57
長崎天幕
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長崎天幕
「天幕」という聞き慣れない名称は「テント」のことで、しかしこの業界でいうテントは、キャンプのときのあのテントだけを指すのではまるでありません。船舶に使われる文字通りの帆布や、トラックの幌、店舗の庇(ひさし)、そればかりか、大きなものでは東京ドームをはじめとするスタジアムの屋根部分の素材をも指しています。長崎天幕は1942年創業、当時は船の帆やカバーを扱いました。現在はその縫製成型技術を活かし、化学繊維のメッシュから成る産業用のフィルターや水産の現場および研究機関で使用されるネットなど、より繊細な素材も扱い、ほぼすべてが特注品。三代目は海外でも経験を積んだ建築士という異色のご経歴です。
キラリと光る会社第57回は、長崎天幕 代表の小吉泰彦さんにお話をお聞きしました。
—長崎という場所柄、船舶の帆からいまにいたるご商売なのかなというのは想像できるのですが、創業の経緯はどのようなものだったのですか。
小吉さん:創業したのは祖父でして、長崎ではなく鹿児島の人間で、温泉で知られる指宿出身です。地元にいても仕事がなかったのでしょうね、小学校を出てすぐに大阪に丁稚に出たそうです。その後20歳前後で九州に戻り、長崎で働いてしばらくしてから独立しました。船の帆やカバーを扱う、船具店から始めたようです。
—鹿児島出身の方でしたか。
小吉さん:そうなんです。いまも使っている会社のロゴマークの中心には、薩摩藩の、島津家の家紋が入っています。
—おお、この十文字は、それだったのですね。
小吉さん:はい。どなたによるデザインかはもうわからないのですけど、その家紋を、カタカナの「テンマク」の一文字一文字をデザイン化したもので囲んだマークなんです。
—ほんとだ、よーく見るとカタカナ!長崎だし帆布ということで、てっきりマリン系といいますか、船の舵かなにかだと思ってました。社名の「天幕」という単語は字面も新鮮ですし、相まって素敵ですね。
小吉さん:あらためてそんなふうに見たことがありませんでした。
—マークは鹿児島由来ですけど(笑)、長崎の情緒というか、どこか神秘的なイメージと合っていてどちらも素敵です。
小吉さん:言われないと気づけないものですね。でも、そう思っていただけて嬉しいです。この業界で「天幕」がテントを示すことは知られていますが、社名としているところは全国的にも少ないと思います。
—一般的には「テント」で想起されるのも、アウトドアキャンプのものですから、長崎天幕さんの事業を理解するために、まずは小吉さんたちがおっしゃるところのテントをご説明いただいたほうがいいですね。
小吉さん:そうですね。素材としては、帆布バッグなんかでもお馴染みになった、あれがまずそうですね。帆船の帆に由来する素材です。使われ方はかなり多様でして、船舶以外でも、もちろんキャンプのテントもそうですし、あと、運動会などのイベント時に設営されるテント、トラックの幌とか荷台のシート部分もですし、軒先テントというのですが、日差しや雨よけ、装飾を目的に店舗などの庇(ひさし)になっているテントもあります。最近では、テラスのある飲食店や商業施設に、オーニングと呼ばれる可動式のシェードがよく設置されるようになりました。あれもテントです。
—たくさん使われていますね。
小吉さん:最も大型のものでは、東京ドームの屋根部分、あれも特殊なテントです。
—えぇっ、それは思いもよりませんでした。あの白い、ちょっと柔らかそうに膨らんだような屋根、テントなんですね。
小吉さん:フッ素樹脂加工がしてありまして、耐久性が非常に高い特殊素材のテントです。スタジアムと呼ばれるところにはかなりの割合で使われています。東京ドームのテントも、最初に建設されて以来、張り替えていないはずですよ。それくらい強靭なんです。
—他の建材より優位性があるから使われるのですもんね。
小吉さん:おっしゃる通りですね。人力で運べるレベルではないにせよ、他の建材に比べるとはるかに軽量ですし、自然光を通して空間にやさしい明るさをもたらす特長も評価されて、採用されることが増えてきました。震災で、避難所ともなる体育館の屋根が落下する危険性が問題になったことがありますね。そうした状況下での安全性がより高いということでも見直されています。
—なるほど、そうか。
小吉さん:ただ、スタジアムのような大型物件は、施工にも設備を含めて相当に高度な技術を要しますから、やれるのは、ほんの一握りの大企業ですね。
—業界には小さな会社が多いのですか。
小吉さん:うちは現在32人ですが、長崎では一応一番大きいんです。10人もいない会社が多くて、昔からの、いわゆる三ちゃん経営も珍しくない業界です。
—御社が手がけた代表的なお仕事を挙げるとすると。
小吉さん:最大のものは、桜島フェリーのデッキの屋根でしょうか。定員600名に乗用車が60台ほど乗る船です。
—おお、すごい。そうした船もそうでしょうし、お店などもでしょうが、基本、受注生産の特注品なのですよね。
小吉さん:そうです。量産品はありません。トラックのテントなんかは、規格があって一律に感じられるかもしれませんが、あれも運送会社さんごとにこだわりがあったりして、やっぱり特注なんです。
—御社の取引先には諏訪神社もありますね。鎮西大社、ですか。長崎を代表する神社ですよね。
小吉さん:そうなんです。おかげさまで、お正月や長崎くんち(秋季大祭)用にテントを。
—長崎天幕さんの場合、テントのほかにも、粉体、液体を濾過したりする産業用のフィルターだとか、水産の分野で使われる各種のネットだとかもたくさん扱っていらっしゃる。かなり幅広くやっていらっしゃる印象ですけど、いわゆる営業はどのように?
小吉さん:営業というのはほとんどやっていないんです。ずっと長く、継続的にお取引きいただいている顧客が多いです。
—それは素晴らしいですね。お話は変わりますが、小吉さんは三代目でいらっしゃいますけど、掛け持ち社長さんなのだそうですね。
小吉さん:はい、実は、建築設計の仕事と。いまはこちらのウエイトが高いですが、2001年に社長になったころは、完全にあちらが本業でした。
—本業はあちら!
小吉さん:元々継ぐつもりもなかったんです。東京の設計事務所に10年いた後に、当時心酔していた世界的な建築家の下で学びたくてスイスに渡って2年。それを経て、1993年に福岡に自分の事務所を開きました。この建物も自分で。
—それは完全に、継ぐおつもりはないキャリアですね。
小吉さん:はい。父に、「週一でいいから」と言われて、正直、会社の中身も詳しく知らずに社長になりました。45歳のときでした。会社の実質的な運営は、社内に信頼できる人がいたので任せていたんですね。2017年にその人が急逝されるまで、会社のことを把握しきれないままの週一社長をしていました。
—それはそれは。ご苦労されましたか。
小吉さん:ありがたいことに長年の顧客がついてくれている会社だったので、安定的といえる部分もあります。いまはやはり、世代交代のところが一番大変でしょうか。技術継承には苦労しています。
—技術継承。
小吉さん:特注品ばかりですから、ただ機械的に繰り返す仕事ではありませんし、極めて高い精度を求められることも少なくありません。仕様が決まるまでも、決まってからも、常に考えながらの作業が必要です。特に産業用のフィルターの製造におけるメッシュ生地の加工では、非常に繊細な編み地の素材を扱いますから神経を使います。芸術的なものと違って、選ばれた人しかできないような仕事ではないのですが、長崎は人口流出率が全国的にもトップレベルで、福岡や関西に出てしまう人が多いこともありまして、求める人材と、なかなか出会えないというのが正直なところです。
—求める人材というのは?
小吉さん:個々の技能という面では、「縫製経験者だとより助かる」くらいの感じでして、やる気があれば、家庭のミシンでお裁縫するという趣味レベルの技術でも、入社にはまったく問題ないんです。それよりも、自分で問題点を見つけて、解決に向けて実行に移すことのできるマインドが重要だと思っています。経験上、「こういう人」とか「こういう能力」との条件で採用してもあまり意味がないように考えていまして、採用試験では、論述のほうを重視しています。
—スキルより考え方、ですか。
小吉さん:まさにそうです。考え方がしっかりしていて、自分を持っている人。例えば社会問題に対して自分なりの考えがあるだとか、そういう人のほうが伸び代があって、実際に伸びているんですね。
—そうした小吉さんのお考えから浮かんでくる、長崎天幕という会社像もありますね。そういう方に働いてもらって、どんな会社でありたいですか。
小吉さん:顧客には、「期待以上」と言われ続ける会社ですね。製品の価値を感じて、一層長くおつきあいしていただけたら。社員には、各々の人生において、「この会社で働いてよかった」と思ってもらえる会社でしょうか。師事したくて飛び込んだスイスの建築家の下では、下働きみたいなことがほとんどで、直に伝授してもらう機会はありませんでした。ですが、あの2年で目を開かされたこともあったんです。それは、ヨーロッパの人々の、生活への価値観です。日本はバブル経済で、とにかく働き詰めで、100%仕事という状態でした。生活の豊かさや幸せな人生について、味わうことはもとより、考える余裕もありませんでした。うちの社員には、私があのときヨーロッパで感じたような、人間らしい人生を楽しんでほしいと思っています。そうした人生を歩む上で、この仕事に関わることが、何がしかの豊かさにつながればいいなと思っています。
—素敵な社長さんではないですか。社員の方々は幸運だと思います。そんな小吉さんから見た、長崎天幕の社風は?
小吉さん:幸運だと思ってくれているかはわかりませんが、おだやかな社風だと思います。いろんな人がいますけど、全員が長崎出身で。長崎の人は概して自己主張が控えめと言われているんです。うちの会社もそうではないでしょうか。
—小吉さんご自身は、地元長崎への愛着が強いですか。
小吉さん:はい。長崎を愛する気持ちは強いですね。成り立ちや、歴史、文化、それから地形に鑑みても、特別な場所という意識があります。あと、長崎は終着駅なんですよ。ヨーロッパの都市のようなターミナル駅が日本にはほとんど存在しない中、ここより先のない、終着駅。そこにもなんとなく、特別感がありませんか。
山本帆月さん
&
本田遥香さん
山本さん(右)は2017年の入社。営業・事務部門で、顧客対応や事務、製品検査を担っています。本田さんは2019年の入社。3次元CADを使った縫製品の製作を担当。入社のきっかけをつくったのはそれぞれのお母さまだそうで、山本さんは高3の三者面談のときに求人票を見たお母さまがピンと来たらしく、受けた会社はここだけ。なんとお祖父さまが長崎天幕で働いていた(けど知らなかった)という本田さんは、新聞の求人広告に社名を見つけたお母さまが教えてくれたそう。成長著しく、小吉社長曰く「まさに求める人材の代表」のお二人は、仲良しさんでもあります。山本さんは長崎県民にしてチキン南蛮が、本田さんはハンバーグが好物♡
山本さん:子どものころから、順応性が高くて物おじしない性格でした。その分調子に乗りやすくもあったのですが、大人になりました(笑)。業界ならではの専門的なことを、コツコツ勉強しながら覚えてきました。自分には外に出て人と話したりするのが合ってると思ってましたが、事務の仕事にもおもしろさを発見できました。長崎天幕は、あたたかい職場です。なにかと、「やってみな」と任せてくれるところも嬉しいです。漠然と辞めたいと思ったときも、「みんなやさしいし、こんなに居心地のいい会社はない」と、すぐに思い直しました。入社してから幻滅を感じたことはありません。休みの日は、家で犬とたわむれるか、母や本田さんと出かけたりしています。
本田さん:山本さんと逆で、小さいころから人見知りでした。未経験で戸惑ったミシンは、身につくと楽しくなりました。高校で習ったCADも、苦手だったのに活かせる仕事に就けて、形になるまで自分でやり通せて嬉しいです。あたらしくできることが増えていくのが喜びになります。わからないところは放置しないで、まずは自分で考えてから、必要なら教えてもらいます。頭は良くないけど、真面目なんです。前の職場は残業が多くてみんなピリピリしてました。会社ってそういうものかと思いかけていたところ、ここはいつも定時で帰れるし、みんなやさしいし、ぜんぜん違いました。休みの日は、家でマンガを読んだり、母や山本さんと出かけたりしています。
安定的な仕事があり、社員に豊かな人生を望むという社長さん。そのあとに、若い女性の社員さんから、こんなお話をお聞きすれば、「長崎天幕はいい会社」と断ずるしかないですよね。じまんの人に、「小吉社長は『おだやかな社風』とおっしゃってましたが」と、冒頭ぶつけてみたところ、「はい、そうです」との即答が笑顔で。社内のカフェテリアのような場所での「じまんの人」の取材、お話し中よく笑ってくださるお二人で、個人的にあまり進んで使わない表現なのですが、癒されました。長崎天幕は、神ノ島町という、長崎らしい場所に位置しています。会社を後にしてから、ほど近くの「岬のマリア像」に立ち寄り、そこから夕刻の海の景色を臨めばまた神々しく、いつもとは一味違う心持ちになった長崎での取材でした。(2024年11月取材)