キラリと光る会社
創業者の哲学を軸に、奥出雲から、牛乳で築いた基盤を生かして

木次乳業有限会社

地元では学校給食でもお馴染みという牛乳は、都内でも知る人ぞ知るブランド。島根県雲南市の「奥出雲」と呼ばれる地域で、赤と黄色のパッケージの牛乳をはじめ高品質な乳製品を製造、販売しているのが、木次(きすき)乳業です。1953年に仲間と共に酪農を始めた創業者の佐藤忠吉氏は、高度経済成長期に工業化、効率化が進む中、地産地消や、人や地域、環境にとって健康な食のあり方を提唱し、やがて伝説の人となっていきました。現在は、その孫の毅史氏を三代目経営者として、従業員は78名。守るものは守りながら、あらたな挑戦を始めています。
キラリと光る会社第54回は、木次乳業代表の佐藤毅史さんにお話をお聞きしました。

木次乳業公式サイト

すこやかであるために、“乳業”にとらわれすぎない

—創業者で、佐藤さんのお祖父さんにあたる佐藤忠吉氏は、パスチャライズ牛乳を日本で初めて世に出したことで、また、語録集が残るほど、農業や経営に関する哲学をお持ちだったことで知られていますね。

佐藤さん:そうですね。僕にとっては、“普通”というにはこだわりの強い祖父さんではあるものの、あがめるような存在ではなく、一緒に暮らす家族だったわけですけど、名物経営者として知られていました。

—雲南市の名誉市民でもあった忠吉さんがつくった会社を、3代目として継ぐのはプレッシャーでしたか。

佐藤さん:「忠吉さんのお孫さん」と呼ばれるプレッシャーも、劣等感もありましたね。僕は佐藤家の11代目で、会社を継ぐことは既定路線であり目標でした。2021年に社長になったときは、いよいよ自分でなんとかしないといけないという気持ちでしたね。

—「なんとかしないと」の中身を教えてください。

佐藤さん:創業者の考え方には、地産地消だったり、昔からの知恵や自然に学ぶ食のあり方だったり、いまにも活かせるものがたくさんあります。ずっと「百姓」を名乗っていきた人でもあったのですが、その、百姓のあり方も、時代と共に変わってきたと思うんです。

—忠吉さんは、地域を共同体とする、相互扶助的な暮らしの再生を目指して、自らもその一員としての百姓を名乗っていらしたのですよね。酪農や乳製品の生産も、地域自給の一環として着手したことだった。

佐藤さん:そうなんですよね。木次乳業は酪農をやり、製造業をやってきましたけど、どうして、なにを求めてこの会社になったのかからよく考えながらやらないとダメだと思いました。創業者は、「本物をつくるためにはつくり手が健康でなくてはならない」と言い続けたんですよね。僕も、自分たちと地域のすこやか暮らしを支えるために、牛乳で築いた基盤をいろんなことに活かさないといけないと思っています。そのためには、うちは牛乳屋ではあるんですけど、牛乳や“乳業”にとらわれすぎて視野を狭くしてはならないなと、ずっと考えています。

※本来の風味と栄養を生かす温度での殺菌法。国内で一般に出回る牛乳がその倍ほどの高温で2〜3秒間で殺菌されるのに対し、木次乳業は65℃30分間と75℃15秒間を採用している。

佐藤さん

自給率の問題は、すぐ隣に、目に見えて

—コロナ禍の休校で学校給食が止まったときは大変だったと聞きました。

佐藤さん:はい、大打撃でした。一報が入ったときの記憶が飛んでいるくらい衝撃でしたね。でも日頃から幅広くいろんな業種、業態のところとおつき合いしていたおかげで、落ち込んだ部分を補うことができて、なんとか乗り越えることができました。

—それはなによりでした。

佐藤さん:ただ、日本中で牛の餌が手に入りにくくなったんですね。コロナで船が入ってきづらくなったことに加えて、他の国に買い負けて。酪農家の間では、やっと船便で届いた餌が、これまで見たこともない名前の牧草だったという話も聞かれました。自給率が低いというのは、そういうことなんだなと突きつけられた感じです。人間はまだしも、牛は食べるものを選べません。人間のこの先を見るような思いがしました。

—あぁ。コロナをきっかけに、課題があらわになった。

佐藤さん:最近の米不足の問題もそうですよね。僕らは農村に住んでいるので、田んぼが目に見えて減っていること、すなわち生産量が減っていることを、すぐ隣で感じているんです。担い手も減ってますよね。荒廃地が今日明日では戻らないこともよくわかっています。自分たちの命をつなぐものですからね、僕らは食に関わる人間でもありますし、当然気になります。

—酪農には特に、向かい風が続いていると聞こえてきます。

佐藤さん:経営が成り立つのは、大規模化したところのみではないかと思います。この辺りだと土地の条件上、北海道や東北のように自分たちで飼料作物をつくるのはむずかしいですしね。うちも厳しいは厳しいですよ。乳業としても、生産コストが上がっていますが、なかなか価格転化できません。木次乳業の牛乳は地元消費半分、他の地域半分です。本来でしたら遠くへ運ぶより地元で消費し切るのがいいのでジレンマはありますけどね。

—東京では、自然食品を扱うお店であるとか、いわゆる高級スーパーに置いてある、プレミアム牛乳というイメージがあります。地元では一般的な牛乳なのですか?

佐藤さん:いえ、やっぱりちょっと贅沢な牛乳、ですね(笑)。 「他のより高いけど、でもやっぱりおいしいから」と言ってもらってます。

—学校給食でそれを、というのはうらやましいです。こだわって育てた牛の、こだわって加工した製品で、一般的な牛乳より時間もかかっているのですから、その分値段も高くはなりますよね。本当に、おいしいですし。

佐藤さん:うちは、背景を理解してもらわないと売れていかない商品が多いんですよね。でも県民性というか、この地域の気質ですかね、あんまり前に出て上手にPRしてこなかったんです。

木次乳業の牛乳は、牛乳嫌いな人でも飲めてしまう気がする。写真にはないが、関連商品の「ミルクコーヒー」もまた、街にあふれるカフェラテ大好き女子の袖を引いて試してもらいたいおいしさ。

ブラウンスイスの仔牛にベロベロされ、メルヘンにいざなわれた。牛ってこんなにかわいいのか。

出雲の民が形成する、農村の共同体の姿を体現

—この地域の気質?

佐藤さん:出雲地域って、歴史的に攻め続けられてきたせいか本音を言わず、加えて神様の国だから奥ゆかしいとでも言いましょうか。一番になったり脚光を浴びたりせず、隠れっぱなしで守りに甘んじるという独特な。

—以前、同じ島根の石見地方で、「石見の人と出雲の人とでは気質が違う」と聞いたとこがあります!

佐藤さん:そうそう、ぜんぜん違います。地味に見えがちな山陰の中でも、出雲地域は特に引っ込み思案と言われます。僕もそう思います。木次乳業がパスチャライズ牛乳を開発して発売した当時も、味について「薄い」という表現でPRしたんですよ。これも出雲的だと感じます。

—ええぇ、薄い?もっとこう、さらりとした中に豊かな甘みがあるとか、そういう感じでは。

佐藤さん:ね。そういうふうに表現しないのは、あるいは逆手に取ったのかもしれませんけど、僕は、出雲的な奥ゆかしさゆえだったと思ってます。

—おもしろいですね。石見では、自分たちは狩猟民族気質、出雲は農耕民族気質ではないかとも聞きました。木次乳業さんの成り立ちをお聞きすると、農村の共同体とか、なんだかそれをそのまま裏付けるようでもあります(笑)。

佐藤さん:そうですよね。

—最初のほうで、乳業にとらわれすぎないようにとのお話がありましたけど、産直市を運営されていたり、関連会社にはワイナリーがあったり、どちらかというと“乳”より“農”を中心にされているのかなと。

佐藤さん:はい。お餅の工場を共同でつくって製造したりもしていまして、実際に、乳業の枠外の取り組みも多いんです。ちゃんとした対価を得て、地域の農家さんの手取りを確保するために、売る場所や機会づくり、システムづくりをしています。

—自社にも、全社員のお昼ごはんを賄う社員食堂があるんですよね。自分たちが栽培した野菜を使っているとか。

佐藤さん:まだ従業員が10名くらいのときにつくったんです。この仕事は朝が早いから、お昼を自分で用意してくるのは大変だろう、栄養が偏りがちになるだろうと。農家って昔から、田植えのときとか助け合って、手伝ってくれる人におにぎりなんかを出す習慣がありますよね。その延長みたいな感じで、最初は持ち回りでやってたんです。自給自足の実践という意味もあるので、いまは社員研修で田植えをしたりもしています。食堂のメニューはなかなかの評判ですよ。

系列の奥出雲葡萄園のぶどう畑。ここでは「小公子」という、山ぶどうを交配させた日本オリジナルの品種も育っている。小公子を原料にしたワインは珍しく、すぐに売れてしまうそう。

奥出雲葡萄園では、自社のワインと共に木次乳業のチーズを賞味できる。食後にはブラウンスイスの牛乳のソフトクリームも! 魅力は表層的なものにとどまらないのだが、「桃源郷か」と思う場所で、必ずまた戻って来ようと誓う我々だった。

三代目らしいカラーで挑戦を続ける

—忠吉さんの思いは受け継がれているようですが、その忠吉さんにお話を戻します。ご家族、特にお孫さんだったから見ることのできた、偉大な方の普段の姿というのを少し教えてください。

佐藤さん:家族、特に母は振り回されて苦労したところも多かったんじゃないかなぁ。僕がすごく覚えているのは、祖父の掛け声によって、ある日我が家で玄米食が始まったときのことです。小学生の僕にはぜんぜんおいしくなくて、お弁当も恥ずかしくて、小学生的には事件でした(笑)。あと、祖父はいろんな動物を飼ってたんです。クジャクやガチョウ、アイヌ犬がいたこともありました。馬に乗って出勤していた時期もあって、僕も一緒に乗せてもらった思い出があります。

—馬に乗って!それは確かに、よその家のお祖父ちゃんとは違いますね。

佐藤さん:代々の農家で、昔はいわゆる篤農家と呼ばれていたようです。祖父は若いころから熱心で、あたらしい技術にも積極的だったので、当時出てきた近代的な、化学肥料とか農薬を使ってやっていたら、家族や牛の健康を害するようなことがあったそうなんです。これは祖父の一周忌のときに親戚から聞いたのですけど、どうやらそれが自責の念となって、自然の摂理に合った農業を標榜するようになるきっかけになったみたいです。そんな中であらたに出会った人たちにも気づきを与えられたりして……。自分一人で目覚めたり悟ったりしたわけではなく、たまたま忠吉がフィーチャーされたところもあったんですよね。

—そうだったんですね。でも、人間的なエピソードですね。

佐藤さん:僕は忠吉さんを超えようとは毛頭思っていなくて、祖父さんとも、後を継いだ親父とも違うカラーで、自分のできることをしようと思っています。

—新商品の開発にも取り組んでいらっしゃるのだとか。

佐藤さん:はい、外部との連携もしながら、絶賛開発中です。まだ秘密ですけど、持てる資源とブランドを活かし切れるようなものにしたいです。いずれは、衣食住全般に、何らかの形で関われるようになりたいですね。それと、いまは新商品を起案するのはほぼ僕ひとりの役割なので、社内のメンバーと一緒に考えていけるようにしたいです。

—従業員のみなさんへの思いとしては、ほかになにかありますか。

佐藤さん:遊び心といいますか、余白を持てるようにしてあげたいと思っています。薄利の業界なので高給はちょっと無理ですけど、やりがいのある仕事と、すこやかな暮らしのために、できるだけの環境は整えたいと、これもひとつの目標ですね。

飾らないお人柄の佐藤さん。木次乳業ファンとしては、「社長がこういう方でよかった」と思える方だった。

イチオシ 木次乳業のじまんの人(牛) ブラウンスイス牛

直営の日登(ひのぼり)牧場に所属する、全国的にも数が少ない種類の牛さん。1989年に入社、担当業務は山林の除草など環境整備、それにもちろん、生乳の生産です。これも日本では貴重な、放牧スタイルの山地酪農でストレスの少ない日々を送っています。

案内してくださった(&ブラウンスイスへの愛を語ってくれた)営業部の安部翔平さんによると、人懐こくやさしい性格で、「ホルスタインのほかにも、ジャージ種、ガンジー種などがありますが、一番容姿端麗なのがブラウンスイス♡」なのだそうです。全国で約2,000頭といわれるこの種がここのように100頭近くいる牧場は珍しく、木次乳業の自慢です。安部さん曰く「牛がつくり出す風景はいいです。ブラウンスイスはやさしい牛なので、見ているこちらの気持ちもやさしくなります♡」。取材の折は真夏日で、牛さんたちは暑さを避けて自ら牛舎に集合していましたが、急峻な山で「光を浴びて輝く姿はジブリの世界♡」だと。

編集後記

木次乳業の長年のファンでしたが、さらにファンになりました。佐藤さんが、終盤に言及した“余白”を持てていて、「僕よりももっと地域を楽しんで生きている」と評したのが安部翔平さん。出身は隣町、水産学部で学び築地でマグロを扱っていたという安部さんは、地元の漁業組合の一員だそう。「釣りも大好きですし、畑もやります。自家林業もやってます」と、一次産業を網羅している上、椎茸を育て、農家の脅威になるイノシシを獲り、地域伝統の神楽が趣味だとおっしゃる。加えて「東京も好きです!」というオープンマインド。特に田舎暮らしに憧れる都会人には、理想のロールモデルの代表格ではないでしょうか。忠吉さんの哲学に共感して入社し、いきいき働きいきいき生きる、もうひとり(?)の「じまんの人」でした。魅力のつまった木次乳業、続編取材もしたいです。(2024年9月取材)

ページトップへ