キラリと光る会社
日本で唯一、世界でも数社。エボナイトの素材メーカーが、生き残りに選んだ道は?

株式会社日興エボナイト製造所

「エボナイト」は、ゴムを原料とする樹脂で、200年近く前のアメリカに始まり、日本でもプラスチックに代替されるまで、絶縁体、ボウリングのボール、管楽器のマウスピース、そして万年筆の軸などに、広く用いられていました。日興エボナイト製造所は、1952年に東京都荒川区に創業された日本に現存する唯一のエボナイト素材メーカー。初めての最終製品として世に出した万年筆が話題となり、万年筆愛好家の間では知られる存在に。2019年には東京商工会議所が主催する『勇気ある経営大賞』で奨励賞を受賞しました。
キラリと光る会社第49回は、日興エボナイト製造所 代表の遠藤智久さんにお話をお聞きしました。

日興エボナイト製造所公式サイト

やめなかったのは、お祖父ちゃんが「やめない」と言ったから

—エボナイトのメーカーとして日本に唯一ということですが、まず、どうしてエボナイトだったのでしょう。

遠藤さん:ちょうど100年前、大正13年に、関東大震災の復興に際し上京して来た祖父が、最初に就職したのがエボナイトの粉末を扱う会社だったんです。当時は需要が多く、自分で会社をやるようになってからも、特に戦争中は軍の要請があって、忙しかったようです。

—主にどんなものに使われていたのですか。

遠藤さん:エボナイトは電気を通しにくい性質を持っているので、バッテリーケースの絶縁板などによく使われました。昔はボウリングの球もそうでしたし、電話機だとかラジオだとか、生活周りでもずいぶんいろんなものに使われていたんですよ。石油系プラスチックが取って代わる形で多用されるようになるに伴い、下火になったんですね。

—日本中の会社がやめてしまった中で、日興エボナイト製造所さんだけ、なぜ残ることができたのでしょう。

遠藤さん:それは、うちのお祖父ちゃんが「やめない」と言ったからですね。

—「やめない」と(笑)。

遠藤さん:そうなんです(笑)。うちはエボナイト以外の他のゴム製品も扱っていて、事業の柱がいくつかあったので、なんとか乗り越えられたというのもあります。でもそのゴム製品も需要が減ってしまって。

遠藤さん

聞いていたチャンスは、到来しなかったけど

—いまのところ、時代の逆風にさらされるようになったというお話ですが、遠藤さんが三代目として、こうして立派に続けていらっしゃる。ご自身は、大学卒業後、まずは大手企業に就職されたのですよね。

遠藤さん:高校のときも大学のときも、家族会議がありまして、はい、家族も納得済みで、ひとまずは上場企業に就職しました。4年半、営業職でした。 家業のほうで、なにやらチャンスが訪れたらしい話が持ち上がりまして、ついては仕事を手伝ってほしいと言われたんですね。それで就職先を辞めてこの会社に入りました。子どものころから、父も母も叔父も叔母もここにいて、学校から帰ってくるのもここだったんです。従業員もみんな顔見知りで、家業に愛着がありましたから。

—入ってみていかがでしたか。

遠藤さん:いざ入るころには、聞いていた、チャンスの訪れの話はなくなって、上向きの材料が見当たらない状態でした(笑)。何をやったらいいかもわからないまま現場から始めましたけど、経営のほうも考えないわけにはいきませんでした。

—そのような中で、経営面ではどんなことに着手したのでしょう。

遠藤さん:展示会や勉強会に行っては、何ができるか模索していたところ、荒川区の主催するものづくり企業を支援するプロジェクトにおいて、BtoB企業がBtoCに打って出る経営革新の取り組みに出会ったんです。2007年のことですね。僕らも、素材メーカーとしてだけでなく、自分たちでオリジナルの製品を作ることにチャレンジしようと、その流れの中で生まれたのがオリジナルの万年筆でした。

—おお。

遠藤さん:エボナイトは本来黒褐色なんですよ。それに色をつける技術の開発に、試行錯誤の末に成功したんです。活かすことのできる製品として、かつては多く存在していたエボナイト素材を軸にした万年筆をと考えたところ、素材をあの形に削る技術を持つ職人さんも、ペン先を作る職人さんも、都内に運良く見つかったんですね。それで協働して試しに作ってみたら、すぐに売れたんです。

—すぐに!

遠藤さん:そうなんです。万年筆マニアのネットワークというのがあると知りました。6万円する万年筆が作るなり5本売れたもので、ポジティブな勘違いをしまして、前のめりにWebショップを立ち上げることを決めて、プロダクトデザイナーと顧問契約を結んで。

—『笑暮屋(えぼや)』ですね。そうか、万年筆の世界には、熱心なコレクターがいそうですもんね。

遠藤さん:そうなんです。勘違いで思い切っちゃったことではあったのですが、ありがたいことにいろんな縁がつながって、ほとんどトントン拍子というか。何度か展示会に出展するなどしていたら、三越のバイヤーさんとつながることができて、日本橋本店で毎年開催されていた『世界の万年筆祭』というので紹介してもらえることになったんです。それが2011年。

—それはまさに、王道のトントン拍子!

遠藤さん:そうはいっても、利益を出せるようになったのはここ数年です。単価は高いですけど、職人が手をかけて作る品物ですからね。外部調達の部品もあって、じゃんじゃん儲かるようなものではありません。

本社に隣接する、『笑暮屋 Eboya』の実店舗。エボナイト製のオリジナル万年筆のほか、滑りにくく手に馴染む素材の特性を活かして製作した、ギターのピックも販売している。

エボナイトの主原料となる天然ゴム。

万年筆の、貴重な職人を未経験から育てる

—それはそうですよね。でも伸びてはきている。

遠藤さん:そうですね。三越さんのほか、丸善さんとか、あと海外からも引き合いがあります。いまは在庫を一部持ちながらやっていますが、ご注文いただいて半年待ちくらいの商品もあります。

—世界に広げるとなれば、欲しい人はまだまだいそうですけど、それこそ職人仕事ですもんね。数を増やそうにも作り手の育成に時間がかかりそうです。

遠藤さん:そこなんですよね。一人抜けてしまうと致命的でして。そもそも万年筆の職人が日本中にたくさんいるわけもなく、うちにきて、数年やってくれた職人がいたのからして幸運だったのですが、辞めてしまって。経験者を探すのは不可能に近いですから、未経験者を育てることにしました。ものづくり自体未経験の人を3人採用して、メーカーに合宿に行ってもらうなどして徐々に覚えてもらいました。その中の1人がいまも残って、職人として幅広くやれるようになっています。

—未経験でも「我こそは」という方がいたら、また採用されたいですか。

遠藤さん:そう思っています。作ったものを喜んで買ってくれる人がいて、またそれを直接感じることができて、製造開発にもフィードバックできる。これはBtoBの事業だけやっているとなかなか味わうことのできない楽しさです。ダイレクトに、お客さんから育ててもらっています。ものづくりの好きな人には、やりがいのある仕事だと思いますよ。

後ろに写る工場で働く人たちの絵は、現会長の遠藤昌吾さんの作品。

万年筆以外の引き合いも、世界中からくるように

—海外からの引き合いがというお話に戻りますが、エボナイトは昔から万年筆に適した素材とされていたのですよね?そのエボナイトを扱う、御社のような企業は海外にはまだそれなりにあるのですか。

遠藤さん:ドイツに2社、あと中国、インド、インドネシアに1社ずつです。品質は日本とドイツと言われています。

—ぜんぜんないじゃないですか!日興エボナイト製造所、世界的にもめちゃくちゃ貴重ですね。

遠藤さん:実はそうでして、万年筆を始めて思いがけず得られた収穫としては、エボナイトが珍しいものですから、万年筆で知ったと思われる世界中のいろんなところから引き合いがくるようになったことなんです。

—万年筆ではなくて素材の引き合いが。

遠藤さん:はい。

—競争相手が限りなく少ないですもんね。続けていらして正解でしたね!

遠藤さん:お祖父ちゃんの粘り勝ちだったということですね。

—この先、また何か仕掛けようとしていることなどはありますか。

遠藤さん:現状に満足せずにチャレンジしていこうとは思ってますが、かといって欲張りすぎずにやっていきたいです。うちがエボナイトをやめたら、日本で途絶えてしまうので、いかに続けるかだけでもチャレンジといえばそうなんです。現在16名。うちは幸い、若い人が多くて賑やかな職場です。僕自身も健康であり続けて、これからも若い人、特に万年筆の職人の育成には力を注ぎたいですね。

エボナイトの会社が他には残っていないのだから当然だろうか、日興エボナイト製造所ではいまも現役の機械も、それらのメーカーはすでに残っていないそうだ。

会長さん愛用の万年筆は、日興エボナイト製造所による第一号製品。

イチオシ 日興エボナイト製造所のじまんの人 遠藤昌吾さん

1941年生まれ、1966年入社の二代目で、現在は会長。会長職にして、担当業務は「現場の全般」で、全体の流れをよくするために働き、「私がいないとできないことはないよう目配りする」役割だそうです。詩吟の先生でもあり、絵画も嗜む粋な方。「会長さん、カッコいいですね」と遠藤社長に言ったら「でしょ」と。昔から、非常にやさしいお父さんだったそうですが、「気は短いけどね」とのこと(笑)。

長くやってきましたからね、いろんなことがありました。特に思い出深いことといえば、息子に三代目になってもらうという大仕事ですね。二人で色エボナイトの開発をしましたけど、これもなかなか苦労しました。うちは荒川区に根付いた会社でしょ。万年筆も区の経営塾でアドバイスされたことがきっかけでした。一番最初に作った万年筆は、いまも愛用してますよ。いつも配合指示書を書いています。両親のすすめで詩吟を始めたのは50年以上前。小学生にも教えていて、三代目はね、詩吟については説得に応じなくて遂にやらなかったのですが、孫は小3で発表会に出ましたよ。父も頑張り屋でしたけど、息子も頑張り屋ですね。私ですか?頑張り屋です。

編集後記

事務所に足を踏み入れるなり、キョロキョロ見回してしまいました。よくぞ当時のまま保存してくれました!という、まるで昭和のモノクロ映画に出てくる会社の趣です。工場は元牛舎だったそうですし、社屋全体が資料館みたいでした。初めて触ったエボナイトの万年筆は、重量感があり硬質だけど弾力も感じられ、しっとり、えも言われぬ感触です。確かに、ほかに似た素材が思い浮かびません。「いいなぁ、いいなぁ」と、憧れを強くして帰りました。長年サッカーを愛するスポーツマンで、「ワイワイやるのが好き」とも語る遠藤社長は、荒川区の若手経営者で結成したグループによる活動のネットワークを他区にも広げ、学び合う場づくりに尽力している方でもあります。もう10年余り続けているそうですよ。日興エボナイト製造所は、これからも元気な会社であり続けそうです。(2024年6月取材)

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