キラリと光る会社
世界に誇る、メガネのまちで、「商品だけでなく、つくる人や、まちのことも知ってほしい」

プラスジャック株式会社

福井県鯖江市といえばメガネのまち。世界三大産地に数えられるという鯖江のメガネ産業は100年以上続いてきました。メガネ関連のメーカー大小約600社がひしめく鯖江にあって、最終製品までを一貫して手掛けるのは「5社あるかどうか」だそう。プラスジャックはその1社。祖父が始めた事業を、現会長である父が転換、それを引き継いだものの「借金を背負わされた」と笑って話す社長の津田功順さんは、いまはこの仕事も鯖江も大好きなのだそう。5名ほどのメンバーで、「助ける」をテーマに掲げるプラスジャック。自社ブランドのメガネのほか、防災グッズとしての笛なども企画・製造しています。
キラリと光る会社第28回は、プラスジャック代表の津田功順さんにお話をお聞きしました。

プラスジャック公式サイト

「鉛筆なんか持つな、やすりを持て」

—鯖江にはメガネ産業に従事する人がたくさんいらっしゃいますが、津田家も、そうだったんですよね?

津田さん:はい、祖父が会社を始めました。その祖父は、僕が子どものころ勉強してても、「鉛筆なんか持つな!将来鉛筆で食べられる人間は一部だ、やすりを持て!」とか言う人で、ほんとイヤでした(笑)。

—勉強してたら叱られましたか、あはは!そのころから仕事のお手伝いもしてたんですか?

津田さん:させられてました。掃除とかの雑用、それに箱折りとか。だからメガネなんて嫌いでした。

—まぁ、子どもならそうなりますよね。それにしても、勉強なんかしてもダメだと言われたのは、もう一世代くらい前のような気もします(笑)。

津田さん:鉛筆持たせてもらえなかったくらいですから、学校では工作ばかり得意で、5教科なんて苦手でした。そのくせ祖父は、僕が短大に進学したとき泣いて喜んだんですよ。高校より上に進んだのは僕が初めてだって。そんなにまで喜ぶ姿を見たときは、「あぁ、良かったな」と思いました。

—そうでしたか。工作は好きだったんですね。

津田さん:メガネにはうんざりでしたけど、つくることは好きだったんですよね。短大では建築関係のことを勉強して、京都の舞鶴の、インフラ整備を手掛ける会社に就職しました。最初は監督業だったのを、希望して、配管とか設備をつくるほうにまわしてもらいました。自分で手を動かす方が性に合っていて。

—そのころは、いつかは鯖江に戻ると思ってましたか?

津田さん:会社は継ぎたくなかったですし、戻る気もありませんでした。

—ではどういったきっかけで?

津田さん:30歳を目前にしたころ、親父がやって来て、「儲かるから戻って来い」と。

—儲かるから。

津田さん:誘い文句として効果がないわけではありませんでしたけど、そう簡単に決められませんよね。会社の先輩が「絶対戻れ」と強く背中を押してくれたんです。「親が言いに来たんだろ」って。当時忙しくて、人手が減ると大変なのは明らかだったのに、そんなことはいいから迷わず戻れと言ってくれました。それが効きました。

—いい先輩だったんですね。

津田さん:そうなんですよ。ところが帰って来てうちの会社の帳簿を見たら真っ赤っ赤!親父に、「儲かるって、話が違うじゃないか」と抗議すると、「やり方次第や」なんて言われて、次の年には社長にさせられました。借金背負うことになったんです。

—な、なかなか、強烈なお話ですね。

津田さん

社長就任からの苦難と、借金返済!

津田さん:うちの会社は、祖父が始めたフレーム製造を、親父がテンプル(つる)製造に転換して、パーツメーカーとしてやってたんです。僕がプラスジャックに入ったころには、親父の代では鯖江をあげて大量につくっていた、いわゆるブランドもののメガネのライセンスが切れて、受注するのは修理や補修ばかりになっていました。何万ペアと発注のあったテンプルが、自分のときには数百ペアにまで落ちていて…、都度、機械のセッティングに1日以上かかるんですよ、それを動かしても数万円の売り上げにしかならない。OEMの発注元をまわって、どう工夫しても単価が合わないからと、わずかな値引き交渉をしてみたら、ほとんど取引中止になりました。45人いた社員は、なんとかこちらで再就職先につないで、退職してもらわざるをえませんでした。

—鯖江に戻って早々、社長になって早々…。そこから、下請けの立場のパーツメーカーから、いまのように自社で最終製品を一貫製造するメーカーとして、再生を試みたのですね。

津田さん:親父と、この先どうするかと話していたとき、ふと、二人ともかけていた、メタルフレームのメガネに目がいきました。プラスジャックでは、メタルフレームにもセルフレームにも使えるテンプルをつくっていたのに、お互い、「自分ではセルフレームはかけないよな」って話になって。理由はかけづらいからでした。だったらかけやすいセルフレームのメガネをつくろうと。

—おお、そこから。

津田さん:そうなんですが、この業界はかなり分業が進んでいて、完成品までつくろうとしたら異端児扱い。僕は風当たりに負けずに…とやってましたけど、親父は陰で謝って歩いてたとあとから知りました。いまでは認めてもらっていて、ほかでもやるようになりました。

—お聞きする以上に大変だったんでしょうね…。で、あの…借金は、どうなったんですか?

津田さん:返しました!少し前に、ほぼ完済しました。

—あぁ、良かったですねぇ。ずいぶん身軽になりましたよね?

津田さん:いやぁ、すごい楽になりました。15年目になりますが、やっと好きなことができるようになりましたね。最初はいかに儲けるかに必死だったのが、いまはいかに楽しむかです。

コットンを主原料とする植物性樹脂、セルロースアセテートは、カラーバリエーションが約3万通り。プラスジャックでは、メガネに使うこの素材でオリジナルの雑貨もいろいろつくっている。

「助ける」がテーマだから

—話を戻しますね。自社製メガネをつくるようになってからこだわった、“かけやすさ”はどんな点ですか。

津田さん:テンプルにバネ性を持たせると痛くなりづらいんです。前職でガスの配管をやっていたときに、真っ直ぐだと割れやすいので、かかった力を逃すことができるよう、少しの遊びを持たせることを学んだんです。それを応用して。子どもがうっかり壊すことも減らせるようにと。

—思いがけず前職での経験が生きたのですね。自社製メガネの評判はいかがでしたか。

津田さん:軽いかけ心地が評判でした。あと、サイズ展開して、より自分に合うものを選べるようにもしました。昔は3サイズに分かれていたのが、近年のメガネにはなくなっていたので。ワンサイズだとどうしても合うものが見つけづらい人がいるんですよね。

—サイズは選べたほうが絶対いいですよね。

津田さん:そうなんです。それから、特に子どもには、「かけさせられてる」と思わせないよう意識しています。自分の気に入った色やデザインをパーツごとに選んでつくれるようにすると、喜んでかけてくれるようになるんですよね。店頭やワークショップで、喜ぶ子どもたちを目の当たりにすると、こっちもうれしくって。

—そうか、子どもは確かに、「かけさせられてる」って思っちゃいますもんね。

津田さん:はい。でも「自分で選んでつくった」メガネだと、違うんです。うちは「助ける」をテーマにしていますし、メガネって、もともと「助ける」目的でつくられたもの。鯖江でのメガネづくりの発祥もそうなんです(参照:鯖江の眼鏡のはじまり)。だから、誰かを助ける目的で、求められているものをつくるという原点に立ち返ってやるようにしました。

—笛のアクセサリーも、市の防災課からの相談で製作されたんですよね。

津田さん:そうです。瓦礫の中からでも音が通りやすい音域にこだわって、何度も試作を重ねて完成させました。メガネのフレームと同素材で、普段から気に入って身につけられるようなデザインに加工しました。effe(エッフェ)というブランドで販売しています。

—ポップでかわいいですね。

津田さん:親父のころは、「この技術があるからこれをつくる」という発想で、だから「こんなの要らない」というものをつくっちゃったんですよ(笑)。お客さんに喜んでもらえるのが一番うれしいですからね、お客さんのためのものづくりを徹底するようにしています。お客さんの手描きのスケッチをもとにカスタマイズすることもありますよ。うちのような小さい会社の活路は、そうした一つひとつに応えることにあるんじゃないかと思うんです。

キャンディのような色味が特徴的な防災用の笛は、シンプルなようで試行錯誤を繰り返した商品。

プラスジャックが所有する機械はなんと105台!一つひとつ使い方を覚えるだけでも大変そう。また、機械任せではなく、技術を要する作業も少なくない。

大好きな地元、鯖江を知ってもらいたい

—いま何人でやってらっしゃるのでしょう。

津田さん:自分を入れて5人です。みんなでつくってます。実はコロナで、セレクトショップに卸していた雑貨類の動きが止まってしまって…しのぐため、育てた職人を地域の大手メーカーに受け入れてもらったんです。落ち着いたら戻って来てもらうつもりでしたが、先方にとってもいい人材だったようで、本人たちも残りたいと言うし、そのままうちは辞めてもらうことになりました。結果オーライなのかもしれませんが、辞める原因をつくったのは僕なので、「人が大事」とは言いづらくなりました…。でもやっぱり、会社の財産は人だと思います。技術も大事ですが、こればっかりは盗まれもするし、資本力のあるところには敵わない面も多いですからね。

—ではいまは、人を増やしたい。

津田さん:増やしたいです。けっこう面接もしてるのですが、うちに来てくれるのは、「このままいまの組織の中にいたものか…」とか「ものづくりに携わってみたいけど迷ってる」とか、半分自分探しというか、自己実現に悩んでる人が多くて、なぜか話してすっきりして帰って行っちゃうパターン(笑)。僕の接し方のせいなのでしょうか、たびたび人生相談になってしまうんですよ。

—あははは!事業内容に加えたほうがいいですね!「人生相談」。

津田さん:やったほうがいいですかね(笑)。

—では、人生相談じゃない方も来てくれるよう、仕事や働き方についての考え方を教えてください。

津田さん:自分はサラリーマンも10年くらいやったので、休みたいときに休めないのがいかに辛いかわかるんです。社内で分業すると、自分だけの持ち場ができて、穴を空けられないから休みにくくなりますよね。だから、各人が基本的な工程を一通りやれるようにしておいたほうがいいと思って、学べる体制を整えてきました。

—ものづくりが好きな人はそのほうが楽しいでしょうしね。

津田さん:それに、商品だけではなく、こういうところでこういう人たちがつくっているという、全体を知ってもらいたいとずっと思っているんです。だから、採用面接もですが、お客さんにも、工場見学とか、もっと来てもらう機会をつくりたいと思っています。さらに言えば、うちだけじゃなく鯖江を知ってもらいたい。

—鯖江のまちを。

津田さん:好きなんですよ、鯖江が。2023年に福井に開通予定の新幹線は素通りだし、メガネのほかには、市の動物園のレッサーパンダの繁殖数が日本屈指とか(笑)、びみょうなアピールポイントしかないまちのようですけど、メガネはもちろん、繊維に漆器に金属加工に、実は世界に誇る技術が集積するところなんです。中には「お得意先はNASA」という中小企業もあるんですよ。知られざるすごい人がいっぱいです。地元愛が強い人もやたら多いみたいです。僕もそのひとりですが、前市長が熱かったので、その影響が大きいのかな。

津田社長、15年やってきて、「見逃し三振より空振り三振」だそうです。振らないと当たらないから。

要所要所、「みんなでDIYで」仕上げたというお店やオフィスにはあたたかみがある。

イチオシ プラスジャックのじまんの人 久保葉月さん

入社3年目の久保さんは、職人であり、経理全般を担う事務方でもあります。ハキハキと話し、キビキビと動く方。メガネの製造現場では、女性は仕上げの作業につくことが多いところ、プラスジャックでは男女問わず基本工程を一通り任せているそうです。この日つけていらしたピアスも、ご自身でつくったものだそうですよ。お似合いでした。

自宅から10キロ圏内で、ものづくりの会社を探していてたどり着きました。やって覚えるタイプなので、場数を踏んで成長したかったんですね。ここなら一から十までやれて、身につくスキルが多いと思って決めました。本来、つくるより検査したり分析したりしたいタイプでもあります。でも、つくる仕事も一つひとつ着実にやって、それなりに達成感を感じています。以前いた会社は規模が大きくて、それはそれで良さもあったのですが、ここは人が少ない分、裁量が大きくて自由度が高い。私は、明確な目的を共有してもらって、求めにかなう役割を果たそうと取り組むのが好きです。ここで仕事がキツいと思ったことはありません。これから人が増えたとき、リーダーになれるよう頑張ります。

編集後記

津田さんに趣味を尋ねると、「子育て」との回答。子どもには、「継いでほしいとはさらさら思ってない」一方で、買ってくるばかりではなく、つくるということを知ってもらいたいとおっしゃっていました。だから仕事場を見せるようにしていると。「鉛筆なんか持つな、やすりを持て!」と言われれば、それは反発するでしょうが(笑)、ものづくりが身近にあるということは、それだけで大事な教育であろうと感じます。プラスジャックの製造工程は、フレームが型からポンと出てくるのとは程遠いもので、これまで「メガネって高いな」と思っていたことを反省しました。近いうちリーディンググラスが必要になったら、「プラスジャックさんのを買いたいですよね」と、話した帰り道でした。(2021年12月取材)

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