで、社長に就任した直後、コロナで発注がピタッと止んで。もう気が狂いそうなくらい忙しくなったんです。

—発注が止んで、お忙しく?

能美さん:営業に自ら回ってルート作りをしたのと、その後は社内にいるようにして内部の改革です。コロナが収まったら収まったで、鉄の値段が倍近くに高騰して、電材の値上げがまったく回収できない事態に陥りました。仕事を取るほどに赤字になる状態が続いたんです。うちも狭い世界で長くやってきましたから、調達先など長年の業者さんとのなぁなぁがありました。それもシビアに変えなくてはならないし、将来を見据えて事業もいくつか増やす決断をしました。

—いきなりの大ピンチだったのですね。

能美さん:こちらはすごい危機感の中でやっているのですが、それでもやっぱり、人は変化を好まないものなんですよね。社内でも、長年のつきあいも意識も変えたくないからでしょう、反発が起こりました。でも変わらないとどうしようもない。「私がサンドバックになればいい」と腹を括りました。

盤組み(配線の作業)だけは、先を行くというドイツを含め現在世界中どこであれ機械化されておらず、人の手でしかできないのだそう。盤組み後のチェックもまた、人間が一つずつ。とにかく根気のいる作業だが、やはり、「向いている人はいる」のだそう。

入社すれば絶対に育つと、自信をもって言える

—すごいご経験をされましたね。本当にお強い。

能美さん:自分の判断で動かしていけるポジションですからね、文句を言われるのも当然だと思ってます。当然、受け止めないといけないポジションでもあります。自分の中では、グダグダ悩むところもあるんですよ。でもそれを表に出したら余計に不安にさせるだろうと。いずれにせよ結果は、もっと先にならないと出ないですしね。

—いまは少し、落ち着きましたか。

能美さん:もちろんまだまだ、取り組まなくてはいけないことはありますよ。でもそうですね、幾分かは。

—これまでのお話の中で「人が育っていない」と口にされていましたが、そこについては現在どのように?

能美さん:設計職がね、やはりかなり特殊で、貴重なんですね。だから同業者も、みんな欲しがる人材なんです。採用も競争のような状態ですが、うちに来れば絶対に育つと、自信をもって言えますね。

—おお。

能美さん:設計は本来、確実に“積み上げ”ができる職種なんですよ。だから、うちに入社すれば、「文字通りの転職はない」といつも言っています。他社に移って職場を変えることはあるかもしれないけど、職を変える必要はないって。

—大東なら、と言えるのはどのような点からなのですか。

能美さん:うちでは、分業せずに上流から下流まで一通り担当してもらうんです。それによってある程度の生産効率を捨てざるを得なくても、個々の担当者に着実に成長してもらう方を会社として選んでいるんですよ。一通りというのは、やる方も大変ですよ。でもその積み重ねで身についたことは、必ず自分の財産になります。

—そうですね。

能美さん:先ほど言った、変化についても同じで、正しい方向だとわかっていても、変わることって大変じゃないですか。でも、変わることができれば自信になりますよね。自分でやってきたことを通して、自信をつけてもらいたいんです。

—育成の、核心みたいな部分ですね。

すべてが個別に異なるカスタムメイド。規模によって数十台が1セットとして納入される。外側の金属の筐体(きょうたい:収める箱)も、現在は子会社で製作。近い将来、塗装も含め一貫生産にしたいそうだ。

「わざわざ取材しに来るまでの材料はありませんよ!」と事前におっしゃっていた能美さん。いやいやどうして…!

これからは、大事にする“人”の範囲を広げたい

能美さん:私自身、最近になって、「人を大事にする」ということを一層意識するようになったんですね。

—人を大事にする。

能美さん:ここでいう“人”は、家族でもありますし、社員でもありますし、いままでは、自分や家族のため、会社や社員のためにやってきました。でも今後は、もう少し広い視点で“人”を捉えて、できればそこに社員も巻き込みたいと思っています。

—どのような形で?

能美さん:大事にする、“人”の対象を、もう少し社会の方に開いて、関わっていくんです。私はこのエリアのライオンズクラブの会長をしてるんですけどね、活動を通して、障がいをお持ちの方と接するなどして、自分の知らないこと、理解が足りてないことがたくさんあると気づくことができました。そうした体験を、社員のみんなにもしてもらいたいなと。

—あぁ、なるほど。

能美さん:4人の子どもたちが独立し始めたので、みんな巣立ったら犬でも飼おうかと思っていたんですけどね、年齢的なものでしょうか、自分の手元よりもっと、外に目を向けたいと考えるようになりました。社員を巻き込みたいというのは、そういう経験を含めて、最後に「この会社にいて悪くなかった」と思ってもらえたらいいなという気持ちからです。

—最後に、ですか。

能美さん:はい。夫婦と同じですよね。無理して一緒にいない方がいいと思うんですよ。でも最後の最後に、「一緒になって良かった」と思えたら、思われたら、それだけでもういいじゃないですか。

大東のじまんの人
(じゃなくて機械)

事業再構築くん

2023年4月入社(導入)のアーム式ロボット。電線を作るための高額な機械だそうですが、「かわいいやつ」と能美さん。大東には諸事情により(いわゆる訳ありの、ネガティブな事情ではありません。念のため)社員のみなさんのお名前やお顔を決して外に明かさない方針があるそうで、ここはその例外枠にいる社長直属の部下、事業再構築くんの出番だそうです。

複雑な仕事を、人間では不可能なレベルの速度と正確さでこなしながら24時間働く「事業再構築くん」。補助金を使い、かなり思い切って入社してもらったそう。「事業再構築くん」の名も、利用した補助金の都合上、このようになったとのことです(笑)。大東の製作プロセスには、決して自動化できないところがあり、そこが価値でもあるため、社内では新参者として警戒された面もあったようです。入社直後に初期不良を疑われる事案も発生して、警戒が深まりかけたものの無事に解決。だんだんと認められて馴染みつつあります。社長からの評価は上々で、「そのうちきっと、うちのスタンダードに」と胸を張ります。

編集後記

必死でやっていらしたんだと思います。それにしても終盤、能美さんの口から、「4人の子どもが」の言葉が何気に出てきたときは、さすがに驚きました。一悶着以上あった会社の舵取り、4人のお子さんの子育て、そのどちらかだけでも、また、知力だけでも、体力だけでも、いえ、その両方揃っていてもなお、大変なことをやってのけられました。冗談混じりに、アップテンポで気さくにお話しになる小柄な能美さん、いやはや恐れ入りました。業界ではご自分たちのことを「盤屋(ばんや)」と呼ぶそうです。見聞きしたことのない世界でした。冒頭名前の出た北九州の八幡製鐵(現在は日本製鉄に統合)は、かつての官営八幡製鐵所。福沢諭吉は「鉄は文明開化の塊なり」という言葉を残したそうですが、現在も、こんな形で、陰で支える人たちがいるんですね。(2024年11月取材)

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