キラリと光る会社
岐阜県発「30年後も愛されるおやつ作り」サクサク、カリカリ、しあわせおやつ

合名会社山本佐太郎商店

●02イラストイメージ

岐阜県の山本佐太郎商店は、現代表のひいおじいさんの名を冠する、明治9年創業の会社。栽培が盛んだった菜種を圧搾して売ることから始まった、老舗の油屋さんです。戦火による消失を経て業務用の卸問屋に転じてからも、油を中心とした商材で、地域で商いを続けてきました。先代の急逝により、心の準備をする間もなく、22歳で会社を継いだ山本慎一郎社長。その約15年後、長く生き残るためにも、あたらしい価値をつくり出さねばと、和菓子職人とタッグを組んで開発したのが「大地のおやつ」です。
キラリと光る会社第15回は、山本佐太郎商店の山本慎一郎社長にお話をお聞きしました。

大地のおやつ公式サイト

新米ヒッピー社長が、先代と社員、お客さまに助けられて・・・

—山本社長は四代目。若くして会社を継がれていますね。

山本社長:先代である父には、継げと言われたことはありませんでした。ただ、父は商売のことを楽しそうに話す人だったので、面白そうだと思って育ちました。小学校の文集には、「店を継いでビルを建てる」と書いてましたね(笑)。でも、実際に継ぐことになったのは、父が病に倒れたからです。入院して一ヶ月で亡くなってしまったので、引き継ぎどころではありませんでした。

—ご苦労されたのでしょうね…。

山本社長:当時22歳。僕ひとりだったら無理でした。同年代で、入社したばかりの国枝と二人三脚。彼がいなければこの会社はなかったですね。

—入社したばかりの社員に助けられた。

山本社長:そうです。彼は居酒屋出身でしたから、うちのような問屋のイロハを知っていたわけではありません。ただ、右も左もわからない中、一緒に無我夢中でやってくれた。僕なんか、音楽好きのヒッピーカルチャーかぶれで、「LOVE&PEACE!」とか言って、長髪にやぶれたジーンズの若者だったんです。お客さまに怒られました。

—怒られましたか…(笑)。

山本社長:今思えば本当にありがたいです。だって、中途半端な若者に代がわりして、黙って離れてゆくこともできたのに、叱ってくれたんですから。お客さまに育てられました。先代、先々代がそれだけの信頼を築いてくれていたからですよね。店を継ぐということは、お客さまを継ぐということでした。

山本社長

オーバーオールがトレードマークの山本社長。

気鋭の和菓子職人と出会い意気投合

—特に身近だった、お父さまの背中は大きいですか。

山本社長:大きいです。亡くなってからお客さまを通して知る父は、僕の知らない、僕のできないことができる人でした。これもあとから振り返って思い当たることなのですけれど、父は一人っ子の僕を、小さいころからよく食事に連れて行ってくれたんですね。今にして思えばちょっと特殊なくらい、いいお店に連れて行ってもらいました。結果的にそれが僕の、食への興味を育ててくれたんじゃないかと思うんです。

—すごく、いいお話です…。初めて「大地のおやつ」を食べたとき、おいしくて、ちょっと驚くくらいでした。ただ者じゃないと思って裏面を見たら、岐阜県の会社。この会社はなんなのだ?と正直思いました(笑)。

山本社長:あはは。いい巡り合わせで、気鋭の和菓子職人「まっちん」と出会って、誕生させることができました。山本佐太郎商店はずっと、地域に根づく問屋としてやってきたんです。それは今も変わらず大切な事業です。ただ、継いで以来なんとかやってきて、少し落ち着いて先を見ようとしたら、あたらしい価値をつくり出せるようでなければと考えるようになりました。そんなとき、同い年のまっちんと出会い、意気投合して。問屋としては地域密着、菓子事業では岐阜から全国に発信という展望を持つことができました。

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どれも素直なおいしさの「大地のおやつ」だが、岐阜県春日村の在来種のほうじ茶が使われているもの(“大地のかりんとう”の天空の古来茶味)があるなど、要所要所、ふつうではない!

30年後も愛されるおやつを

—大地のおやつのコンセプトは、「30年後も愛されるおやつ作り」ですね。

山本社長:はい、それを目指しています。だから、安心で、気軽で、飽きがこないことにこだわって開発してきました。手間ひまはかかりますが、自信を持てるものだけをつくりたかったんです。

—コラボによってできたところも素敵だと思います。

山本社長:素材選びやレシピを担うまっちんは、本当にすごくて。製造は製品ごとにメーカーに委託するのですが、例えば、「こうゆうビスケットをつくりたい。でもショートニングは使いたくない」と、最初に言うだけで「無理です」となることがあります。ところがまっちんが、理想の食感を実現する配合を持参して、相手をうならせる。

—そうだったんですね。すごいなぁ。パッケージも素敵なので、贈り物にもできるおやつです。

山本社長:そこもこだわっています。誰にとっても身近な商品にしたいと願っていますが、一般のスーパーでは、中身が見える包装で、値段も半額じゃないと売れないと言われるんです。パッケージは、単純にデザインを追求しているだけではなく、遮光性という大事な機能を果たしています。妥協しては本末転倒なので、材料も安全性とおいしさを優先しています。それから、袋詰めを機械ではなく人の手でおこなうことで割れを最少限に抑えるなど、ギフトに耐える製品づくりにも努めています。

「ツバメサブレ」の袋詰め作業

滋賀県産の希少な古代小麦でサクサクに仕上げた人気商品「ツバメサブレ」の袋詰め。隣町にある授産施設(障がいのために一般企業への就職がむずかしいとされる人たちが就業し、自立を促す施設)e-パックにて、丁寧に手詰めされている。

ライフワークを楽しみながら、「中期計画」もちゃんと!

—だから取り扱いを、スーパーではなく別の業態に委ねた。

山本社長:商品のコンセプトまで伝えてもらえるライフスタイルショップと直接取引することに、活路を見いだしました。現在までに全国で300店舗くらい、おかげさまで年300%以上の成長で推移しています。

—300%!

山本社長:もとが小さいので…(笑)。

—約20年前に継いで、叱られながら無我夢中でやってきたお仕事は、今は楽しめていますか。

山本社長:楽しいです。従業員に同じことを強いるわけにはいきませんが、僕自身は仕事と遊びの区別がなくて。食べるということに真剣に関わって、それをライフワークにしてゆきたいという思いがあります。毎日の積み重ねが命をつくるのだし、なにより、おいしいものは人をしあわせにすることができますから。

—今後に向けて、考えていることはありますか。

山本社長:最終的にこうなりたいと描くことはなくて、人との出会いによって柔軟に変わってゆくのがいいと思っています。だから、出会いはうんと大事にしたいです。それから、40代になって、経営者としても、ふたりの小さな子どもの父親としても、自分だけのことではないという思いが強くなりました。遅ればせながら、次世代のことを考えるようになりました。

—ヒッピーに憧れる若者だったのに(笑)。

山本社長:ですよね(笑)。でも、恥ずかしながら今も経営者としては本当にまだまだで、この間も従業員から怒られたんです。「ちゃんと中期計画出してください!」って。基本的なところが…(笑)。勢いだけでは、次のステージに進めませんよね。反省してがんばります!

「大地のおやつ」の倉庫

近年建てた「大地のおやつ」の倉庫。商品が大事にされていることが伝わる。

一家勢ぞろい

一家勢ぞろいで!

イチオシ 山本佐太郎商店のじまんの人 国枝寿典さん
国枝さん

1974年生まれの国枝さんは、20年来のベテラン社員。山本社長のお話にあった通り、会社にとってなくてならない大事な存在です。第一印象からどんな人にも好かれるであろうと思わせる方でした。

入社したてで先代が亡くなったとき、僕は結婚したばかりでもありました。不安もなにも、とにかく無我夢中でやるしかありませんでしたね。あのころは短い時間で一軒でも多く、早く配達するのが会社のためだと思っていました。それがそのうち、お客さまに話を聞いてもらう時間を割くほうが営業上いいと考えを変えました。今は、そうではなく、お客さまのお話を聞くことが大事だとわかるようになりました。お話をお聞きする中で、個々のお客さまに対してどう役立てるか考えることができるからです。昔は恥ずかしいことをしてたなぁと、振り返っては思います。入社して20年、がむしゃらな時代より今のほうが仕事が楽しいです。胸の「山本佐太郎商店」の刺繍を誇りに思っています。社長は損得だけで仕事をしない人。僕はこの会社が好きです。先代がいい仕事をして信頼を残してくれた分、自分も若い人に返したいですね。

編集後記

山本社長から、右も左もわからないところから二人三脚でやってきたというお話をお聞きしたあとだったので、国枝さんの、「この会社が好きです」という言葉にじーんときました。力んだ様子もなく、自然な笑顔で、少しうれしそうにおっしゃっていました。言葉を飾らない山本社長のお人柄や社風が、国枝さんの一言に裏づけられたようでした。
「大地のおやつ」を初めて食べたとき、袋菓子の域を超えたおいしさに感動を覚えました。いろんな種類を試しましたけど、どれもおいしくて、実直なお菓子でありながら、それぞれに、なにかしらグッとくるポイントがあるんです。いろんな人にすすめました。だから万一、取材に行ったら全然イメージの違う会社だったら嫌だなぁ、なんて思っていたんです。杞憂に終わって良かったです。(2016年12月取材)

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