キラリと光る会社

62

オドアス

80〜90年代のロンドンを
共に駆け抜けた二人の、
豊かさをもたらすニットインナー

オドアス株式会社

オドアスが運営する同名(ODUS)のブランドは2018年にスタート。いずれも日本のメーカーが特許を持つ、特殊な加工の綿糸を、特殊な編み方で編み上げたニットの、インナーを中心に商品展開しています。立ち上げたのはアラカンと呼ばれる世代の男性お二人。かつてロンドンのクラブシーンを席巻したファッションブランドに在籍し、先輩後輩の間柄でした。「マーケットがあるかどうかもわからなかった」というこれまでにない商品ながらも、ブランドを代表するニットブラ「ブレス・コンフィ」が2022年グッドデザイン賞を受賞しています。
キラリと光る会社第62回は、オドアス 代表の須藤剛毅さんと、クリエイティブ ディレクターの谷垣春樹さんにお話をお聞きしました。

ODUS公式サイト

素材の良さは最大限、環境負荷は最小限のブランド

—お二人とも元々洋服のデザイナーさんで、ODUS(オドアス)のニットもさすがという感じではありますが、基本、肌着、ですよね。どうしてそれを選ばれたのでしょう。

須藤さん:谷垣さんとは若いころ、仕事でロンドンに行っていた時代に出会ったのですが、そこはのちほどお話しするとして、僕はそのあと、テキスタイルのデザインを手がける一方で、アウターのですが、ニットの企画にも携わっていました。その中で、現在ODUSで使用している「スーパーZERO」という素晴らしい撚糸(ねんし・糸を撚(よ)ること)工法を知ったんですね。この工法で仕上げた選りすぐりの糸の心地よさを最大限味わうには、直接肌に触れるものがいいだろうと。

谷垣さん:まずは、ずっと残っていく、本当にいいものを作りたいというのが一番先にありつつ、同時に、洋服を取り巻く現在の環境の厳しさもありました。ハイファッションかファストファッションかで二極化していて、その間の洋服づくりがむずかしい。それに、エコと逆行するようなものづくりはしたくなかった。ファッションって、全産業の中でも大量の水や燃料を使うんですね。それでいて、作るときにも作ってからも、すごいロスを出している。売れ残ったら廃棄したり…。60歳もすぎるのに、もうそういうのはやりたくなかったんですよ。だから、世の中の価値観への反骨とか、業界へのアンチテーゼ的なところもありました。

—そうか、ニットだと一本の糸から編み上げるので、裁断とかでのロスが出づらいし、通年の定番商品ばかりだとシーズンごとに入れ替えるロスも出ない。

谷垣さん:そうなんです。あと、ODUSはニットの特性を活かして幅広いサイズに対応する1サイズ展開なので、そこでもロスがない。

—そうかそうか!納得です。ではもう一つ。ブランドの顔的な商品のニットブラを含めて、女性用が多いですよね、それはなぜですか。

谷垣さん:そう思いますよね。おっさん二人でねぇ(笑)。

須藤さん:最初は男性用のショーツを作ったんですよ。立体編みで、よくできていると思います。楽だし蒸れないし快適そのもので、二人で試着して「これはいい!」ってなったんですけど、まぁ売れなかった(笑)。

—それで女性用に?

須藤さん:ODUSでは糸もですが、編み方も特殊で、ホールガーメントという、言ってみれば3Dプリンターでの造形をニットで再現するような技術を採用しています。縫い合わせる必要がなくて縫い目ができないから、肌当たりがよく、そこもインナーだとさらにメリットになりますよね。もともとメンズのショーツ用に考案した立体設計を、女性のブラに応用できないかと、これは谷垣さんが「絶対やりたい」と言いました。納得できる製品にするまでほぼ2年かかりましたけど。

—よく見ると、複雑な作りですもんね。

谷垣さん:伸びる部分と伸びない部分とで編み分けてあります。参考になるような製品が世の中にほぼなかったので、知り合いの女性たちに試着してもらいながら、試行錯誤を繰り返して。

—その甲斐あってグッドデザイン賞も受賞しましたね。

谷垣さん:愛用してくれている方々からの評判はすごくよくて、「ブレス・コンフィ」という商品名が意味する「快適な胸」というのは実現できたと思います。でもまだ、これからもっとよくしていきたい。

須藤さん:こちらの理想に近づけるのは現時点で限界で、これ以上は機械メーカーさんに機械の開発をがんばってもらわなくてはいけません。

—こんなニット製品を作るところはあまりなさそうだし……。

須藤さん:そうそう、ODUSがよほどビッグにならない限り、うちだけのために機械をあらたに開発してもらえるわけもない。

須藤さんと谷垣さん

新卒で、トイレ掃除のあとは「もう作ってた」

—ODUSがお二人の並々ならぬこだわりで誕生したというのはわかってきたので、このあたりでご自身のことをお聞きしたいです。ブランドの立ち上げは2018年とのことですが、お二人はそれよりずいぶん前からのおつきあいですよね。

須藤さん:谷垣さんは元上司です。僕は文化服装学院を卒業してから9年間、ミチココシノのアシスタントデザイナーをしました。3歳年上の谷垣さんは僕が入ったときのチーフで、東京とロンドンを行き来しながら、一緒に働きました。

—それで、親しくなられた。

谷垣さん:そうなんですけど、MICHIKO LONDON KOSHINOは当時のぼり調子でとにかく忙しく、じっくり話す機会はあんまりなかったんですよね。仕事はどんどん入るし、人はいないし、僕なんかもう、ひたすらパターンを引きまくってました

須藤さん:当時のロンドンでは、MICHIKO LONDON KOSHINOの服がクラブのパスになるくらいの勢いだったんですよ。ストリートファッションの草創期で、ブランドとしても、「クラブ行くならMICHIKO」の文化をつくろうとしてました。

谷垣さん:音楽と切り離せないブランドで、忙しくても、だからクラブのDJイベントにだけはよく行ってましたね。そうそう、久保田利伸さんの衣装も、デビュー当初からやってました。コレクションでただでさえ忙しいのにそんな仕事…。って、最初は思いました(笑)。

須藤さん:あ、それ僕、縫った!

谷垣さん:そうだよね。ちなみに久保田利伸さんは、聴いてみたらすごくよくて、にわかにモチベーション上がりました(笑)。

—ひとつ疑問があるのですが。時代的に、バブルの始まりのときくらいですよね?お二人も若いですよね?

須藤さん:僕が21歳で…。

—ちょっとよくわからないんですけど、有名ブランドですよね、お二人とも20代前半で、東京とロンドンを行き来してたんですか。そんなにいきなり戦力になる…というか、任せてもらえるものなんですか?

須藤さん:人がいなかったんですよ。

谷垣さん:そう、他にいないんで、一年の半分はロンドンや、あと、生地集めでパリにも行きましたね。

—いやいやいや、当時は特に、ファッションデザイナーって花形だったんじゃないですか?それにロンドンやパリなんてみんな行きたがったはず。お二人とも、大抜擢されたってことですよね。

谷垣さん:そんなことないですよ。僕も服飾デザインの専門学校出身なんですが、学生時代にこの職場でバイトしてたら、ちょうどデザイナーやパタンナーが辞めていなくなったタイミングで、全部やるしかなくなったんです。

—えええ、どうも信じがたいです。

須藤さん:会社の改革時期と重なったんですよね。古いおじさんたちが一掃されて僕らしかいなくて、まぁ、いまなら考えられないことですけど、やるしかなかったんですよ。新卒なのに、トイレ掃除の次はもう洋服作ってた(笑)。

※パターンメイキングと呼ばれる、デザイナーによるデザイン画をもとに、パターン(型紙)を起こす仕事。

ブランド名の由来は、『ODUS』を逆から読むと…。谷垣さん曰く、「社長は須藤くんだから」(笑)。

やさしい着け心地の「ブレス・コンフィ」は、就寝時を含めたリラックスタイムに。

高橋幸宏さんと同じ空気が吸えたらそれでよかった

—すごいお話ですね。でもその世界を志す人たちとしては大変なチャンス。お二人にとっても、ファッションデザインが夢だったんですよね。

須藤さん:僕は高校生のころからファッションデザイナーになりたかったですね。でも文化服装学院に行ったら、女性ばっかりでカルチャーショック。50人くらいのクラスで男性は3〜4人でしたから。

—そうなんですか!ファッションデザイナーって、男性が多いイメージが。

谷垣さん:一握りのトップデザイナーに関してはそうなんですが、全体でいうと圧倒的に女性です。

須藤さん:おかげで女性の友だちが増えたし、女性との友だちづきあいが得意になりました(笑)。

—それはODUSにつながっているかもしれませんね。谷垣さんも、デザイナー志望の少年だったのですか。

谷垣さん:僕はYMOの幸宏さんの大ファンで、どうにか接点を持ちたくて、幸宏さんはファッションの方もやっていたから、ファッションの道に進もうと。

—高橋幸宏さんの。

谷垣さん:そう。僕は真似してドラムもやってたんですけどね、もう、とにかくなんであろうと、幸宏さんと同じ空気が吸えたらそれでよかったんです。洋服は好きだし、MICHIKO LONDON KOSHINOというブランドのカルチャーも、権威的なものに迎合しないミチコという人も好きだったけど、僕自身がファッションデザイナーとして大成したいという気持ちは、それほどなかったですね。

—幸宏さんと同じ空気が吸えたら…。

谷垣さん:いや、ほんとにそう思ってたんです。

—そのような勢いのある時代に、勢いのあるブランドで、ロンドンで、クラブでハメ外しているうちに、自分を見失ったりしなかったんですか。

須藤さん:忙しすぎて、仕事するかクラブに行くかで、浮つくヒマもなかったんです。

谷垣さん:クラブは好きだけど、パーティーは好きじゃなかったし。

—パーティーピープルではないということですかね。ソーシャライズは好きじゃない。

谷垣さん:そうそう、それです。

—そんなロンドン時代を経て、須藤さんはテキスタイルデザイナーとして、素材開発などをされるようになる。谷垣さんは?

谷垣さん:僕はちょっと疲れちゃって、いったんアパレルから距離を置きました。レコードバーをやったり、趣味で、ヴィンテージの楽器のための金属製のスタンドの復刻版を企画して販売したり。

—ヴィンテージ楽器のための?

谷垣さん:YMOが使っていたやつの。楽器は残っていてもスタンドまでは残っていなくて、YMOのファンを中心に欲しがる人が結構いるんですよ。

—ここでも幸宏さんファンを発揮。

谷垣さん:そう(笑)。

—お二人には、仕事上の接点はなくなっていたんですかね。

須藤さん:はい。しょっちゅう会うこともない期間が15年くらいありました。2016年に、MICHIKO LONDON KOSHINOの30周年を記念して、ラフォーレ原宿でファッションショーを開催することにしたんですね。その2年くらい前ですかね、OBで集まって企画を考えて。ショーは成功裏に終えることができたんですが、谷垣さんとは、せっかくだからまた一緒になにかしようかと話して、それがODUSになっていきました。

須藤さんは、いつかまた洋服も手掛けたいと、胸に秘めている。

谷垣さん、もはや究極の推し活と思うほどの人生、聞けば愛車も、高橋幸宏さんと同じヴィンテージカー。その幸宏さんと同じ空気を吸う夢は叶ったのか。……気になる答えが「Yes」であったことに、ちょっと感動。

必要とされるマーケットは存在すると、やっと自信が持てた

—仕事を二人でするって、友だち同士とはまた違った信頼関係が必要ですよね。

須藤さん:そうですね。30周年のショーのときもですけど、「やろうやろう」って意見が合っても、そうそうみんな体が動かないもので。ショーの洋服も、ほとんど二人で作ったよね(笑)。谷垣さんは、昔からそういう、実際に汗かいてくれる人でした。

—あぁ、その、体が動くかどうかというのも、わかる気がします。

須藤さん:あと、僕は谷垣さんには、出会ったころからなんでも話せたんです。答えのないようなことでも、受け止めてもらえる安心感があったんですよね。久しぶりに会っても同じでした。

—すごく素敵なことを言われていますが、谷垣さんにとって須藤さんはどんな方ですか?

谷垣さん:須藤くんはすごく人に恵まれているんですよ。人柄ですよね。人を呼び込める愛嬌があるというか、自然と人の懐に入ることができて、若いころから周囲にかわいがられてました。多趣味で、楽しいことをいっぱい知ってて、そういうのを絶えずみんなに教えてくれるし。

—いいご関係ですね。ODUSではブランドの運営もですし、売り場に立たれたりと、お二人揃ってこれまでにない経験をされたと思いますが、ここまで順調でしたか?

須藤さん:トラブルだらけですよ(笑)。資金繰りも大変だし、一時は「これでダメならもうやめようか」までいきましたね。

谷垣さん:もうギリギリで、イチかバチかという感じ。僕はこの業界に入ったころから、自分がいなくなったあとも残るような、時代を超えて定番になるものを作りたくて、ODUSもそういう思いで世に出したんです。でも、どこにマーケットがあるかの前に、マーケットが存在するかもわからなくて、そりゃあ不安でしたね。

須藤さん:僕も、豊かなストーリーのあるものをライフスタイルに取り入れてもらいたいと思ってました。売り場に立つのは初めてでしたけど、お客さんと直接接すると、そういうものづくりへの気づきもあって、楽しいですね。期間限定のポップアップストアで、買って行ったお客さんが期間中にまた戻ってきて、「すごく良かったから」とリピートしてくれたときはうれしかった!

谷垣さん:うれしかったねぇ。「こんな商品があって助かった」って言ってもらったりね。おっさん二人で売り場に立つのもどうかと思ったりもしましたが、やっぱり、作った人が説明するのが一番いいんですよね。そういうことで手応えをつかみかけているうちに、(TVショッピングの)ショップチャンネルさんからお話をもらってね。

須藤さん:ショップチャンネルさんでは、まったく知られていない商品であるにも関わらず、あっという間に完売になるほどの売れ行きだったんです。肌が弱くて困っている人、既存のインナーにストレスを感じている人、快適さを追求したい人……ODUSを必要とするマーケットは存在するんだと自信が持てました。

—良かった!

須藤さん:さっき言ったように、まだ改良の余地はあると思ってますし、お願いしている工場の高齢化とか、課題もあるんですけどね。光は見えたかな。

—工場の高齢化?

須藤さん:ODUSでは、商社を通さずに、自分で輸入した糸をスーパーZEROに加工してもらって、それをいくつかの工場で編んでもらってるんですね。レッグウォーマーを作ってくれている人が93歳で、さすがに「もう無理」と言われて。

—そ、それはかなりの高齢化ですね。いろんな製造業で、高齢化と、それに伴う事業と技術承継の問題をお聞きしていますが、アパレルもそうなんですか。

谷垣さん:同じ傾向はありますね。きれいに作ってくれるところはあるんですよ。でもこの、93歳の方が作ってくれていたようには味が出ないんです。機械の問題もあります。あたらしい機械だからいいというものでもなくて。

—あぁその、アナログ的なというか、微妙な風合いの違いにこだわるのがODUSなんですね。

須藤さん:そうなんですよ。妥協できなくて困ってます(笑)。

MyファーストODUSはショート・リブ コンフィ・ソックス。カシミアタッチと言おうか、「これ、コットンだったよね?」と見返したばかりか、愛猫を撫でたときに得られる癒しのようものを、靴下で感じてしまった…!

取材は新宿マルイ本館にある、『ビューティースタンドプラス』にて。社長の中島さんがODUSを評価して、ウエルネスをテーマにしたこちらのショップでいち早く扱い始めてくれたのだそう。

オドアスのじまんの人
(じゃなくてブラ)

ブレス・コンフィ

「快適な胸」を意味する名で、グッドデザイン賞も受賞した、ODUSを象徴する商品。ホールガーメントで立体に編み立てた、綿98%のニットブラです。肌環境を快適に保つほか、意外と自覚できない胸や肩甲骨の冷えを解消し、肩も凝りづらいと、徐々にファンを増やしてきました。一番人気はメランジレッド。当初全体染を施すつもりが、加工の過程で一部にのみ色糸を使用して出来上がった状態が、見た目にも良かったという偶然の産物のメランジカラー(霜降り状に混じった色調)。顔料を使用するとムラが生じてロスになる可能性が高まることもあり、「このままいこう」となったそうです。女性たちに試着を繰り返してもらいながら2年かけて開発した、「おっさん二人」のこだわりの結晶です!

編集後記

休日にたまたま、ODUSのポップアップストアに出会いました。素人の域を出なくても、ちょっとだけ見る目があればすぐに違いがわかる、「普通ではない」製品でした。奇をてらったという意味ではなく、こうしたものづくりを知り尽くした人が、さらに真摯に追求したに違いない製品だと感じました。世間でいう「イケオジ」でしょうか(笑)、職業を尋ねるまでもないようなおしゃれなお二人の、気さくに応じる言葉に、その「普通ではない」製品に見合った思いが宿っていることは、こちらの、長年の経験からわかりました。白状すると、あまり儲かるご商売には見えませんでした。でも、こういうブランドに成功してもらいたいと思いました。その場で、「おしゃれ媒体でも、売るための媒体でもありませんが」との断りを入れて取材にお誘いすると、二つ返事でOKでした。おかげでお二人の、こんなに楽しく素敵なお話が紹介できました。(2025年1月取材)

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