静岡県浜松市で、主に水耕栽培の芽ネギやミツバ、ミニチンゲンサイなどを生産する農業法人。システム的農業で売上のほとんどを担う“水耕部”、障がいを持つ人を採用し育成する“心耕部”、あいがも農法での米作りなどを行う“土耕部”で構成され、「ユニバーサル農業」への取り組みが、全国的に注目されています。全従業員約100人のうち、4分の1が障がいを持つ人。農家の13代目である現在の社長が2004年に法人化し、関わる人が多様であることが農業経営を強くするという考えの下に成長を続けてきました。経営理念は「笑顔創造」。
キラリと光る会社第32回は、京丸園代表取締役の鈴木厚志さんと総務取締役の鈴木緑さんのご夫妻に、お話をお聞きしました。
—鈴木さんは農家の13代目なのですね。
厚志さん:はい。4代前までは小作農で、それ以降農地を少しずつ増やしてきたようです。現在は水耕栽培を主力としています。
—農業としては大きな規模ですよね。2004年に法人化されていますが、どのような経緯で?
厚志さん:農業は、基本的には法人化に向いていないと思うんですけどね、家族経営ではもう、先がないと思ったのがひとつ、倒産さえしなければ自分のあとも続けられるというのがひとつです。農業というのは、100年かかると思ってるんです。この時代、変わらなければならない部分もあれば、守り継承しなければならない部分もある。まずは組織として安定させてから、そのあとに理想の農園を…と思い描いたとき、一代では無理だと思いました。息子たちのうち、次男が入っているんですけどね、いまのところ継ぐかどうかわかりませんね。農業を継ぐのと経営者になることはまた違いますしね。
—組織として。京丸園では、老若男女、障がいのある人ない人…、多様な人たちが働いていらっしゃいますね。
厚志さん:上は86歳、下は16歳、男女比は7:3で女性が多いです。28年前から、1年に1人と考えて雇用してきた障がいを持つ人はいま24名。身体、精神、知的、発達と、こちらもさまざまで、20年選手も複数います。
緑さん:障がいのある人に関しては、主には障害者就業・生活支援センターを通して紹介してもらって、条件をこちらが提示するのではなく、基本的に採用する前提でお話しします。本人がどんな働き方がしたいかによって、なにをやってもらうか、どうやったらやれるかこちらで考えてメニューをつくるスタンスです。
—賃金に関してはどのようにされているのですか。
緑さん:能力と一致させるという考え方をとっています。中には最低賃金除外申請を労働基準監督署に提出した上で、最低賃金を割る人たちもいるのですが、5〜7年で能力が追いついて、この申請を出さなくてもよくなるケースが出てきています。
厚志さん:うちのやり方に否定的な意見を持つ人もいなくはないのですが、障がいのある従業員やそのご家族、あと、ほかの従業員にとっても、いまとれる最も納得感のある形ではないかと考えています。
—長く働いている方も多いのですもんね。
緑さん:障がいの有無に関わらず、定着率はいい方ではないかと思います。パートの女性たちもそうですね。年齢層が幅広いおかげで、例えば子育て中の働き方について、上の年代のお母さんたちが理解してくれるから仕事を続けやすい、ということもあるようです。
—まさしく“ユニバーサル農業”の実践ですね。
厚志さん:ユニバーサル農業というと、福祉の精神ありきで見られることが多いのですが、うちとしては、農業と福祉の融合によって化学変化が起こるだろう、それが農業を強くするだろうという理由で取り組んでいます。従業員100人というのは、先ほどおっしゃったように、農業としては規模が大きいです。『一年生になったら』って、あれが私の一番好きな歌なんですけどね、「友だち100人できるかな」って、いいじゃないですか。100人の仲間がいる場をつくりたいなと。100人いないと多様性が生じづらいし、100人以上になると今度は覚えきれないので、適正人数であるとも考えています。ただ、割合としては、障がい者と、それに男性の割合も(笑)、もう少し高めたいですね。それで安定した組織をつくることを目指しています。
—なかなか聞きませんが、男性の割合も引き上げたいんですね。
緑さん:5:5くらいが良いと思っているのですけど、いまは7:3で完全に女性が上回ってますからね。地元の農業高校がこの割合で、そのまま反映されているんですよね。
—そうなんですか、女子生徒が多いのですね。
厚志さん:我々もその、農業高校出身です。生徒会で、彼女に会計とかやってもらってたんですけど、いまもやってもらってるという(笑)。
—そうなんですか!それはまた、公私共にずいぶん長いおつきあいですね。
緑さん:いまの担当は会計だけじゃないですけどね(笑)。
厚志さん:財務と人事と総務です。
—現場以外全部じゃないですか。
厚志さん:そうそう。
緑さん:生産と営業は社員がやってくれています。
厚志さん:よく、社長はなにをやってるのかと言われるんですけど。
—なにをやっているのですか(笑)?
厚志さん:作業的には、最も危険な草刈りですね。
—ははは!
厚志さん:うちの水耕栽培では、緑色のものしか作りません。イチゴやトマトには手を出さないんですよ。赤いから。
—え?
厚志さん:緑のみです。女房への愛ですよ。
緑さん:いつもこれ言うんですよ(笑)。
—あはは。ユニバーサル農業に話を戻します(笑)。障がいを持つ人たちと一緒に働くことが、農業を強くするとお考えになったところをもう少し詳しくお聞きしたいです。
厚志さん:売れている作物を売れるから作ろうとすると、当然、価格競争に巻き込まれますよね。うちはよそにない商品を開発して、それを売るために市場の開拓をしてきました。ない市場をつくり出す大変さのほうを選んだんです。これが独自性です。経営者はみんな独自性をほしがりますけど、障がいを持つ人たちに合わせて作業を組み立てていくと、自然によそにないものが出来上がります。彼ら彼女らがもう、独自性なんですよ。差別化ありきでアイデアをひねり出さなくても、差別化できてる。
—多様性が組織を強くする論の真髄的な…。
厚志さん:そうなんです。うちはミニチンゲンサイを、一度に2万5千本が栽培していて、この数作れるのは日本で京丸園だけです。手がかかるし、新規参入するメリットもそうないので、やろうというところはなかなか出てこないと思います。ほとんど全部、都市部向けの業務用として市場に出荷していて、マーケット規模は小さいですが、安定的に求められて値崩れを起こしにくい商品です。このミニチンゲンサイは、ほぼ障がい者のみが生産を担っています。最初から、彼ら彼女らの手で行うべく、品種を選んで、仕組みを考えました。出発点からよそと違うんです。別の観点から別の戦略をとることで、競合と戦わずに自分たちの勝負ができています。
—独自性のお話ですが、鈴木さんはそのことを、28年前、最初から考えてにユニバーサル農業を目指したのですか。
厚志さん:私も最初は正直、技術が必要な栽培を障がい者に任せられるのか疑問に思ってました。特別支援学校の先生に促されて、生徒に試しに現場に入ってもらったことをきっかけに、この人たちに能力がないのではなく、こちらが能力を活かせていないんだとわかったんです。同時に、訓練して彼らを変えるのではなく、農業を変えればいいんだと学べたのは大きかったです。
—単に人手というか、労働力以上の可能性を見たんですね。
厚志さん:本当にそうで、確かに慢性的な人手不足は、農家にとって長年の大きな悩みの種です。ただそれだけではなく、多様性は、あたらしい農業へのひとつの道筋ではないかと感じました。
—だから、ユニバーサル農業で福祉に貢献、ではなく、農業経営の戦略として、というおっしゃり方をされるのですね。
厚志さん:福祉を出発点とする農業を否定はしていませんが、うちは戦略としてやっています。技術がないから、経験がないからという理由で無理とされてきた作業も、こちらの工夫次第で可能になって、それは経営にもプラスに働くと気づかせてくれたのが障がいを持つ人たちだった。私がやっても初めての人がやっても同じように作業できるよう農業の側を変えていけば、障がいを持つ人も無理なく戦力になるんです。その先に同一労働同一賃金を目指すことができればベストですよね。
—近年耳にする、“農福連携”の理想のような気がします。
厚志さん:そう、農福連携ですね。以前に比べると、取り組みが進んできていると思います。ただ、経営者としては、それで食えるようにすることと同時に、働く人の満足が重要であることを理解していないと、危うい試みでもあります。人手不足を解消するための苦肉の策として障がい者を雇用する手段を講じようというなら、よく考えたほうがいい。働いてくれる人に、良いものを持って帰ってもらえるようにしないと。「二度と嫌だ」と思われるような環境を与えることは、働く人に対して問題であるのはいうまでもないですが、それであとがなくなるのは農業だと、よくよく肝に銘じることです。
—外国人技能実習生とも、重なります。
厚志さん:まさにそうです。労働力を補う手段としては、いわば最後のカードですからね。
—人間が働いている以上、一方だけに都合のいい雇用関係が長続きすることはないですよね。
厚志さん:これはもう、善意云々ではなく考えるべきですね。働く環境の整備の話でいうと、農業の常識にとらわれて、悪気なくやっていることもありましてね。うちも、夏場「(障がい者のスタッフを)こんな暑いところにこもって働かせるのは無理です」って、障害者就業・生活支援センターの方に言われたことがあるんですよ。そんなこと言われても、農家はみんな、ハウスで収穫したらハウス内で作業するし…と困惑しつつも、収穫後のミニチンゲンサイを運び出して、エアコンの効いた場所で作業できるよう、思い切って側に別棟をつくったんですね。痛い出費だなと思っていました。そしたらですよ、作業効率が格段に向上しまして、建築費をペイする見込みも早々に立ったんですよ。
—改善が別の改善を生んだ!
厚志さん:そう。いままでやってたことはなんだったんだろうと、こっちがびっくりしました(笑)。人ではなく野菜を動かせば良かったんです。長年の習慣と思い込みって、すごいですよね。農業って、暑いの当たり前、歩き回るの当たり前の世界なんで、こういうことにも、普通の農家のままだと気づけなかった。
—どんな産業にも通じるお話だと思います。
厚志さん:いや、人ではなくものを動かすとか、工業の世界ではとっくの昔にやってることですよね。働きやすさにしても、農業は他の産業より改善の余地があると思います。だから、これも多様性に通じますが、いろんな人の声を聞くのは大事なことです。
—あぁ、とてもためになるお話がお聞きできました。冒頭、「理想の農園」という言葉がありましたね。最後にそれについて教えてください。
厚志さん:理想の農園は、私の人生の最終形のように描いているものなんです。いまは安定した組織としてつくりあげるのがテーマですよ。農業者の使命として、農地、技術、労働力を絶やさずに次世代に渡す。そのために、みんなで、きちんと安定的に食えるようにならなくてはいけない。それを達成した上で…、豊かな畑があって、花が咲いて、馬や牛がいて、柿やみかんといった季節の果物が実って…本来の農の姿、役割がそこにある農園をつくりたい。私は白馬を飼います。
—素敵だと思って聞いていましたが、馬は白馬限定なんですか。
厚志さん:そう。
緑さん:絶対に白馬だそうなんですよ。
緑さんが、「このコーナーにふさわしい人が多すぎて」悩みに悩んだ末にご指名。昭和11年生まれにして、土耕部を背負って立ち、人と話すのも大好きという、緑さん曰く「いまの京丸園の形をつくった」会長さんです。水耕栽培にいち早く着目したのが自慢。取材時、収穫時期を迎えていたさつまいもは、栽培のみならず、保存、調理法を研究し、「言うに言われぬ」おいしさの焼き芋を完成させたそうです。
農業は好きですよ。農家の長男坊だから、好きになるように洗脳されたんだろうね。畑には危ないものがないでしょ、だから毎日連れられて、物心ついたころには畑にいたし、祖父さんに、「金になるし、いいもんだ」と言われて育ったから。太陽に、水に空気に、タダのものずくめでしょ、そうした、自然の循環の中で生きているのが農業ですよ。86歳ですけどね、チャレンジ精神ありますよ。植物でも動物でも、人間にとって、育てるということはいい。それこそチャレンジ精神です。作るのが一番好きな作物?それはやっぱり、お米ですね。日本の気候風土に合ってる。うちはあいがも農法で、無農薬でやってます。米と芋で育ったけどね、両方、作るのも食べるのも飽きないね。
我々がテーマとする“small is beautiful”のsmallは、単に規模ではないのですが、規模が大きくなるごとに実現できることが大きくなる一方で、あきらめなくてはならないことも出てくる。300人の組織より、30人のそれが10あったほうが色とりどりでおもしろいと感じ、『キラリ』に取り上げさせてもらう企業は通常、30名程度までの規模でした。京丸園さんは過去最大。取材の申し込みに、「絶賛取材可能です!!人数規模が大きくてすみません!じまんの人いすぎて…人選に悩みます」と、勢い満点のお返事をくださったのは緑さん。そうして伺った京丸園さんは、想像以上に色とりどりでした。『キラリ』に加わってもらえてとてもうれしいです。(2022年10月取材)