茨城県牛久市で昭和37年(1962年)に創業。「ヤマイチ」のヤマ(山)は地元茨城の筑波山。その麓で一番おいしい味噌をつくろうと、つけられた屋号だそう。戦後、食糧に事欠いた時代に製麺業を始め、その傍ら麹づくりもしていたことから、地域の求めで次第に味噌づくりを本格化。現在は自家醸造による約10種類の味噌を製造、販売しています。10名ほどの従業員は、うち半分が家族。ソフトクリームなど、味噌を活用したオリジナル商品のほか、定期開催の「みそ造り教室」も好評です。
キラリと光る会社第20回は、ヤマイチ味噌の坪井孝賢専務にお話をお聞きしました。
—坪井専務のお祖父様が始められたご商売、前身はうどん屋さんだったそうですね。
坪井さん:そうだったらしいのですけれど、父に聞いてもなぜか詳しいことはよくわからないんです。
—お父様で二代目ですもんね?何代も前のことでもないのに…(笑)。
坪井さん: そうなんですよ。なんでなんでしょう。うどんの麺をつくっていたのは間違いないようなのですが、近所の人に聞いても、よく知っている人がいなくて「そうだったらしい」というウワサみたいな…(笑)。
—あはは。三代目の坪井さんは、子どものころからお味噌屋さんになるつもりだった?
坪井さん:いえ、それが違いまして。両親には「継がないか?」と言われていたのですが、僕にはぜんぜんその気がなく、味噌屋なんて他人事だと思ってました。中学からの仲間と、ずっと音楽やってたんですよ。ロックで食べていきたかったんです。でも、続けられませんでした。バイトしながらライブハウスをまわる生活を高校卒業後25歳までやって、僕もメンバーも疲れちゃって、モチベーションが保てなくなりました。音楽ではない将来を考えたときに初めて家業が目に入って、東京農大短期大学部の醸造学科に入学し、二年間専門的に学びました。うちのような味噌屋のほか、醤油屋さんとか酒蔵とか、発酵に関係する家業の後継ぎや、そういった仕事に関心がある学生が通う学科です。僕は年齢的にも経歴的にもちょっと異色だったから、ほかの学生も興味を持ってくれて楽しかったです。卒業したときは27歳でした。
—卒業後、すぐには牛久に戻らなかったそうですね。
坪井さん:九州の、同業の会社さんで1年修行させてもらいました。そのまま戻ってうちでやるより、ほかも知ったほうが勉強になると思い、大学の研究室の先生にお願いして探してもらったんです。先生の「ふたりで行きなさい」の言葉に、いまの奥さんを、「九州に行かないか」と誘いました。まぁ、そこが関門だと思っていたのですが、思いの外すんなりと賛同してくれて、ふたりそろって修行することになりました。修業先でもとてもよくしていただいて、充実した1年になりました。
—おふたりで修行とは、いい方を見つけられましたね!
坪井さん:そうですね(笑)。僕とはまったく違う視点を持っている人なので、出てくるアイデアも違って、いまもとても助かっています。ふだんは事務をやってくれているのですが、いまでは数種類ある味噌スイーツも奥さんの発案です。店のポップのほか、かわら版のようなものをつくってくれたりも。
—かわら版というのはサイトに載っている「よもやま話」ですね。見ました!ほのぼのしました。
坪井さん:そうなんです。気づけば自分一人でつくっていて感心しました。
—坪井さんご自身はいま、味噌づくりについてどう感じていらっしゃいますか。
坪井さん:はい。僕には経験が圧倒的に足りてなくて、自分の中で明確にしなくちゃならないことがいまもたくさんあります。わかってはいるけど、なかなかクリアできません。やればやるほどむずかしいです。どんなことも「ちゃんとやる」ってむずかしいですよね。でもその分、やりがいはあります。
—音楽のほうは残念だったのかもしれませんが、いまこうして打ち込めていて、良かったですね。
坪井さん:はい、いまにして思えば、実家がこういうことをしているのは貴重でありがたいことですからね。特に麹の温度管理のために、朝早く夜は遅くなりがちで、きつい仕事ではあるんです。経営的にも余裕はないです。でも、つくって喜んでもらえるから続けられます。
—社長であるお父様はすごいですか。
坪井さん:まだまだぜんぜん追いつけません。比較するのもおこがましいですね。研究熱心だし、すごいと思います。肉体労働なのであまり無理はさせられないのですが、まだ頼っている状態です。同じ世代の仲間で、やはり家業の後継ぎは、「上に父親がいたときはどれだけ恵まれていたか」と言います。そうなんだと思います。この先さらに頑張らなくてはいけません。
—でも、家業には見向きもしなかった息子さんがこのようになられて、きっとご両親もお喜びでしょう。
坪井さん:どうですかね。ロックだけに、昔はトガってまして、反骨というか。それがいまは、不満を持つということもなくなっちゃいました(笑)。
—不満を持つことがなくなった(笑)。それもある意味すごいですね。では、そんなに丸くなられた坪井さんのつくる、ヤマイチ味噌の製品の特徴を教えてください。
坪井さん:うちでは、いまではもう珍しくなった木桶を使ってつくっています。木桶には微生物が残っていて、その微生物の働きでオリジナリティのある味わいの味噌ができます。醤油や酒もそうなんですが、漉さずにそのまま完成させる味噌づくりにおいては特に、樹脂製やステンレス製の容器のほうが扱いやすいんです。ただ、木桶でつくる味噌の風味が捨て難くて、頑張ってそれを守っています。
—いわゆる「昔ながらの製法」ですね。
坪井さん:そうなんです。でも、うちも一時期は大量生産に近い方向に走ったこともあったんですよ。バブル期には出荷量がいまの3倍ありました。いまの時代、そんなときと同じやり方で経営を続けてゆくのは無理だと思い、方向性を改めたんです。もっと地域に即した商売にしよう、品質にこだわって、こだわりを持っているお客さんに届けようと。直売店を設置したり、「みそ造り教室」を始めたりしたのもそうした考えからです。
—「みそ造り教室」はとても人気なんですね。でも、この辺りのお客さんがみんなお味噌を手づくりしだしたら、こちらのお味噌が売れなくなるってことはないのですか?
坪井さん:ははは。そうですね。でも、どのようにできるかや、手づくりのおいしさを知ってもらうことのほうが大事かなと。
—確かに、違いは理解してもらいたいですもんね。お味噌屋さんが身近になるという点でも良いですよね。納得です。
—それにしてもこちら、直売店の品揃えを見ても、お味噌屋さんとして工夫されてきたと、うかがい知ることができますね。
坪井さん:商品開発に知恵をしぼっていった結果、少しずつ増えてきました。味噌のほか、味噌を利用した調味料やお菓子などもあります。味噌は、主原料の違い、配合や麹歩合、熟成期間などを変えると、いろいろな種類をつくることができます。でも最後はお客さんの好みですかね。気に入った味噌を見つけてもらえると嬉しいです。
—お味噌も一つひとつ、見た目もぜんぜん違いますね。どのあたりが人気ですか。
坪井さん:昔はしっかり長く熟成されたものが支持されましたが、いまは熟成が短めの、白っぽい色の味噌のほうが好まれる傾向にあります。味噌というのは一度これと決めると浮気されにくい商品らしいんです。多くのご家庭がいつも決まったお味噌を使っていらっしゃるので、そこからうちの味噌に乗り換えてもらうのはけっこう大変です。
—浮気されにくい…。ということは逆に、一度ヤマイチ味噌さんのものに決めてもらえれば、末長くおつき合いしてもらえる可能性も高くなるといことですね。子どものころ口にしていたお味噌汁のお味噌に使われていたら、それがずっと馴染みそうです。
坪井さん:うちはこのあたりの保育園や小中学校の給食にも使ってもらっているので、大人になってから「なつかしい」と思ってもらえる味になれたらうれしいです。
—それは素敵ですね。地域の味。ところで先ほどから気になっていたのですが、それぞれのお味噌の説明書きにある「酒精無添加」ってなんですか。
坪井さん:酒精は、味噌の発酵を止めるために添加されるものです。スーパーなどの小売店で販売されている味噌には添加している商品が多いです。これを使わないと発酵が進んで、パッケージがパンパンになってしまうんです。味噌中の酵母菌が炭酸ガスを出すためです。酒精無添加の味噌はよりデリケート。うちでは直売店とネットでのみ販売しています。味噌は生きているので、購入後はなるべく冷蔵庫で保管してください。発酵を抑えられ、風味や味がかわりにくくなります。
—デリケートなんですね。でも、いろんな中から選べるし、贅沢ですね!特にお近くにお住まいでまだお試しでない方には、どんどんこちらのお味噌に浮気していただきたいですね(笑)。
この道40年。研究熱心で、昔ながらの「麹蓋法(こうじぶたほう)※」を復活させた。「親子そろって裏方タイプ」だそう。無口な職人気質の人物を想像していたら、拍子抜けするほどほがらかで、「養子だから」とにこにこ笑っておっしゃる社長さんでした。直売店イチ押しの味噌ソフトクリーム(クセになるおいしさ!)を手に。
※蒸した米に麹菌を繁殖させる麹づくりを、木製の盆状の容器・麹蓋(こうじぶた)を用いて行う方法。日本酒の酒蔵でも一部行われており、機械化される以前のやり方であることから、在来法とも呼ばれる。
味噌づくりは、今日うまくいったと思っても、明日はうまくゆかない。同じようにやってもいつも違う。いつも違うので、いろんな角度から答えを見つけてゆくところがおもしろい。この繰り返しで、いくらやっても日々勉強です。時代の流れについてゆくのが大変で、悩んだこともあるけど、不器用だから続けるしかありませんでした。息子には言ってやりたいと思うときもあるけど、自分で考えて見つけてゆくのが大事だと思うので、言わないようにしています。やっていて一番うれしいことですか?やっぱり、お客さんにおいしいと言ってもらえることですね。
お二人して、「本当言うと、つくることだけしていたい」と、もじもじおっしゃる控えめな坪井さん親子。売るほうはそれほど得意ではないそうですが、地元の方が、「素晴らしいお味噌屋さん」と太鼓判を押した取材先でした。ここ数年ずっと、北海道で、黒千石という豆をこだわって栽培している友人のところの、手づくり味噌を使っています。坪井専務にそのことを話すと、「いやぁ、それは絶対おいしいでしょう!間違いないですよ」と目をキラキラとさせて。この方は本当にお味噌が好きなんだなぁと思いました。友人特製のお味噌も、確かに格別なのですが、坪井さん親子にお会いして、こんな人たちのつくるお味噌がおいしくないわけがないと思いました。せっかくなので、家にある黒千石のお味噌とはまったく違うタイプの、麹たっぷり甘口のお味噌をいただいて帰りました。めちゃくちゃおいしかったです。量り売り、地域の方がうらやましいです。(2019年2月取材)