キラリと光る会社
ゴーヤカンパニー

ゴーヤカンパニー有限会社

ゴーヤカンパニーイラストイメージ

前職はプロのミュージシャンで、石垣島出身のBEGINや夏川りみといったミュージシャンとは古くから親交がある社長率いる食品加工会社。Webサイトを開くと、商品とあわせて、自主制作された商品のテーマソングやCMがどーん!地元スナックのママが歌うムード歌謡のCDなんかも制作されていて、これはかなり個性派!と、思いきや(個性的には違いありませんが)、製造されている食品は、愛する石垣島の原料にこだわり、添加物を加えずに素材の味を生かした、完全なる正統派です。掲げる理念は、“食を通し皆さんの食卓へ「笑顔」を届けること。音楽を通し皆さんの心に「笑顔」を届けること”。会社について知ると、その心意気はすぐに伝わってきます。
キラリと光る会社第9回は、ゴーヤカンパニーの伊良皆誠社長にお話をお聞きしました。
ゴーヤカンパニー公式サイト

ずっと音楽をやってきた社長がおこした食品会社

—伊良皆社長の前職はミュージシャンですね。東京でやっていらした。

伊良皆社長:はい。高校時代にバンドに夢中になって以来、ずっと音楽と縁が切れたことはないですね。大学卒業後にソニーレコード主催のボーカルオーディションを受けて、1万2千人の中から準グランプリに選ばれたんです。メジャーデビューして、ソニーから数枚のCDを出しています。その後、桑田佳祐さんのサポートボーカルをやっていました。ツアーに参加して、リハーサルボーカリストとして歌う仕事が多かったです。音楽以外では、2005年に石垣にUターンするまで、都内で八重山そばの店もやってました。

—本格的な音楽活動と、後半は飲食店の経営も。食品にはこの頃から関わっていらしたのですね。

伊良皆社長:その店のスタッフは全員ミュージシャンでした。楽しかったなぁ。ずいぶん繁盛してたんですよ。ただ、飲食店がうまくいったからといって、食品会社にスムーズに移行できるかというと、これはぜんぜん別ものです。父親の体調が思わしくないことを理由に戻る決心をするまで、名刺も持ったことのない男でしたからね。会社経営なんて素人以前ですよ。

—では、イチからノウハウを。

伊良皆社長:だって銀行とつき合ったこともないでしょ。それどころか、エクセルに触ったこともなかったんですよ。会社に関するすべてを、イチからというか、マイナスから学ぶ必要がありました。お金がないから人に頼むこともできない。その分、すべて自分の中に貯えられましたね。特許だって自力で取得しましたよ。

—すごい。そうか、ミュージシャンはふつう、エクセルを使う機会はないですもんね(笑)。相当ご苦労されましたか…。

伊良皆社長:もう、生きながらえるのに必死でした。貧乏との戦い!今晩なにを食べるのか、という状態で、家賃もお米も実家から援助してもらう時期もありました。なんとかやってゆけるようになったのは最近です。

—そうですか…。ゴーヤカンパニーの商品は、現在、どこのお土産物屋さんにも並んでいますよね。よく堪えてこられましたね。

伊良皆社長:音楽も10年かかったんです。夜中までバイトして、朝までギターの練習をした時代もありました。だから、同じように死ぬ物狂いでやった経験があったの。僕はもう25年以上、3時間睡眠。毎日通常の仕事を終えてから自分だけの仕事を始めます。それでも時間が足りないんですけど(笑)。

伊良皆社長

歌に作詞作曲に、音楽は今も現役バリバリの伊良皆社長。

属人的な仕事でいいんです!

—ええーーっ!毎日睡眠3時間…。

伊良皆社長:それは大丈夫な体みたい(笑)。ほら、ふつうはさ、そんなに忙しいなら人にやってもらうじゃない?でも、僕の代わりなんていないって思うんですよ。それは思い上がった意味ではなくてね、誰の代わりだっていないでしょ。ふつう、会社組織では逆の考えをするのでしょうが、僕は、仕事って本来、代わりのきかないものだと思ってるんですよ。替えのきかない仕事でいいとも思っている。人が仕事をするから、個性や感情があって、それがあるから生まれてくるものがある。ノウハウだけではできないことってあるでしょう。もちろん、この会社にだって役割分担がありますけれど、僕にしかできないこともあるわけです。

—一般に、企業では代わりがいないことをリスクとしますが、例えばデザインとか設計とかの会社だと、属人的であることは珍しくないですよね。音楽業界にいた方らしい考え方ですし、個人的には、十分、アリだと思います!でも、夜中におひとりでどんな「自分だけの仕事」をされているのですか?

伊良皆社長:いろいろですが、商品の構想を練るようなことが多いかな。うちの人気商品のひとつ、赤高麗辛子(あかコーレーグース)を開発するときはね、市販されているすべてのコーレーグースを味見しました。ものすごい数があるの。だからたぶん、すべてを集めて味見した人は僕しかいないと思うなぁ。理想の味と香りができあがるまで、配合とか、加工のしかたとか、どこまでもしつこく研究します。どんなことも、「これはいけるんじゃないか」と思ったら、必ず実行に移すことにしていますし。

—なんというか、ちょっと意外というか…。すごく愉快な会社に見えたので(笑)。

伊良皆社長:それはいいんです!見せ方は半分くらいはっちゃけた感じにしてるの(笑)。実際、楽しさも必要ですよね。でも、食品会社としては、本業を徹底的にやってますよ。真剣勝負です。音楽事業部のほうだって、もちろん真剣。プロとして、本物を届けています。

製造現場

清潔で整然とした製造現場。原料の一部は、今も地元の個人生産者から買い上げている。

定番特産品をつくって、石垣島に恩返しがしたい

—その、原動力はなんなのでしょう。

伊良皆社長:もちろん、自分や社員とその家族が食べてゆけるように全力を注いでいる、ということもありますが、石垣のため、これは常にありますね。

—ふるさとの。

伊良皆社長:役に立ちたいですよ。やっぱり石垣が好きだから。ここにいるとね、切羽詰まったときも5分で海でしょ。都会だとそうはいかない。そういう島に育ててもらったもの。お世話になった人もいっぱいいる。この島に恩返ししたいんです。

—今、ゴーヤカンパニーがしていることを通して恩返し。

伊良皆社長:石垣定番の特産品をつくりたいんです。それが島のためになると思うから。沖縄の食の定番の、泡盛だってラフテーだって、最初につくった人がいたわけでしょう。今、うちの会社の商品でいえば「島豚ごろごろ」。一番のヒット商品で、テレビ番組などでもよく、最強のごはんの友として取り上げてもらっています。これをふるさとの定番に育てたい。県外の沖縄物産展で販売するとね、通常の商品は試食した中で10人に1人の割合のところ、島豚ごろごろの場合は7人が買ってくれるんです。ちょっと驚きますよ。

—おお、それは、ほぼ万人が「おいしい」と感じる味ということですね!

伊良皆社長:万人といえば、某百貨店の沖縄物産展で島豚ごろごろを販売したとき、女性のお客さんが近づいてきてこう言ったんです。「震災のあと、子どもが(ストレスから)ごはんを食べなくなったんです。その子がこれを口にしてから、ごはんを食べられるようになって…」聞いて涙が出そうになりました。帰ってすぐ、入れていた島唐辛子の割合を下げて、小学一年生でも食べられるくらいに変えました。今も、「もう少しピリッとしてもいいのでは」という声がないわけではないのですが、僕らは島豚ごろごろを、食卓を明るくする商品にしたかったので、迷いませんでした。

—いいお話ですねぇ。「島豚ごろごろ」って、ネーミングもまた絶妙ですよね。

伊良皆社長:これも、子どもに言ってもらいやすい語感にしたくて考えました。それに、商品の中身がそのまま伝わるような名前をと思って。説明が必要になると、説明するのにお金がかかるし、お客さん目線でも、わかりやすいのが一番じゃないかなと。今はなんでもストーリーだストーリーだいいますけれど、いいものは理屈抜き!そうじゃないですか?

島豚ごろごろ

看板商品「島豚ごろごろ」は、粗挽きにした石垣島産三元豚の肉味噌。ほかほかごはんに載せると幸福の味♡

音楽も、食品も、プロとして同じこころで

—は、はい!(笑)本当ですね。それにしても、ずっと音楽に情熱を捧げてきて、音楽事業部をお持ちで今も携わっているとはいえ、切り替えて、これほど食品に力を注げるのは、やはりすごいことだと思います。

伊良皆社長:言ったように、今も、音楽にも真剣ですよ。右手に音楽、左手に食品、じゃないんです。真ん中で、両方やってるんですよね。ものをつくることには変わりない。ここまでくるのには時間がかかりましたけど、どちらも同じ心からできています。

—両方を、全力でやっていらしたからこその言葉ですね。

伊良皆社長:それだけは自信がありますね。東京で音楽やってた頃に鍛えられました。常識では考えられないような無茶苦茶な使命が与えられたことが何度もあって、未経験の楽器を、1週間やそこらでステージで披露できるレベルにするとか、何十曲もの歌を一日で覚えるとか、あまりのハードさに、10日で7kg痩せたこともあります。それでもなんとか切り抜けられるくらいにはものにしたものです。プロとしてやるからには、プロとして応えられなければダメですよね。

—プロとして…。はい。

伊良皆社長:今は食品をつくってますから、プロとして、品質を守るためなら究極の選択も迷わずします。ほんのわずかでも疑念があれば、絶対に流通させません。「あれだけ細心の注意を払っていたのだから大丈夫だろう」ではだめなんです。お客さんの口に入るものである以上、100%の確信が必要です。1%未満だろうと、揺らいだなら、一瞬にして損害が生じようが、どれだけ手間がかかろうが、それが会社にとっていかにダメージであろうと迷いません。

—食品会社としては、当たり前のことなのかもしれませんが、その覚悟が、かっこいいです。愉快だけど真面目。ゴーヤカンパニーは、伊良皆社長の印象と重なります。お会いできて良かったです。

伊良皆社長:ありがとうございます!また遊びに来てね。

—あはは。また来たいです。

伊良皆社長:きっと来てよ。友だちになろうよ。石垣に来たことがある人も、初めての人も、来たらここに遊びに来てほしい。買わなくてもいいからさ。僕はそういうのが好きなの。

伊良皆社長

重ねてきた苦労を感じさせない笑顔。会ったら誰しも好きになります!

歌の特産品CDアルバム

ゴーヤカンパニーの歌の特産品。地元スナックの現役ママが歌うムード歌謡(写真左)と、伊良皆社長、「じまんの人」宮良さんを含む地元の一流音楽家が結成したバンドのアルバム。

イチオシ ゴーヤカンパニーのじまんの人 音楽事業部 部長 宮良信博さん
宮良さん

2008年入社。自身もミュージシャンで、自主制作CMや、オリジナルCDの制作などを担っています。ニックネームはchochu(ちょうちゅう。小文字の英語表記にこだわりがあるそうです)で、由来は、足が速くて有名な、年上の先輩の名前からだそうです。

音楽事業部で手がける音楽は、社長が持つイメージを僕が形にしていきます。楽しいです。音楽だけでなく、Webも通販も、人がいないとなんでも担当しますよ。僕は高校卒業後、上京して音楽で食べていました。社長とはその頃から親交がありました。音楽活動は順調だったのですが、奥さんも石垣出身だったので、ふたりめの子どもができたときに帰る話になりました。音楽をやめてふつうの会社に勤めるのだとしたら難しかったと思いますが、今も自分の音楽活動は続けていて、ライブがあって東京に行くときも、社長が、何日でも休んでいいと言ってくれるんです。ゴーヤカンパニーは食品会社としては本当にちゃんとしていますよ。でも、カッコは自由だし、会社の中でも自分らしくいられます。全部社長のお陰だと思っています。僕は若い頃やんちゃで、どれだけ今の社長に叱ってもらったかわかりません。本当にたくさんのことを教わりました。心底慕っています。社長ですけど、今もこころの中では「誠にぃにぃ」って呼んでいます。

編集後記

ゴーヤカンパニーに伺って、伊良皆社長にお会いして、夜はしばしお酒もご一緒しました。伊良皆社長は熱いですが、ちっとも押しつけるようなところがなく、本当に気持ちの良い、ユーモアに溢れた魅力的な方です。「島豚ごろごろ」、お土産に配って、自分でもいただいています。伊良皆社長は、「今はなんでもストーリーだというけれど、いいものは理屈抜き」とおっしゃいましたけど、ゴーヤカンパニーと伊良皆社長のストーリーに触れた人間としては、そのストーリーから入っても、ファンになるしかありません。こうした人たちがつくるものが、おいしくないわけがないと思うからです。「じまんの人」宮良さんの、「こころの中では“誠にぃにぃ”と呼んでいる」というのがとても印象的で、島で生まれ育った人たちをうらやましく感じました。誠にぃにぃはきっと、ものすごくやさしい人なんだと思います。そう思うと、これまでなにをしてきて、今なにに挑戦しているのか、ゴーヤカンパニーでつくっているもののこだわりも、全部つながります。思い返しても、胸がいっぱいになります。(2014年10月取材)

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