青山店、銀座店。場所もさることながら、店舗の構えがただならぬ靴修理店。自らの靴修理を、おしゃれなファッションカテゴリーに仲間入りさせ、数々のファッション誌に取り上げられるのがユニオンワークスです。昔からイギリスの靴が好きだったいう中川社長。お店には英国が漂いますが、さりとてロンドンにも、こんな靴修理店は見当たらないそう。靴を持ち込むと、ネクタイを締めた靴のプロに“接客”される、Only Oneのスタイルです。いえ、スタイルのみではなく「世界で一番高額だけど、世界で一番の技術」と、胸を張って言い切る職人集団。社訓は「I'm Happy! You are Happy! Everybody Happy!」。一生ものを一生ものにできるようメンテナンスしてくれる会社です。
キラリと光る会社第10回は、ユニオンワークスの中川一康社長にお話をお聞きしました。
ユニオンワークス公式サイト
—ユニオンワークスは、靴修理の、というよりは、ファッション業界の新業態ですよね。店構えもですが、スタッフの方の雰囲気も接客も…。
中川社長:はい。既存の靴修理屋さんとはまったく異なるイメージを描いて始めてますので。僕は、靴も、靴の修理という作業も好きでしたけど、靴修理業や業界にはどうしても馴染めなかったんです。もともと華やかなファッションの世界に憧れて、大好きな洋服を売る仕事に就きながら挫折した経緯もあったので、この仕事を始めた頃はコンプレックスの塊でした。その反動ですよね。「ええっ、ここが…?」と思わせるお店にして世間を見返したいという、ほとんど執念ですかね。でも、青山に一店舗目を開くとき、周囲には「絶対無理」だと言われましたよ。成り立たないと。
—初めてだと必ず、「ええっ、ここが…?」と、思いますよね。お手本はあったのですか?
中川社長:最初から英国調にしたいと思っていましたけれど、ロンドンに視察に行っても、僕が理想とするような靴の修理店はなくて、むしろほど遠かった。だからお手本はありませんでした。いまだに通りがかりの人に、「イギリスの紅茶専門店?」などと思われることも多いですね。
—周囲の予想に反して、今では渋谷と川崎のあと、青山、銀座、新宿と店舗展開。熱心なファンも多いのですよね。
中川社長:夢のようです。地方から靴をお送りいただくことも多くて、靴好きの方から大事な一足一足を託されるのですから、身の引き締まる思いです。自分も靴が大好きなのでわかるのですよ。こだわりの逸品を販売するお店はあっても、同じくらいのこだわりを持った修理店は、かつてはありませんでした。思い入れのある一足に、代替品はありません。いつまでも大事にしたいからこそ、きちんとメンテナンスしたいのです。
—そうした思いのお客さんが多いほどに、修理する側としてプレッシャーも大きくなるのではないですか。
中川社長:もちろんです。まさに、失敗が許されない仕事ですから。
—スタッフの皆さんも、その緊張感は共通していますか。
中川社長:はい。うちは全員が職人なんですけどね、士気の高さにびっくりします。隠さず言いますけれど、仕事は本当にきついんですよ。きついからもたなくて、辞めるスタッフはすぐに辞めます。それでも残っている人間だからでしょうか、なんでこんなにやる気なんだ?と不思議なほどです。靴修理に関してはもちろんのこと、頻繁にネット上の口コミをチェックする修理スタッフがいて、「○○店でこういう接客をされてがっかりした」なんて見つけようものなら、みんなを集めて話し合い、その店舗にも電話をしてすぐに改善をはかろうとする。ユニオンワークスとしてのクオリティ管理を自主的にしているんですね。その原動力はなんなのか知りたいですよ。
—社長さんがそんな…(笑)。
中川社長:スタッフは本当にえらいと思います。20年間やってきて、僕はこころの狭い経営者でした。僕の場合、そもそも自分に協調性がないから、黙々とひとりで行う作業は性に合ってたんでしょうね。けれど、人を雇うようになっても、当初は「俺がつくった会社で働かせてやってる」という意識でしたから。残業代もないし、今で言うブラック企業ですよ。その頃に辞めていった人間を思い出しては後悔しますね。今ならあんな接し方はしないと。
—そうでしたか。なにかをきっかけにして変わられたのですか。
中川社長:店舗展開を始めた頃でしょうかね、これはもう、自分の会社じゃないんだと思うようになりました。ひとりでできるわけもないですから。誰もが欠かすことのできない立派な歯車で、 僕も歯車のひとつなんだと。みんなの会社なんだって。
—ちょっと今、感動しました。
中川社長:この仕事を始める前、洋服屋さんで働いていたと言いましたよね。おしゃれな世界に憧れて就いた仕事です。10万円、20万円という洋服に囲まれて少しだけその気になりましたけど、住んでいたのは家賃3万6千円の風呂なしアパートでした。二十代半ば、安い鮭弁食べながら、上等な洋服を売っていた。父親にこう言われたことがあったのを、まざまざと思い出していました。「世の中は1割の資産家と、9割の非資産家でできている。仕事に夢を見られるのは前者だけだ。お前は後者の家に生まれたのだから、仕事は食うためのものだと思え」と。
—厳しい…。
中川社長:父は自分にも他人にも厳しい人ですね。結局、僕にはこの世界は無理なのだという結論に至り、洋服屋を辞めます。華やかなカタカナ職業の夢に破れ、手先のことなら自信があるからと、靴修理の修行を始めたものの、コンプレックスは募る一方。今思えば自意識過剰かもしれませんけれど、おしゃれとはかけ離れた日の当たらない世界で、日々手を真っ黒にして。友だちや親戚にまで「なにやってるんだ?」みたいに見られて。それを跳ね返してここまできたという思いが転じて「俺の会社」だったのでしょうね。
—ですが、お父様には仕事に夢を見るなと言われた中川さんが、再び夢を見たんですね。そして実現させたのではないですか?
中川社長:夢は、全部叶いました!
—うわ、そう言ってのけた人に初めて会ったかもしれません!
中川社長:でしょう(笑)。
—素敵すぎます。
中川社長:修行を終え、世田谷の、住居を兼ねたアパートで、機械と道具を揃えて開業しました。そんなところにも、お客さんが来てくれた。僕に、靴を託してくれた。「ありがとう」と満足げな笑顔を見せてくれた。それでまず、コンプレックスが一気に吹き飛んだんですよ。それまで自分が見下されてきたことへの恨みつらみもどうでも良くなった。好きなことを一生懸命にして、お客さんが喜んでくれるんですから。そこから、既存のイメージを覆す店舗を夢見るようになって、実現して、50歳までに複数店舗にする計画も、2014年に5店舗目となる新宿店を出店して完了しました。
—これ以上の出店はなさらない。
中川社長:考えてませんね。植物と同じで、すぐに花を咲かせる店とそうじゃない店があるんです。少し辛抱して育てる必要がある店もありますから、腰を据えていかないと。全国展開は最初からイメージにありませんし、そういうものを追いかけて、全員が、常に全精力を傾けるって、なんだか違うと思うのです。そんな会社はたいがいうまくいかないように思います。
—なるほど。夢が全部叶って、次なる目標はあるのでしょうか。
中川社長:まだぼんやりなのですが、僕の頭の中でだけ、浮かんでいることならあります。僕ももう50歳。年長のスタッフも40代の半ばを迎えています。今の調子で仕事をし続けるのは、なにより体力的に難しいはずです。以前テレビで中華チェーンの日高屋の社長さんが、60歳以上になると中華鍋を振るのもきつくなるから、その年齢の従業員のために焼き鳥店を出店したと言っているのを聞いて感心しました。僕も、靴修理業でそういうことをしたいなぁと。
—いいですね。
中川社長:ユニオンワークスは、技術も値段も世界一です。でも、今のお客さんも年をとってきたら、今までみたく気張って最高を求めなくてもいいから、気軽に利用できるお店が欲しいと思うかもしれません。腕は確かだけど、年齢的に気力、体力が追いつかない職人が、ユニオンワークスの半分くらいの値段で修理する店もありなのではないかと。まだぼんやりとした構想ですけれど、これだけやってくれているスタッフのことですから、先のことも考えたいですよね。
—かつて「俺の会社で働かせてやってる」と思っていたという社長さんの言葉とは思えませんね(笑)。
中川社長:いや、僕は20年も、スタッフのことを考えなさすぎたんです。今一番気にしなくてはならないのは、店を増やすようなことではなく、内側のこと。スタッフの待遇ですね。まだ創業20年で、勤め上げた人間の前例もないから、ここも先のことは手探りですけれど。
—中川社長のそうした思いも、スタッフの皆さんの士気が高い理由のひとつなのではないですか。
中川社長:どうでしょうね。僕は、特に昔はすごく厳しかったから、一部の古参からは恐れられていると思いますけれど。
—何人かのスタッフの方とお話ししましたけれど、一様にキラキラしていらっしゃいましたよ。その口調から、「このお仕事が好きなんだなぁ」「ユニオンワークスが好きなんだなぁ」って思いました。
中川社長:そうですか?あぁ、それは嬉しいですねぇ。この先、そういうやる気のある若いスタッフに、少しずつ譲ってゆかないといけない部分があると思っています。年をとると鈍ってくる感覚があるのに、いつまでも自分のセンスが一番確かだと信じ込んでいるのは危険なことです。そんなだといつか「老害」と言われてしまう。
—老害…。
中川社長:創業者というだけで、誰にもものを言わせない。たくさん知ってます、過去の栄光を背負った、そういう裸の王様を。
—自分に厳しい人でないと、そうなっちゃいますよね。
中川社長:なにを目的にこの仕事をしているかというと、ベタだろうが「お客さんの笑顔」にほかならないんですよ。それが最終ゴール。自分がそれを妨げる存在になるくらいなら、はずれないと。
—かっこいいです。
中川社長:いえ、ユニオンワークスにとってその時期はでも、まだもう少し先ですよ(笑)。
2002年に入社し、2004年に初の路面店である青山店の初代店長を若干24歳で勤め、2011年には銀座店の初代店長に就任。いずれも旗艦店に育てた実績の持ち主です。中川社長に「弊社のスーパースター」と言わしめる人材で、最初から接客のプロだったのかと思わせるオーラを漂わせています。
ファッションが好きでアパレルメーカーに勤めていたのですが、洋服をつくることにはあまりピンとこず、夜間に学校で学んでみたら靴づくりのほうが向いてました。靴職人の求人がなかったため、人づてで知ったユニオンワークスにアプローチ。実は最初は、未経験者だからと、あっさり電話で断られたんですよ。ところがその数日後、忙しくなってきたから手伝わないかと連絡があって、手伝っているうちに時給が月給になって…。こんなに続くとは思ってませんでした(笑)。青山店の店長に指名されたときはプレッシャーでしたねぇ。最初の頃は1日の売り上げが3,000円なんて日も。社長とケンカもしました。だけどなんだかんだ言って、思いを拾ってくれる社長だと感じています。
いろんなお客さんと接して、修理のプランニングからお渡しまで、一貫して携われる今の仕事が好きです。同じコンディションの靴でも、「この先いくらかかってもいいから履けるだけ履きたい」と思ってる方と、「あと少し履いたら寿命にしよう」と思ってる方がいます。そうしたニーズをきちんと見極めて提案するようこころがけています。喜んでくれる姿を目の当たりにすると、やっぱり嬉しくなりますね。
「お客さんのため」「従業員のため」って、どの会社も言うことですが、それだけにみんな、信じなくなってますよね。中川社長は一見ちょっとコワモテだし、隙のない感じ。いかにもいい人そう、という印象には当てはまらないと思います(ごめんなさい)。だけど中川社長は、いいことだけを言わないどころか、「スタッフのことを考えてなかった」「自分は給料をもらいすぎていた」などとさらりとおっしゃるのです。そんな率直な方が、「なによりもお客さんの笑顔」「拡大より今いるスタッフの将来を考えたい」と、同じ調子でおっしゃるのですから、こちらも、斜めに見る目を持つ余地がありません。
修理を待つたくさんの靴が並ぶファクトリー。黙々と、真剣に行われる作業。見た目にわからないようでも、修理には個々に工夫もあるので、仕上がりをスタッフ間で見せ合い、「おーーっ」と言うこともあるそうです。修理しながら長く使うものには、新品にはない愛着が宿るものですが、あんなふうに直してくれているのだと知れば、その愛着も増します。人の手は偉大です。(2015年4月取材)