キラリと光る会社
静かに火を灯す。100年の、日本のろうそくのあかり

有限会社大與(だいよ)

大與イラストイメージ

和ろうそく大與は、滋賀県高島市で100余年にわたり伝統の和ろうそくをつくり続ける専門店。櫨(はぜ)の実や米ぬかを原料とする和ろうそくは、国内にも数えるほどしか手がける職人のいない、熟練の技を必要とする手仕事によってできあがります。主として石油由来のパラフィンを用いる洋のキャンドルに比べて、匂いや、燃焼の際に垂れるロウが少なく、炎はしっかりと大きめです。永平寺御用達の大與の和ろうそくは、滋賀県の伝統的工芸品にも指定されています。
キラリと光る会社第16回は、大與の大西巧社長にお話をお聞きしました。

和ろうそく大與公式サイト

子どものころは恥じていた家業

—今では貴重になった和ろうそくですが、子どものころから見てきた大西社長としては、この道に入ろうと自然と思うようになったのですか。

大西社長:それが二十歳すぎまで、まったく考えてませんでした。子どものころは小汚ない仕事だと思っていて、家業がろうそく屋であることを恥じてましたから。儲かる商売でなくなってきて、廃業の危機も何度かありましたしね。

—それでも結局、四代目として家業を継いだ。

大西社長:就活のときに、いろんな職種の先輩方に話を聞いたんです。父にも聞きました。そのとき初めて、こんなに素晴らしい仕事をしている人がいるんだと気づいたんです。

—お父さんのことを。

大西社長:父はどん底の時代を経験しています。小規模ゆえに足元を見られて、安いものをつくり続けるか高くても品質にこだわるかの決断を迫られたとき、周囲の声をよそに、これでダメなら廃業だと決意して後者を選びました。そんなふうにしながら僕ら子どもたちを育てて、大学まで行かせてくれたのかと思ったら、たまらなくなりました。

—それで決心されたのですか。

大西社長:やりたいと思いました。父は、こんな仕事は息子以外に継がせるわけにはいかないという考えだったようです。でも、まずは「外の釜の飯を食って来い」と言われまして、3年間、京都のお香専門の会社にお世話になりました。

大西社長

大與のあるのは琵琶湖のほとりの町、滋賀県高島市。知らないと意外な感じもするが&地元の人はひょっとしたら否定するかもしれないが、お話になる言葉は印象としてほぼ関西弁。大西社長もそう。

家族三代、ケンカしながら、仲良くしながら

—では、会社員も経験されているのですね。

大西社長:うちと違い、業界では規模の大きな会社でした。面接のとき、「家業を継ぎたいから3年で辞めていいですか」と聞いたんです。するとあちらの社長さんに「入社して3年は会社としての投資。そのあとやっと回収できるのに、辞められたら損害だ」と言われました。もっともですし、これは落ちたなと思ったのですが、先方の男気でしょうか、採用してくれて。実はそこは、父が高卒で就職した会社でもあったんです。多くを学ぶ機会をもらった分、短い間ですが精一杯頑張ったつもりです。

—3年間の会社員生活で、心変わりはなかったのですね。

大西社長:ありませんでした。でも実は、継ぐと先に言っていたのは弟だったんです。僕が手を挙げたことで、父に「お前はあきらめろ」と言われた弟は、「なんでお兄がやるんや!」と怒って。反発するのも無理ないですよね。大げんかになりました。父自身が兄弟でやり始めて失敗したために、僕らには同じ轍を踏ませたくなかったようです。

—その後、弟さんとの関係は大丈夫でしたか…?

大西社長:結局、100周年を迎えた2014年、僕が社長になって、そのとき弟にも入社してもらいました。生産管理やマネジメントを担当してもらっていて、幸い仲良くやれています。

—ご家族であるだけに、悲喜こもごもが濃いですね。

大西社長:そうですね。うちは仕事場に、父に母に祖母に、そして弟でしょ。遠慮がないのでケンカもします。いや、ケンカばっかり(笑)。だけど商売だから話をしないわけにもいかないので、そうこうしてるうちにいつの間にか忘れていたり…。そんなことの繰り返しですね。

櫨のろうそく

櫨のろうそく。ほんのり緑色がかったこの色が櫨ロウの特徴で、手づくりならではの風合いがある。

櫨の実

そしてこれがその原料の櫨の実。現在はほとんどが九州産だそう。大與の包装紙(すごく素敵!)には、この櫨の実のイラストがあしらわれている。

季節を十回経験し、一人前の職人に

—大西社長は職人でもあるのですよね。

大西社長:そうです。櫨(はぜ)ろうそくは、父と僕とでつくっています。

—職人になるまでには時間が必要でしたよね?

大西社長:10年で一人前と言われています。形にするだけなら3年でできるのですけれど、温度の違いなど外的要因だけではなく、つくり手の心身の状態までが影響して、できる本数にムラが出ることもあります。10年というのは、季節を10回、繰り返し経験するということ。どんな環境でも、自分がどんな状態にあっても、同じようにつくれるようになるまでにそれだけ要するんです。40回経験してる父には、やっぱり敵いませんね。

—はぁー…、すごい。尊敬します。毎日毎日ですもんね。

大西社長:そうですね。初めてロウに触れたとき、「気持ち悪い」と思いました。小さいころは毛嫌いしていましたから、 触ったことがなかったんです。それ以来真面目に取り組んで、それなりになったつもりですけど、今でも、弟だったらもっとうまくやれていたと言われています(笑)。

—あはは、そうですか。ご家族5人のほかにも、製造に携わる従業員の方がいますね。

大西社長:はい、パートさんが5人。パートさんといっても、ほとんどがやはり、季節を10回経験済みのベテランです。教えるのも教わるのも大変な作業なんです。

櫨ろうそくの手がけ。

櫨ろうそくの手がけ。手で芯の周りにロウを塗り重ねては乾かす。これを繰り返すことでろうそくができあがる。「お金儲け度外視でやってると言えば嘘やけど、文化守りたいと」と語る三代目は、この道40年の日本で指折りの職人。

和ろうそく屋は誇り。儲からないけど最高

—毛嫌いしていたろうそく屋さんという家業を継いで、今はどう思っていらっしゃいますか。

大西社長:誇りですね。残るべき、残すべき仕事だと思っています。ろうそくは、火と人間の暮らしの間でバランスをとるのにちょうど良い道具で、発明品ですよ。音楽と肩を並べる大発明だと思っています。独自の世界観を持つ和ろうそくは、自然から分け与えられたものを余すところなく使い切る、環境にやさしい製品でもあります。

—仏具としての需要が大きいと思いますが、そうではない使い方も提案されていますね。

大西社長:そこは最大の課題ですし、もっともっと可能性を広げてゆきたくて、力を入れています。hitohito(ひとひと)という、ろうそくのあるライフスタイルを提案するシリーズを立ち上げて、いかに生活に取り込んでもらえるかに挑戦しています。放っておけるものだけで完結している現代の暮らしの中に、火という放っておけないものを招き入れることで生まれる豊かさが、僕はあると信じているからです。

—そこは深いですね。つまりは、そうゆう時間を持つということだし、そうゆう感覚を身につけるというか、呼び覚ますというか。

大西社長:そうなんです。 ろうそくにならできるというか。

—さすがにすっかり、和ろうそくを愛する四代目ですね。素敵です。

大西社長:儲かりませんけどね、最高なんです。手をかけて大事につくるものとはいえ消耗品。消えてなくなるものに、それほど値段はつけられないと思うんです。必要以上に儲けようとすると品質を落とさないといけない。それって僕らにとっては嘘をつくのと変わりません。細く長く使い続けてもらえるものを提供するのが誠意かなって。でも僕ら自身、この商売だから「足るを知る」ことができているのかもしれませんよね。あとやはり、家族だからできるんでしょうね。

色づけ作業

米ぬかのろうそくの色づけ作業。持ち場にいらした女性はここで働いて22年、「新人のころはろうそくに追われる夢を見ました」と笑っていらっしゃいました。

集合写真

手前右が弟さんの央(ひさし)さん。写真は遠慮すると逃げ回って?いらしたのですが、微かに笑ってくださいました。

イチオシ 大與のじまんの人 大西みよさん
大西みよさん

大正14年生まれの92歳!息子さんである三代目曰く「超人」で、共に仕事をしながら畑もやっていて、ひ孫を背負って歩くことも。「このままいけば150歳ペース」と周囲に囁かれるアイドル的存在。

24歳で嫁いできてからずっとこの仕事よ。百姓しか知らなくて、銀行にだって行ったことなかったんだから、嫁いでから苦労しましたよ。昔は、子どもを自転車に乗せて配達やら集金に回りましたね。今はもう、仕事してこそだから、続けてこられたのがいいことです。置いてもらえて良かったですよ、年寄りだから来るなって言われたら来られないでしょ。ここでみんなに会えて、若い人にパワーもらえて、ありがたいですね。趣味ですか?ないですね、ろうそくだけ。あ、でも、水谷豊と嵐が好きよ。番組は欠かさず見るの。あと、「鶴瓶の家族に乾杯」も大好き。今の社長は仏事だけじゃないものつくってるでしょ。新しい時代に挑戦しててえらいですよ。

編集後記

大與の工房は美しかったです。無駄のない動きによって完成されてゆく和ろうそく、米ぬかのろうそくを色づけする鮮やかな染料、二代目の時代からの、ロウを溶かす専用鍋をはじめ、年季の入った道具類も美しかったです。年季の入ったつながりは失礼かもしれませんが、極めつけは、取材時にもろうそくの「バリ取り」で戦力となっていた92歳のみよさん。美しかったです。

実は大西社長が、インタビューの冒頭くらいのところで感極まる一幕がありました。継がれるまでの経緯のお話中、お父さまである三代目のご苦労について触れていたときです。淡々と論理的に話される方でしたが、思いは熱かったです。そんな場面に遭遇したものですから、あとに垣間見た、毎日顔を合わす職人ファミリーならではの、お互いに対する少々ぞんざいなような言葉のかけ方にさえ、感じ入ってしまいました。

技術と手間の積み重ねでできあがる和ろうそくは、実用品であり消耗品。でもそれが、ろうそくの炎の儚さを、より美しくしているように思います。灯してみると、きっとわかりますよ。(2016年12月取材)

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