キラリと光る町
12木曽町 本物をそろえたまち。今あるものの価値を活かして、次の時代に挑む。

長野県木曽郡木曽町

木曽町の所在地

木曽町は、2005年に4町村が合併して誕生した、人口約12,000人の山あいの町です。森林率は90%。木曽ヒノキを筆頭に、サワラ、アスナロ、ネズコ、コウヤマキの銘木は、木曽五木として知られています。霊峰と名高い木曽御嶽山、木曽駒ケ岳の名山を有する自然環境と、そこで育まれる豊かな水、今では貴重な日本在来馬である木曽馬、そして、江戸時代に京と江戸を結ぶ中山道の木曽路で、宿場町として栄えたことを伝える街並み。木曽町は多くの資源に恵まれた町です。2014年の御嶽山噴火災害を経て、どのような町づくりがなされているのでしょうか。
キラリと光るまち第12回は、木曽町の原久仁男町長にお話をお聞きしました。

木曽町公式サイト

「健康」にフォーカスした取り組み

原久仁男町長

—個性の異なる4町村の合併により、魅力が増した部分がある一方、さまざまな取り組みを推進するうえで難しい部分もあるのではないかと思います。

原町長:そうですね。旧町村はそれぞれに個性が異なりますから、ひとつの町として、すべて足並みを揃えようとすると、今もなかなか難しいところはありますね。自分の地域を良くしようとする気持ちはそれぞれに感じられるので、自主性に任せるところもあっていいと考えています。

—木曽町は、名山に銘木に名水、文化と歴史を感じさせる街並み、高原もあるし、木曽馬もいて、資源に恵まれた町ですよね。けれど、それにあぐらをかかずに、「ヘルスツーリズム」を掲げたり、スローフードを推進するなど、新しい価値観で攻めている印象を持ちます。

原町長:ヘルスツーリズムは、観光客の皆さんだけではなく、町民を対象にした、木曽町の「ヘルシータウン」構想の取り組みの一貫です。豊かな自然の中でおこなうウォーキングをプログラムの中心に据えた、皆で参加して健康になろうというものです。スローフードへの取り組みでは、この地方の郷土食である「すんき」を柱に推進しようとしています。すんきは、赤カブの葉を塩を使わずに乳酸菌発酵させた独特の漬物です。近年、発酵食品が脚光を浴びるようになってから見直されてきました。このあたりでは昔から、どこの家庭にでもある保存食で、ごくふつうのものと思われていたのですが、調べるほどに注目すべき効用がわかってきたのです。これをテコにして、新しい産業を興したいと考えています。

木曽馬

本州本土で唯一の在来馬、木曽馬は、外国から来たサラブレットに比べてずんぐりむっくり。日本人は親しみを感じる風貌!

今あるものの価値にこそ目を向ける

—どちらも新しいようですが、もともと持っているものを活かした取り組みですね。

原町長:はい。そこが大事なところです。木曽町もご多分にもれず、若い人が少なく、過疎化の進む町です。雇用の場の創出は最も重要な課題のひとつです。ただ、もはや背伸びをするには向かない時代ですよね。木曽町は、持てるものは多いのですが、それらをまだまだ活かし切れていない。私たち自身が、今あるものの価値こそに目を向けて、知恵を使い、工夫をして、その価値を活かすことが求められていると思います。

—そうした考え方で活性化を方向づけた方が、地方本来の魅力を引き出しやすいように思います。

原町長:そうなんです。地方が都会と同じような姿を目指した時代もありましたが、もう、そうゆうことではないと、誰もが気づいていますよね。私たちの町で、都会並みの収入を求めても、多くの場合は無理でしょう。だけど暮らしやすさの面では、都会に勝るところが多い。半農半Xに代表されるような考え方も出てきて、田舎ならではの可能性もあります。かつて4校だった高校は2校になり、中学校の統廃合問題も不安材料として抱えています。これ以上人口を減らしたくないとの焦りがないわけではありませんが、都会とは異なるやり方で、住む人に魅力ある場所にしてゆかなくてはなりません。

—住む人に魅力ある場所に。

原町長:そうです。観光地としてもですが、地元の人たちに、「ここにいたい」と思われるようであることが何より肝心です。親が子どもに、「木曽町はいいところだ」と、自然と言って聞かせるようであるのが理想ですね。

—そうであれば、地元の人が主体的に、この町の美しさや、文化を守ろうとしますものね。

原町長:その通りです。実際、自主的に花を植えたりと、そうした芽はあると思うので。

木曽副島の街並み

中山道の宿場町、木曽福島の街並み。路地に当時の面影を見る。

町を象徴する御嶽山。その噴火災害を経験して

—御嶽山の噴火災害では、地元自治体としてご苦労もあったと思います。

原町長:非常に衝撃的で、悲しい出来事でした。噴火が起こったのは2014年の9月27日。遅れた紅葉が見頃になった週末、ちょうど正午前の時間でした。人の多い条件が重なる中、最悪のタイミングで起きてしまいました。翌月の宿泊予約はほとんどキャンセルになり、地元としても大きな打撃を受けましたが、大勢の方がお亡くなりになった災害を前に、観光の復興を声高に叫ぶのははばかられました。一方、観光に携わる住民からは「冬が越せるか」という声も聞こえ、深刻な状況であったのも事実です。

—1年経って、状況はいかがでしょうか。

原町長:観光については、少しずつではありますけれど、回復傾向にあります。一時は、このあたりは「灰で真っ白」という誤解もあって、団体旅行のコースからもはずれました。商売をたたむような所が出ないよう、町としてできる支援はおこないながら、まだ、我慢の時を過ごしているところです。

—大きな災害はもたらしましたが、御嶽山は、古くから信仰の対象になってきた、特別な山でもありますものね。

原町長:そうですね。地元のみならず、多くの人に、長く大切にされてきた山ですから、複雑な思いもありますけれど、これからも、特別であることには変わりはないですね。防災に対する思いを新たにしながら、地元としてできる情報提供はこれまで以上にしっかりとおこなってゆきます。

木曽川沿いに建ち並ぶ崖家造りの家

木曽川沿いに建ち並ぶ崖家造りの家々。川遊びをする親子の姿に、日本の夏休みの原風景を見るよう。

原町長

木曽で生まれ育った原町長。地元の人の気質を、「人見知りするけれど、ひとたび打ち解けるとあたたかく、人間味がある」と語る。

木曽町のじまんの人 丸田正治さん おんたけ有機合同会社
丸田さん

旧木曽福島町出身で、生まれも育ちも木曽。子どもの頃、自然の中で夢中で遊んだ思い出は今も鮮明。現在所属しているおんたけ有機合同会社は、木曽町の開田高原の農産物を紹介するほか、地域の地産地消レストランを運営などをおこなう会社。

小さい時分から、山と川で遊んで育ちました。山では木の上にツリーハウスさながらの秘密基地をつくり、川ではもぐって魚を手づかみでとらえていました。野生児でした。父親に連れられてはきのこを採りに行っていたため、自然と食用を見分けられるようになりましたよ。ちなみに、この話をすると、特に県外の人には驚かれますが、マツタケは、下駄箱の上に転がっているような、よくあるきのこだと思っていました(笑)。この辺ではみんなそうじゃないかな。「冷蔵庫が空だから、マツタケで炒飯でもつくるか」のような…。夏に出てくるマツタケには、うなぎならぬ「土用のマツタケ」という呼び方もあります。食べるより採るほうが好きで、シーズンになるとソワソワしちゃいます。都会に憧れた時代はありましたけど、今は、なんにもないのも取り柄だと感じます。なんでも揃っていると、人の知恵がなくなりますよね。都会に行っても、今は2、3日もすれば帰りたくなります。

編集後記

一度でも木曽町に行ったことのある方は、この感覚を持つのではないかと思うのですが、この町に行くと、山が近いです。中心部から、手の届きそうなところに山があり、文字通り、山に抱かれた町。暑い夏、山の木々が一斉にシャワーを浴びるような夕立のあと、立ち上る水蒸気に包まれてゆくさまは、荘厳な風景をつくり出します。新しく町に住み始めた人たちが口々に絶賛する水が、あの山々から生み出されるのだと、理屈抜きで実感できます。「大自然」というには人の文化の色が濃く、開田高原の、夏でも朝晩冷涼な空気を胸に吸い込み、草を食む在来馬の姿を目にすれば、そこがリゾート地でもあることがわかる町。
「じまんの人」丸田さんが、「なんにもないのが取り柄」と言った木曽町。おっしゃるように、都会にあるようなものはありませんが、本物をたくさん揃えた、恐るべき町でした。

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