キラリと光る会社
塩業に始まる商いは、5代目による大改革で「一から出直し」。社内制度が光る老舗企業

仁尾興産株式会社

香川県三豊市で1919年に創業。瀬戸内海に面したこの地はかつて一帯が塩田で、仁尾興産の前身となる会社も塩業を営んでいました。創業者はその名も塩田忠左衞門さんで、5代目となる現社長も塩田姓です。製塩業で成功し、多角化を進めた仁尾興産は現在、豆腐用のにがりで国内トップシェア。従業員数46名。広い敷地内にはカフェを併設、豆腐料理を中心に、健康的なメニューが用意され、また、豆腐作り体験ができるスペースも設けられています。受賞多数の一方で、実は紆余曲折!?の仁尾興産です。
キラリと光る会社第38回は、仁尾興産代表の塩田健一さんにお話をお聞きしました。

仁尾興産公式サイト

塩田の塩田さんが始めた会社、平成に入るころ、傾く

—塩田さんは、取材NGなんですよね?

塩田さん:そうなんですよ。特に写真は完全NGです。今日のような機会には、いつも常務の高橋に任せているのですが急な体調不良で、しっかりピンチヒッターを務めるよう言われまして(笑)。

—それはそれは(笑)。塩田(えんでん)やっていた塩田(しおた)さんって、できすぎな感じですけど、まさか偶然ではないですよね。

塩田さん:でしょうね。この辺りは江戸時代から塩田(えんでん)で、塩業の塩田さんも割といたようですよ。でも私自身は生まれも育ちも東京でして、28年前にこの会社に呼ばれるまでは東京で働いていました。

—そうだったんですね。

塩田さん:会社が大変だからと呼ばれたのですけどね、来てみたら想像以上で、私は創業家とはいえよそ者でしがらみもありませんから、あれこれ全部変えたんです。

—全部。

塩田さん:最初は総務部長として入ったんですね。当時46歳でした。まぁ、保守的な地域の、古い体質の会社でしたよ。いまより大きくて、いろんなことをやっていたんです。でもみんな町内からのコネ入社でしたし、寿退社は退職金倍だったし、私は東京の外資系企業にいたので、ものすごい違和感でしたね。まず女性従業員のお茶汲みを廃止して、自分でやるように変えました。そんなことだけなら良かったのですが、10年間ずっと赤字だったんですよ。それなのに社員はみんな、黒字だと聞かされていた。

—それはずいぶんと…大変そうです。

塩田さん:私はといいますと、社長になるつもりなどなかったんですよ。前職はやりがいもありましたし、社長のいまより給料は良かったし(笑)、呼ばれてから5年間断り続けてました。でも、最後は母に言われたので。誰よりも母を尊敬しているものですから、NOとは言えませんでした。当時は8部門あって、遊園地にマリーナに、パチンコやボーリングまでやってたんですよ。どれもことごとく赤字。

塩田健一さん

12人の役員に辞めてもらって・・・

—遊園地まで!…でもそんなに手広くやって全部赤字でも経営破綻しなかったのは、企業として相当な体力があったということですよね。

塩田さん:そうですね。土地を売却しては利益を上げていました。それだけでした。役員が12人もいたんですよ。立派な会社を引退した元経営者の方々中心に、平均78歳のおじいちゃんたちばかり。会議で「問題です」って言っても耳が悪いから聞こえてない、みたいな。

—ははは。さすがにコントみたいですけど、その場にいたら笑えないですね。

塩田さん:みなさんに辞めてもらいました。

—おお。

塩田さん:事業も全部整理して、会社として裸一貫、一から出直すことにしました。自転車操業で、取引先にはとにかく頭を下げる毎日でしたね。でも私はそういうの、平気だったんですよ。私の青春時代は、競うことをあきらめて進学校に途中から行かなくなって、高尾山に登ったり多摩川で遊んだりしながら過ごす、ちょっと変わったものでした。経済的に余裕のある実家で、兄はおぼっちゃま然としてましたけど、私は学生時代から、牛乳配達に工事現場での作業に家庭教師に、働きづくめでサラリーマンより収入がありました。母に、何がしたいのか、どうなりたいのかと問われて「強くてやさしい男になりたい」と答えたことがありました。そのためには覚悟を持って生きる必要があると。そのせいか、いつのまにか動じなくなったんですよね。

—お若いころからご自分をお持ちだったんですね。

塩田さん:進学校で、頭脳で競っても勝てないと思ったのもありますよ。この会社にきてからも、むずかしいことは頭のいい人に任せて、私は社員の意識改革であるとか、働きやすい環境をつくるのに専念することにしました。マイナスからのスタートですから、改善の宝庫ですよ。当たり前のことを着実にやりさえすえば必ずなんとかなると確信していました。

—社内での受け止めはどうだったのですか?

塩田さん:コネで入った人ばかりの、寝てても安泰だと思われていた会社ですから、いきなり起こされたみたいな感じでしょうかね。例えば私に電話がかかってくるでしょ、すると、その電話を取った社員が、トコトコ私のもとに歩いてきて「部長、電話です」って言うんです。内線を活用する人がいない。初めはただ不思議でした。一事が万事ですよ。改善の宝庫ですよね?

—そうですね(笑)。

総務部長として入社後、会議で使った「仁尾興産がいかに危機状態か」を示す自作の図の原本。うまい!

多様なニーズに応える制度で、行動を変える動機づけ

塩田さん:この地域の人は、本来は勤勉で我慢強いんです。伝統を大事にするなど、いい面もあるのですが、内向きでチャレンジを嫌うところがある。当時80人くらいいた社員に聞いたところ、誰一人として海外旅行の経験がなくて、それどころか隣県や、ともすると隣町にすらほとんど行ったことがないという。これでは視野が狭くなって当然ですし、全員がこのようでは会社の未来は見込めないと感じました。

—ですが、個人のライフスタイルとか、個々の持つ文化を変えてもらうのって簡単ではないですよね。

塩田さん:部門長には積極的に東京や大阪に行っていろんな研修を受けてもらいました。また、前職で知った選択形式の福利厚生プラン、「カフェテリアプラン」を導入して、社員一人ひとりの多様なニーズに応える動機づけをしながら、自己啓発や健康の増進につながるよう仕向けました。文化的なものに触れて視野を広げよう、美術館に行くのでも、目標を持って習い事を始めるのでも、あと、香川県は糖尿病率が全国一高い県ですからね、健康のためにスポーツクラブに通うのでもいい、ポイント制にして貯まると現金を支給することで、会社が個々の活動の後押しをする仕組みをつくったんです。

—すごい。効果はありましたか?

塩田さん:行動が変わってきましたね。

—「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」っていうあれの、見本みたいなお話です。

塩田さん:そうそう。私は昔から預ける荷物もつくらず、大金も持たず、身軽に海外旅行を繰り返してきて、さまざまな文化や人に刺激されて世界を広げることができた。みんなにも、もっと外のものに触れてほしい、外に向かって目を開いてほしいと思ったんですね。

—それで会社全体が健全に変わっていったのは、本当にすごいことですよね。塩田さん、凄まじい改革者じゃないですか。

塩田さん:私が仕事ができないから、社員が育ったんですよ。財務も法務もITも苦手なもので、私がいなくても回るようにしないと立ち行かないですからね。

—仁尾興産のユニークな福利厚生は、そういうところが起源だったんですね。それぞれが健康増進に関することで目標を立てて達成した中から表彰する、『がんばりアワード』なんておもしろいですよね。

塩田さん:2022年度は、「彼氏をお姫様抱っこして、スクワット10回を成功させる!」を実現させた女性社員が大賞を獲得しました。おもしろいでしょ?

—大賞には金一封?

塩田さん:10万円です。いろんな制度を設けて支援していますけど、大袈裟に背伸びしておこなっているのではなく、会社としても費用より効果が上回っていると考えてやっていることです。従業員やその家族、この会社に関わってくれる人たちにとって良かれと思うことは、できる範囲のことを継続してやっていきたいと思っています。

毎朝始業の音楽と共に集合。流れるABBAの『ダンシング・クイーン』は、スウェーデンで平民から王妃となったシルヴィアを応援すべく1976年に歌われ、世界的な大ヒットとなった。塩田さんの選曲で、社員への応援の気持ちを込めたのだそう。こちらの写真は集合後のラジオ体操の様子。

次なるチャレンジは?

—現在は、にがりでの事業のほか、冷凍冷蔵倉庫事業と不動産事業を手掛けられていますね。

塩田さん:塩田跡地の、広い土地がありましたので、できていることですね。

—主力のにがりについては、豆腐用として国内トップを誇っています。

塩田さん:メーカー自体、いまは2社のみなんです。豆腐のメーカーも、四半世紀で10分の1まで減っていまして、いまは全国に5千社ほどになりました。大手の寡占化が進んでいる状況ですが、これからますます日本の人口が減って、豆腐の需要自体が落ちていきますよね。

—そんな中、今後乗り出そうと考えているほかの事業はありますか。

塩田さん:現在考えているのは、輸出用の代替肉です。規制の厳しいEUを念頭に、大手企業並みの基準をクリアして。

—またチャレンジですね。ところで、若き日の、「強くてやさしい男になる」は、実現できましたか。

塩田さん:そうですねぇ、「やさしい」は、できたかな。強くはありませんが、その分社員が育ってくれましたから。

すぐそこが瀬戸内海。敷地から望む風景に、塩田が延々と続いていたかつての姿を想像する。

工場併設のカフェには物販コーナーもあり、瀬戸内海の塩を使ったオリジナル商品が中心に並ぶ。いくつかを購入して帰り、「おにぎり塩」を早速試したところ、旨みのある粗塩が新米を引き立てておいしかった!

イチオシ 仁尾興産のじまんの人 大西可名恵さん&石井里沙さん&福岡可奈さん

「3人とも職場を活性化してくださる会社自慢の人たちです」との紹介を受けました。大西さん(左)は2019年入社で、他のお二人より少し先輩。石井さんと福岡さん(左)は2023年に入社したばかり。いずれも化成品事業部生産課で、力仕事が多く腕力が増す作業を中心にされているそうです。落ち着いてしっかり答えてくださいましたが、「仕事が始まるとお化粧とかがもう…」と始業前の朝の取材を事前にご希望され、インタビューの最後にそのことに触れると、途端に3人してキャッキャと笑い出して場が和みました(笑)。

大西さん:前職でもフルタイムでしたが、時間に融通が利きづらく、子育て中の身としてはいつも肩身の狭い思いをしていました。午前中だけの仕事を探してここに辿り着いて、ここでなら大丈夫そうだったのでフルタイムにしてもらいました。休みが取りやすいのもありますし、私たちからの改善提案を含めて、話を聞いてくれる点が大きかったです。そのせいか雰囲気が良く、それぞれの自主性を伸ばせる環境です。飲み会も楽しいです(笑)。

石井さん:人間関係が良い職場で長く働きたいと思い、育休産休も取りやすいところを探していました。ここは面接のときから安心感がありました。現場仕事で最初は筋肉痛になりましたけど、先輩に言われた通り3ヶ月したころには慣れていました。いまでは「筋トレになる」と思っています(笑)。質問や相談に快く応じてもらえて働きやすく、忙しくて大変でも17時ぴったりに帰ることができるメリハリ感も気に入っています。

福岡さん:約10年看護師をした後、転職しました。出産後に復帰してからも三交代制で夜勤もあり子どもとすれ違いの生活で、何のために働くのか疑問になったんです。いまは普通に朝起きて夜寝て、子ども中心の生活ができて満足しています。週末も遊べて子どもも喜んでいます。仁尾興産は個々の強みを活かせる会社だと感じます。得意なことを伸ばして自立を促すいい緊張感のある職場で、前職とは異なる職種でも頑張れそうです。

編集後記

メディアには一切出られない社長さんとのこと。取材を申し込むと、「いつも私が代役なのですが、それでも良いでしょうか」と常務の高橋さんが親切に対応くださったのですが、直前に、まさかの「ピンチヒッター塩田社長」を告げられました。貴重なインタビューとなりましたものの、お話が苦手という理由で取材NGでないことは、読んでの通りです。しかも大変気さくに応じてくださり、始業時『ダンシング・クイーン』がかかった際、「踊ってください」と振ってみると軽く踊ってくださいました(笑)。また、お話にある通り、ご自分でお茶を出してくださいました。直近では、女性の活躍を後押しする企業を表彰する「香川女性キラサポ大賞」で県知事賞を受賞、経産省の健康経営優良法人認定制度における中小企業上位500社「健康経営優良法人ブライト500」に選定された仁尾興産。納得です。(2023年9月取材)

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