2004年に開局の石見ケーブルビジョンは、島根県浜田市と江津市のネット環境の整備において大きな役割を担ってきました。テレビ放送が民放3局のみの島根で、開局当時は、ネット回線もほぼ街の中心部に限られた地域。危機感を抱く地元有志が、「地域格差をなんとかしたい」思いから立ち上げました。ケーブルテレビで地元密着の情報を発信するほか、地産地消のエネルギーを標榜する地元電力会社の取り次ぎ事業にも乗り出しています。20周年を迎え、お客さんは2万世帯に達しました。
キラリと光る会社第45回は、石見ケーブルビジョン代表の福浜秀利さんにお話をお聞きしました。
—20周年ということですが、どのような経緯で立ち上げられたのですか。
福浜さん:ここ浜田市にある、島根県立大の先生が、ケーブルテレビをつくるべきと提唱されたことがきっかけです。高校を卒業すると7割が地元を出てしまい、18歳から22歳の若者の大半が県立大生なんです。県立大の存在はこの地域にとって非常に重要です。そこの先生が言い出したことで、地元の有志が動き出しました。地域格差に問題意識を持っていた人たちが勉強会を開くなどして、具体化していったんです。私もそのメンバーの一人でした。
—そうだったんですね。浜田市と、お隣の江津市ですよね。
福浜さん:はい。公共性の高い事業なので、地元企業、市民のほか、浜田市と江津市も株主となって設立されました。現在の株主数は179名です。浜田市と江津市は、実は合併予定だったんです。合併に先立ち、二市の中心部から整備を進めたのですが、その途中で合併話が流れてしまいました。合併前提で自主放送を組み立てていたので、現在も浜田市、江津市の両方に、両市の市議会が放送されています。
—不勉強で申し訳ないのですが、こうした地域のケーブルテレビの役割というものを、正直これまで意識したことがありませんでした。
福浜さん:島根と鳥取は昔から、民放テレビの地上波チャンネルが3つだけで、テレビ朝日系とテレビ東京系は入らなかったんですね。加えてネット環境も、街の中心部しか行き届いておらず、情報通信基盤が脆弱でした。そうした状況を改善するため、うちを含め各所でケーブルテレビ事業が立ち上がりまして、光化も進展して、島根のネット環境は全国でも最高レベルとなりました。
—そういうことだったんですね。そういえば東京のうちのマンションのネット回線も、J:COMだったような。あれもケーブルテレビですよね?
福浜さん:そうです。ケーブル接続でいうと、日本の半分はJ:COMさんです。
—そんなに。残りの半分の中に、いろんなローカルケーブルテレビがあるんですね。
福浜さん:事業者数は全国に400以上と発表されています。ケーブルテレビの発祥地は群馬県の伊香保で、1955年でした。地上波が入らない地域だったことで、設置されたんですね。初めて自主放送をおこなったのは岐阜県の郡上八幡で、その数年あとのことでした。
—そんなにたくさんあって、それも歴史があるものだったのですね。石見ケーブルビジョンさんも、この地域のケーブルテレビ局として、独自の番組もつくられていますね。
福浜さん:はい。「コミュニティチャンネル」と呼ぶ4チャンネルのうち2つで、地元のニュースやお祭りなどのイベント情報、議会の中継などを扱っていて、他1つで防災情報を、もう1つでは行政からのお知らせを流しています。独自の番組は、地域密着のニュースからグルメ、スポーツ、ここに暮らす人の紹介などといった内容になっています。
—「昨日、お隣さんがテレビに出てた!」みたいな感じでしょうか。
福浜さん:そうですね。お子さんが出ていたと喜ばれたりしています。日常の姿でも、映ると嬉しいと言われますね。お子さん以外にも、「みんなでフラダンス頑張ってるから」と呼ばれて取材に駆けつけたり(笑)、そんな感じです。
—それは本当に、地域密着ですね。
福浜さん:番組じゃなくても、うちは「パソコンがつながらんわ」と言われて駆けつけることもありますからね(笑)。
—そうか、ネット回線の事業もあるから。まちの電気屋さんみたいですね(笑)。電気といえば石見ケーブルビジョンさんは、「いわみるでんき」という事業もおこなっていますよね。
福浜さん:わが社の設立と同じ時期に地元で風力発電事業をスタートされた会社が、再生可能エネルギーの地産地消を目指して、「神楽電力」という電力小売会社を立ち上げられました。地域内循環の理念に共感して、うちとしてもお手伝いがしたいと、取り次ぎを始めました。
—同じ地域の、良きチームという感じがして素敵だなぁと思いました。それにしても、先ほど「地域の人に呼ばれたら駆けつける」というお話もありましたし、加入者を増やして、ネット回線につなぐ事業を行いながら、テレビ局として番組をつくったり、放送したり、さらには電気にも、となるとそれなりのマンパワーも必要ですよね。現在何名ですか?
福浜さん:社員が33名、パート2名です。男女半々。皆、業務を兼任しながら常に忙しくしています。人材確保にはご多分に漏れず苦戦しているところもありますけど、人に関しては恵まれていると思いますね。
—地元の方が多いですか?
福浜さん:ほぼ地元ですね。Iターン、Uターンも増えてきてはいますが、都会と比較すると、どうしても給与面で見劣りして躊躇するのだと思います。うちもこの辺りでは悪い方ではないのですけど、都会の大手と賃金で戦うのは無理ですからね。
—それはそうですよね…。
福浜さん:いまの学生は多くが奨学金を借りてますから、その返済と、地方は車がないと不便なのとで、新卒からお金が必要なのは理解しています。そういうことも含めてですが、うちもですけど、地域の企業が頑張らないといけませんね。
—テレビ局としては、地元の企業を応援することもできますもんね。
福浜さん::そうなんです。特に石見には、いまもいいものづくりが残っています。頑張っています。そうしたものづくりの担い手さんの支えに、私たちがどうなっていけるか、ですよね。もちろん、この地の魅力を、どうやって伝えていくかも。
—福浜さんご自身も、地元のご出身なのですよね。
福浜さん:はい。浜田市出身で、前職は小売業、商店街の出です。ですから商店街も気になっています。
—地元愛は強いですか。
福浜さん:都会も好きですよ。遊びに行って、酒場を巡ったり(笑)。でも暮らすには、ここが最高ですね。魚はおいしいし、スキー場も海水浴場もゴルフ場もある。言いましたように、昔からものづくりも盛んで、木工や窯業、和紙など、いまも素晴らしい作り手がいます。そういうこともしっかりと伝えるお手伝いをして、若い人にも地元を自慢に思ってもらいたいです。
—足下のことって、意外と気づきづらいですもんね。
福浜さん:はい。だから、地域の宝を見つけて、つなげていく役割を少しでも担えたらなと思っています。
—“つなぐ”が使命なんですもんね。
福浜さん:20周年を迎えたのを機に、それについてはあらためて強調しようと思っています。
—20周年を記念して、『笑顔倍増計画』を掲げられていますが、その中にある「レンタルかねこ」が気になりました。社員の金子さんを、レンタルに出す企画、ですよね。
福浜さん:そうなんです。金子はベテランパーソナリティで、いわゆるいじられキャラですね。社内でもムードメーカーですし、市民に親しまれています。
—「オファーがあれば金子を貸しますが、上手くできるかはわかりません、意外と不器用です」などと書いてあって笑いました。金子さんを皮切りにほかの社員への展開も考えているそうで。
福浜さん:企画も、社員が自分たちで考えてやっています。
—お忙しそうで、楽しそうでもある御社ですが、次に向けての課題はなんですか。
福浜さん:やはり人材育成ですね。特に、次の経営を担うリーダーの。人口減少社会にあって、この会社、事業が必要とされて継続していくためには、やっぱり人だと思うんです。この20年である程度基盤は整えられたし、ノウハウも蓄積できたので、これをつなげていってもらいたい。
—地域で、どんな会社としてつなげていきたいですか。
福浜さん:目立つでなく、あって当たり前の存在として必要とされたいですね。地域で、「All for one、One for all」のチームの一員であり続けたいです。地域が崩れてしまえば、うちもダメになる相互の関係ですから、お金よりもまずそちらの資源が重要です。
営業部営業課 専任課長。集合住宅を対象に利用促進をする業務を担当。地元出身の島根県立大卒で、2004年の開局時からのいわゆるはえぬき。ときにMCも務めることもあるそうですが、忙しい合間を縫ってお子さんの通う小学校で読み聞かせをするなどの活動も続けています。
石見ケーブルビジョンが設立されると知ったのは、私がまだ学生のときでした。自分を育ててくれた大好きな地域と、支えてくれた地元の人たちに恩返しができるのではないかと興味を持って、ちょうど開局の年、新卒で入社しました。実は在学中から、この会社と接点を持つべく動いたのですが、幼いころ引っ込み思案だった私しか知らない人には、信じられないであろう積極性でした(笑)。そうやって働き始めた石見ケーブルビジョンは、次第に、自分を表現できる場所になっていきました。ただ、結婚して二人の子の親となってからは、両立のしんどさに何度も悩みました。そんなときにいつも助けてくれた、家族や友だちなど周囲の人には感謝しかありません。営業の仕事には、楽しいことや嬉しいことばかりではなく、辛いこともいっぱいありますが、お客さまの「ありがとう」に励まされてここまで続けることができました。それから、子どもたち。業務が重なる時期にはなかなか一緒の時間をとってあげられず、後ろめたく感じることもあったのですが、話してみると「ケーブルで働く母さんが好き!」と、自慢に思ってくれていたようです。一番の応援団です!
「石見」は島根県西部一帯、昔の「石見国(いわみのくに)」を指しますが、福浜さんは、東部の「出雲」とは人の気質に異なる印象を持っているそうです。「あくまで持論ですが」と前置きながら、こう説明くださいました。「出雲の人は農耕民族気質で、みんなで協力し計画的に事を為す傾向があるように思います。対する石見は狩猟民族気質で一匹狼タイプが多く、瞬発力はすごいけど持続力が課題でしょうか」。ふーむ。また、山陰には5つの空港がありますが、昔の国ごとにつくられたそうです。言われないと気づけないことは多いものですね。今回は石見地方で、手仕事に触れ、おいしいお魚もいただきました。浜田のビーチは意外にもリゾートの風情である一方、瓦屋根が並ぶ風景には昔の映画のような趣が。この度も、魅力的な地域と、地域に根ざして頑張る人たちを知ることができました。(2024年2月取材)