キラリと光る会社
黒澤明も星野道夫も使った美しいノート。らしさにこだわり、「生産能力に応じた」ものづくりをいまも

ツバメノート株式会社

東京都台東区で昭和23年(1948年)創業。前身は文具の卸問屋で、現社長の祖父の名を冠する渡邉初三郎商店でしたが、人気イケメン営業マンの苗字由来の社名にて法人化。伝統の表紙デザインは謎の易者によるもの。デザインのほか、最高品質の紙や製法など変えずに守り続けるものがある一方で、アイデアあふれる商品や、定番ノートを土台にスヌーピーなど誰もが知るキャラクターやアーティストなどとのコラボ商品を多数手掛け、あらたなファンの心もつかんでいます。海外からの引き合いも多いツバメノートは、意外にも10名ほどの会社。コーポレートのキャッチコピーは、「知っている人は、知っている。」。
キラリと光る会社第33回は、ツバメノート代表の渡邉一弘さんにお話をお聞きしました。

ツバメノート公式サイト

社名も表紙デザインも、「ありえない」経緯で決まった

—いくつかの記事に目を通しましたが、定番ノートの表紙デザインにしろ社名にしろ、創業者のお祖父さま、初三郎さんが、ずいぶん思い切った決断をされたんですね。

渡邉さん:そうなんですよね。従業員の名前を社名にするだなんて、ありえないですよね。

—カッコよくて人気の営業マンが「燕」という苗字だったんですよね?

渡邉さん:ハリウッド俳優並みの、それはもう超イケメンで、燕さんに会いたいがために注文してくるお客さんもいたらしいんですよ。「燕さんのノートちょうだい」みたいな感じで。

—その方がいなかったら「ワタナベノート」だったかもしれませんね。

渡邉さん:そうですね。

—ツバメノートの顔とも言える、定番ノートのデザインが、謎の易者(占い師)さんによる持ち込みだったというのも、なかなかありえませんよね。

渡邉さん:ある日突然、「この家は輝いてた」と言って入ってきた、見ず知らずの占い師さんですよ。ノートを作っている会社と伝えると、絵心があるから自分の描いたのを買ってほしいと、後日持ってきたのがこのデザインです。お祖父ちゃんが、「これならいい」と買って以来、いまに至るまで使っています。

—それにしても、「何者!?」っていう腕前とセンス。

渡邉さん:何者か、いまとなっては手がかりもありません。不思議ですよね。

—占い師というところがまたミステリアスですし、このデザインが当時の人にとってどんなふうに見えたかにも興味を惹かれます。いずれにせよ、70年の時を経てなお通用するのですから、採用した初三郎さんは見る目がありましたねぇ。

渡邉さん:本当ですね。

—エピソードからは、相当ユニークな方だったと想像されますが、渡邉さんには、初三郎さんの記憶がありますか?

渡邉さん:あります。孫の自分には、いつもやさしいお祖父ちゃんでした。仕事面では、ユニークなアイデアマンだったのは間違いなさそうです。でも、戦争を挟んで、厳しい時代でしたから、生きるのにも商売をするのにも必死だったんでしょうね、父や、会社を継いだ叔父にとっては怖い人だったらしいです。

—ツバメノートとして設立したのは終戦から3年後ですもんね。

渡邉さん:うちの定番ノートはずっと変わらないので、映画やドラマによく使われるんですよ。時代設定が戦後でも、そのまま使えますからね。

—そうか。そうですよね。ちなみに、思い切りのよさというか、直感で決断するようなところは渡邉さんも受け継いでいますか。

渡邉さん:思い切りはいいですね。先代の、叔父もそうでしたし、家系でしょうね。「おもしろいからやっちゃえ」って。

—あはは。そうですか。

渡邉さん:ときどき「え?これやるの?」って言われます。

—失敗もありますか。

渡邉さん:ありますよ。でも、やってみないとわかんないでしょ。

—いいですね(笑)。

渡邉一弘さん

自分が継がなければ、叔父の代で消滅してたかも

—先々代と先代は、渡邉さんのお父さまの上のお兄さまたちなんですね。渡邉さんにとっては叔父さまで、渡邉さん自身はなんでも、ツバメノートを継ぐことになろうとは思っていなかったのだとか。

渡邉さん:叔父の娘が4代目になる予定でした。私は宅配大手に十数年勤めて、お客様センターの管理職だったのですが、遠い親戚が経営する別の文具メーカーの経営が大変だということで招かれて、転職したんです。無事に再建したので、そちらの後を継ぐことになるのかなと思ってました。ツバメノートの4代目になるはずだった従姉妹が、家庭の、やむを得ない事情で継げなくなって、3代でたたむしかないのかとなったときに声がかかったんです。再建した親戚の会社のほうも、「出ていかれたら困る」と言って、綱引きになった末に折れた感じです。

—すごいですね。どちらも渡邉さんのことを買って。

渡邉さん:いや、でも、あのまま在籍していれば安泰だった大企業を離れて危機にあった中小企業に移って、安定してきてさぁこれから、と思ったら、後継者がいなくてたたもうかという別の中小企業ですよ。華々しい感じではないですよね。

—ご自身としては、乞われたからには頑張ろうと思ったんですか。

渡邉さん:大企業ではできないことや、味わえないおもしろさがありますしね。「好きにやっていい」と約束してもらった上で。ただ、ツバメノートに移るにあたっては続きがありまして、私に次期社長を任せたいと言ってきたときは元気そのものだった3代目に、ガンが見つかったんです。当初、前職での仕事に一区切りついてから入社して、2年くらいかけて引き継ぎしてもらう予定だったのが、先代が半年で亡くなってしまい、会社も混乱しました。2016年のことです。よく知る叔父だったので悲しかったのに、あれもこれもわからないという状況で経営を軌道に乗せるまでは、悲しむ間もないほど忙しかったです。

—70年も続く会社には、いろいろなことが起きますね……。

渡邉さん:それでも振り返ると、3代目があの時点で後継者にと声をかけてきたのは大正解で、病気がわかってからのタイミングだったら、会社の存続も危うかったと思います。みんなで、虫の知らせというやつだろうかと話すことがあります。

—それに、3代目の、後継者選びも正しかったんですね。渡邉さんは家系的に思い切りがいいということでしたが(笑)、同時に、あまり動じないご性格ですか?

渡邉さん:ですね。動じませんね。

—経営者向きですよね。とはいえ、大きな危機は乗り越えてもなお、経営になにかしらのむずかしさはつきものだと思いますが。

渡邉さん:いまはいろんなものが高騰して、製造コストが上がって大変ですね。うちのノートは、初代が、まだ粗悪な紙製品が多かった時代に、書く喜びが感じられるような高い品質のものを広く使ってもらいたいとの思いを込めて世に出したんですね。だから、いまになって品質は落としたくないし、かといって一般の人の手に届かないような値段にもしたくもないんです。もう製造されていない機械ばかりを人間が操って、手作りに近い製法でやってますから、その中で上げられる生産性というのは知れてます。そんなところも大変とは言えますけど、それがツバメノートですからね。まぁ、やりたいことはやれてるので、いまは理想といえば理想かもしれない。

筆記用に最高級とされるフールス紙を採用。なめらかで、目にやさしく、特に万年筆との相性は抜群。こだわりの罫線は、貴重な機械を用いて水性インクで引く。オフセット印刷による一般的な罫線と異なり、罫線上で万年筆などの水性インクを弾かない。

この表紙が謎の易者さんによる傑作。よく見ると、人の手で描いた“揺れ”を見てとることができる。傾向として、男性には「カッコいい」「シブい」と評されるが、女性に「かわいい」と言われがちであることが、渡邉社長曰く「不思議でならない」(笑)。

ツバメノートらしくあるため、「生産能力に応じて」

—理想とは、素晴らしい。よく途中で、合理化、効率化の変革の波に乗ったり、拡大路線に行きませんでしたね。

渡邉さん:そういう話はいくらもあったらしいですよ。でも結局、ツバメノートらしくあろうとするとできなかったんじゃないですかね。変えることで失われる価値の方が大きいと考えて、ずっと、「生産能力に応じて」やってきました。

—「生産能力に応じて」。いいですね。

渡邉さん:従業員も、だいたい10名前後でやってきてますしね。生産能力に応じてしかやれない我々の仕事を、ツバメノートのお客さんは意外と待ってくれるんですよ。

—待ってくれそう。会社にとって肝心なところを、時代に合わせて変えてしまわなかったのが、いま強みになっているんですよね。デザインもそうですもんね。

渡邉さん:そうですね。デザインに関しては、古くさく見えた時期に、そこは祖母が「このデザインを信じなさい」と、変えるのを反対したそうです。

—おお、今度はお祖母さまのご英断!

渡邉さん:うちのWebサイト見ました?あれもね、リニューアルしたほうがいいとしょっちゅう言われてるんですけど、これは私が、頑なにノーと言い続けています(笑)。

—もちろん見ました!なんとなく、そうなのかなと思ってました。いいと思います(笑)。情報も、商品も、即座に手に入れられることが多い世の中になりましたが、全部がそうでなくてもいいです。ツバメノートさんの場合は、生産能力に応じると、どんどん売ろうという戦略には、自ずとならないですしね。

渡邉さん:目指すのは常に現状維持ですね。それにちょいプラスくらいかな。

—現状維持とか変えないでいるとかと聞くと、やる気なさそうに思う人もいそうですが(笑)、趣味じゃないんで、実際には簡単ではなく、努力を払うから成り立つんですよね。

渡邉さん:そう思ってます。知る限り世の中で稼働しているのはうちにあるのが最後の一台、という機械や、それを扱える職人も一人という、うちがやめてしまえば絶える意匠や技術もあります。貴重な工程を担う外注先が廃業を決めたのを機に、うちで機械を引き取って内製化した作業もありますね。「ツバメノートでなくては」という少なくないファンがいらっしゃる限り、そういうものを手放したくないんです。機械の部品なんてもう手に入らないので、適した代替材料を探し回った末に全然関係ない卓球用のラバーに行き着いて、自前で加工して使ったり、機械の調整にまる二日費やしたり…。機械を新調するには、費用面での心配もさることながら、現存する古い機械を一度分解して構造を確認する必要が生じる上に、やっぱりできないとなったとき、組み立て直して支障なく動く保証がないという…。さすがにその賭けは怖いじゃないですか。そんなこんなで、現状維持にも、日々奮闘している状態ですね(笑)。

—工場長さんはどんどん機械に詳しくなっていくのだとか。

渡邉さん:メンテナンスし通しなので、ほとんど機械をつくれるレベルになってきたと思います(笑)。

—あはは。やっぱり現状維持も楽ではなさそうですが、守る仕事がある一方で、あたらしいことにも挑戦されてますよね。

渡邉さん:はい。うちみたいなものづくりに魅力を感じて入社する若手もいて、この先ももう少し続けられそうですからね。

—そうそう、ツバメノートのファンといえば、黒澤明が有名ですが、先日、星野道夫の写真展に行ったら、彼の最後の取材ノートがツバメノートでした!

渡邉さん:それは知りませんでした。うれしいですね。

—デザイナーのアニエス・ベーのお気に入りでもあるそうですけど、海外からの引き合いも多いのではないですか。

渡邉さん:多いのですが、生産が追いつかないので、ほとんど断っている状態です。

—もったいない気もします。でも、そうやってやってきたのがツバメノートさんですもんね。

渡邉さん:欲を出して職人が倒れたら意味がないですからね。

10以上の工程に、完全に自動化されたものがないのには驚かされる。ヴィンテージとも呼べそうな機械で職人がつくることが、ツバメノートをツバメノートたらしめるのだとわかった。

新作は銀箔に彩られたクラシカルな表紙の『B7クリームメモ』。クリーム色のフルース紙を使用した、高級感のある粋なメモ帳。

ファンに支えられ。ツイッターも人気

—ものづくりからはちょっと離れますが、ツイッター、中の人がいいですよね!

渡邉さん:ツイッターは若手がやりたいって言い出したので、「いいよ」と。そしたらセンスがあったみたいです。その道の人が驚くほど、お金かけずに短期間でフォロワーが増えました。

—先ほど、失敗を恐れずに「やってみないとわからない」とおっしゃってましたけど、従業員の方にもその調子で任せるほうですか?

渡邉さん:任せますね。せっかく小回りが効く規模なんだから、やってみたほうがいいじゃないですか。

—では、社内は割となんでも言い出しやすい雰囲気ですかね。

渡邉さん:そうだと思いますけどね。

—ツイッターの中の人も自由につぶやいているのですか。

渡邉さん:そうです。うちはずっと問屋さん経由で販売してきたので、エンドユーザーさんからの反響がダイレクトに届くようになったのはやっぱりうれしくて、ツイッターは始めてくれてよかったです。

—そうですよね。ツバメノートのファンの皆さんのほうも喜んでいるのでは。

渡邉さん:そうですかね。長年のリピーターさんがこんなにいるんだと実感できました。ありがたかったです。うちは新商品を滅多に出さないのですが、3年ぶりに出したそれへの反響が大きくて。長年の、ツバメノートへの信頼があってのことだと思うと感慨深いですね。

—マーケティングの世界では、ブランド、ブランディングと猫の杓子も…ですが、ツバメノートは、まさしくブランドですよね。こういうのを、本当にブランドというのだ思います。

渡邉さん:こんな小さな会社の、ツバメノートを知ってくださる方が全国にいて。品質を変えずにやってきた歴史は、それを支えてきた人を含めて財産ですね。

—本当に。これからなにか、あたらしくやろうとされていることはありますか。

渡邉さん:Webサイトはあのままですが(笑)、通販サイトは検討中です。販売のメインはあくまで文房具屋さんなので、そこは大事にしながら、店頭に並びづらい商品を求めるお客さんからのご要望には、メーカーとして応えたいと思っています。

守るだけではないツバメノートを象徴する商品の代表格が『まっすぐノート』。斜めに書く人、いますよね。そんな人が、ノートを傾けることなく「まっすぐ」書ける!

イチオシ ツバメノートのじまんの人 渡邉崇之さん

1976年生まれ、4歳上の兄である渡邉社長に誘われて2017年に入社。足立工場の工場長。前職でも同じ職場だったという仲良し兄弟だが、渡邉社長によると、こだわりが強く頑固な一面が「自分とは全然違う」。崇之さんも「正反対のタイプかも」と、意見が一致。適材適所の見立てを外さないと自負する渡邉社長の見立て的中で、「自分にぴったし!」の仕事だとおっしゃる幸せ者でいらっしゃいます。

前職では営業でしたが、元々、DIYや機械いじりが好きでした。この仕事に就けてめちゃくちゃハッピーです。他の人ができない、むずかしいことほど燃えますね。マニュアル通りにはいかない、季節によって具合が違ったり、昨日と同じようにしてもうまくいくとは限らないところなんかは、酒造りみたいだと感じます。見た目に簡単そうな作業が一番やっかいだったりして、商品としては合格でも、自分の中では、始めて以来到達したことのない100点満点を常に目指している状態です。自己満足を楽しむタイプですかね。理想は、開いたときに気持ちがいいノートです。兄とケンカをすることですか?なくはなかったですが、体格が違うし、あちらは空手部だったし、勝負にならないんで(笑)。

編集後記

ひとたび意識し始めると、あちこちで目にし始めるツバメノート。先日も映画に出てきてひとり興奮しました。表紙を見せれば「見たことある!」と言う人がほとんどで(私調べ)、浸透度合いはかなりのものかと。この規模で、この製法でやっていたとは。工場でツバメノートのものづくりを拝見するに、ほとんどハンドクラフトに近く、工程の一つひとつに、そのやり方でなくてはならない理由がありました。印象に残ったのは、「ノートというのは書いて終わりではなく、見返えすために何度も繰り返し開くもの。だから丈夫でなくてはならないんです」という言葉。1万年でももつと言われる品質の紙を、ミシンによる手作業で、糸で綴じる。ツバメノートの美しさの訳を知りました。(2022年12月取材)

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