キラリと光る会社
魚食文化のため、働く人のため、地域の人のため、あってよかった!瀬戸内に輝く安岐水産

株式会社安岐水産

香川県は瀬戸内の小さな島、豊島(てしま)で生まれた現社長。安岐水産は、島を出たご両親が1965年に、さぬき市津田で始めた水産加工会社です。主力はアオリイカを原料にした「いかそうめん」。高い品質を誇り、県外のスーパーなどを中心に広く出荷しています。約40名中30名が女性という社員構成で、実店舗とオンラインの「ねこ海レストラン」も運営。働きやすさに定評があるほか、魚食文化を守る活動や、技能実習生と受け入れ企業の適切なあり方を促す取り組みに携わり、数々の受賞歴を持ちます。経営理念は「生きる喜びを創る」。
キラリと光る会社第37回は、安岐水産代表の安岐麗子さんにお話をお聞きしました。

安岐水産公式サイト

「私が魚かよ」と、自分にツッコミを入れた日もあった

—安岐水産は、ご両親が創業して、お父さまが社長をされていた会社ですよね。

安岐さん:そうです。いまもうちの主力商品である「いかそうめん」の原料となるアオリイカは、赤道の下あたりで取れる種類のおいしいイカです。父は、日本人が刺身として食べて満足できる品質にするために、水揚げしてから捌いて加工するまでの技術指導を現地で一から行っていました。かなりの試行錯誤があったようですが、多大なエネルギーを注いで実現させました。

—安岐さんご自身は、以前別の会社を経営されていたのですね。

安岐さん:はい。両親が会社をやるのを見て育ちましたので、高校生くらいのときから、自分で何か始めたいと思っていたんですね。大学を卒業して一般企業に就職した後にUターンして起業して、その後とあるインドネシアの方との出会いをきっかけに、インドネシアにある日本人向けのスーパーで取り扱う商品を、日本から輸出するビジネスを始めました。

—そちらをおやめになって、安岐水産を継いだ形でしょうか。

安岐さん:起業後15年ほどは順調だったのですが、あるとき突然、インドネシアの法律が変更されるという事態に直面しまして、事業の存続が困難になったんです。それを機に、徐々に移行してきた感じです。

—あるとき突然とは、大変でしたね。

安岐さん:経営には当然大打撃でしたし、私には、いつかはインドネシアへの移住をと考えていたほど、現地への思い入れがありました。それもあって辛かったです。すぐにあきらめたわけではなく、日本の惣菜をインドネシアで販売する事業を始めるべく動いてもいたのですが、なかなか実現に至らず。でも結果的にそれを、安岐水産の国内向けの惣菜事業に活かすことができました。

—安岐水産のことは、子どものころからご覧になって育ったとおっしゃっていましたが、2019年にいよいよ継がれてみて、いかがでしたか。

安岐さん:父が苦労して確立させた、食材の細胞を壊すことなく、鮮度の高さを保って日本に持ってくるノウハウは財産として大切に受け継ぎました。ただ、私は父とはタイプが違いまして、水産自体、もともとやりたいことではなかったんです。インドネシアへの思いも相まって、「私が魚(やるの)かよ」って、最初は思ってましたから(笑)。

—なんと、そうでしたか。いまはどうですか。

安岐さん:いまは、めっちゃ本気です!

—良かったです(笑)。お気持ちが変わったのですか。

安岐さん:そうなんです。食べることが好きだし、お魚を捌けたらカッコいいし、という思いは当初からあったんですね。だからでしょうか、「食文化」というところから掘り下げていったら、だんだん好きになりました。いまは魚も水産も、すごく好きです。愛情を持ってやれるようになりました。

安岐麗子さん

内でも外でも、コミュニケーションが大事

安岐さん:お魚生活すすめ隊」を結成して、魚の捌き方教室を開催したり、ビーチクリーン活動をしたり。魚ばなれが進む一方では水産加工会社として困りますから、最初は戦略の一環として始めたんです。でも、漁師さんのお手伝いをしながら、取れた魚を血抜きして、捌いて食べる、といった食育イベントに親子で参加された地域の方から、「魚ぎらいだった子どもが、あの体験を機に食べるようになった」なんて聞きますとね、純粋にうれしくって。その子の食が、ひょっとしたら生涯にわたって豊かになるきっかけづくりができるわけじゃないですか。これは会社の社会的活動と位置付けて続けていく価値があるなと。

—地域と、地域のみなさんのためにもなっていますね。

安岐さん:正直言って、地域おこしみたいなことに携わろうと意気込んでいたわけでもないのですが、ありがたいことにいろんな縁がつながりまして。漁協と協働してイベントを開催して、一日に千人以上の方の参加を得たりと、次第に形になってきたこともあります。お客さまをはじめ、会社を取り巻く人たちと、直接つながることのできる機会はやはり大事だと実感しています。日頃そうした機会のない、工場で働く従業員のみんなにも、お客様の「ありがとう」に触れて喜びを感じる経験をしてもらえるとうれしいです。

—みなさんの反応はいかがですか。

安岐さん:地域の方々には歓迎されていると思います。社内では、ひたむきにものづくりに集中していた人たちが、私に代替わりして以降「コミュニケーションが大事」と言われ出して戸惑いもあったでしょうね。企業として存続するには時代の要請に敏感であることも必要ですし、外部環境に合わせて機動力を発揮できるのは中小企業の強みでもあるので、意味や価値の共有には心を砕くようにしています。徐々に浸透してるかな。

—御社は、いわゆるブランディングにもですが、伝えるということに対して相当力を入れていらっしゃる印象です。

安岐さん:自然環境としての海や海洋資源、そして私たちの生業としての水産も、厳しい状況に置かれています。そのような中では、ただ安いとかおいしい以上のことを伝えていくことも必要だと思うんですね。それも、できる限り双方向のコミュニケーションになるよう心がけています。

—そうですね。身近な問題であり、魚食の文化につながることとして。

安岐さん:はい。そのためにもできるだけ親しみやすいアプローチを工夫しています。

—ネコの「ちゅみ」とか。

安岐さん:そうですね。キャラクターにも手伝ってもらっています。

高松では、なんとチェーン店のドラッグストアでも買える「いかそうめん」。

香川県産の食材を使った商品も。パッケージが目を引く「さぬき蛸といりこの瀬戸内アヒージョ」は、タコといりこのほか、塩やニンニク、鷹の爪まで県産品。箱を開けると姿を現すタコが可愛すぎるので、贈り物にもGOOD。

経営理念の「生きる喜びを創る」を実現するために

—安岐水産は企業として幾多の受賞経験をお持ちですが、働きやすさでも表彰されていますね。経営理念は「生きる喜びを創る」とありますが、社内に向けてもその思いで。

安岐さん:私自身が良い環境にありたいですから、会社の居心地は自ずと意識しますよね。みんなにとっても当然、良い職場環境であってほしいですし、仕事を通して喜びを感じてもらいたいですし、そのためにできることはしたいと思っています。

—御社は女性の割合が高いですが、子育てしながら働きやすいのは、そのような環境づくりと、子育て経験者でもある社長の理解あってのことだと、社員の方からお聞きしました。

安岐さん:インドネシアとの事業が大変なタイミングに重なるように、私生活で離婚を経験しまして、どうやって日々を過ごしていたのかもわからないくらい苦しい時期がありました。そのころ受けた研修で、「いま一番欲しいもの」を問われたとき、自然と「居場所」と答えたんですね。そしてその居場所が、自分でつくったものでなくては、心からは満足できないのだと痛感しました。私は弱かったけど、仕事があったから立ち直ることができた。弱い自分であっても、自分の足で立てたから、自信や誇りを取り戻すことができたんだと思います。誰しも、人生において向かい風の時期があったり、例えば子育てに深く悩んでしまうこともあったりするでしょうけど、私がそうであったように、自立できる自分であることに自信を持って、前を向く力にしてもらえたらと思うんですね。

—本当に、そうですね。「コミュニケーションが大事」だとのお話に戻しますが、これも社内でも同様ですか。

安岐さん:はい。理念から、経営状況から、いまこんなことを考えていて、こんなことに悩んでいるなど、ちょっとしたことまでなんでも話しています。もう、“フルオープン”ですね。

—フルオープンですか(笑)。でも、社員の方の立場でもきっと、見えていたほうが余計な不安に駆られにくいですよね。「なんだか全然わからないけど良からぬ状況ならしい」って、不安が不安を生むじゃないですか。

安岐さん:そうでしょうかね。雑談も意外と大事だと思っているのと、あと、私自身、誰かとつながっていたいという気持ちが強いのだと思います。根底にある淋しさが、自分を動かすプラスのリソースになっている自覚もあります。みんながいるからやれると感じることばかりですしね。

—強さと弱さが表裏一体というか、弱さが転じて強みになることってありますよね。

管理の行き届いた、非常にクリーンな現場。

自分が弱かったから。弱い人が自分の足で立つ手伝いがしたい

安岐さん:「弱い人が自分の足で立つ手伝いがしたい」というのが私の裏テーマなんです。自分が弱くてちっぽけだと、痛いくらい思い知った経験から、いつしか胸に置くようになりました。安岐水産ではインドネシアから延べ20人の技能実習生の受け入れをしてきたのですが、経営者仲間に声をかけて、双方にとって適切な受け入れとなるよう組合もつくりました。日本に来た実習生たちが、あまりにもただ“労働力”と見なされがちであることに耐えかねて。

—あぁ、弱い立場にある人たちが自分の足で立てるよう…、一貫しているのですね。

安岐さん:はい。インドネシアへの思いから、というのもありますが、彼ら彼女らが弱い立場に置かれることが受け入れがたかったんです。これまで組合を通して200人を超える実習生の受け入れに関わってきて、少しは役に立てたかなと思っています。海外からの人材と中小企業とのマッチングに関しては、国立大学との提携による試みも進めています。

—日本における技能実習生については本当に心が痛むことが多かったので、救いになるお話です。お聞きしただけでもたくさんのことに取り組まれていますが、安岐さんご自身の、夢はありますか。

安岐さん:インドネシアへの移住が夢だったんですけど、それが叶わなくても、交流はつくっていきたいです。地方の中小企業という立場で接点を持ちながら、中小同士のつながりの中で、パイプ役になりたいと思っています。

—ライフワーク、ですね。

安岐さん:そうですね。裏テーマと共に。

ほがらかな印象の安岐さん、子どものころは、いじめられっ子だった時期もあるという。

瀬戸内海まで歩いてすぐ。

イチオシ 安岐水産のじまんの人 森岡ひとみさん&中田恵実子さん

森岡さん(向かって右)は総務人事課の管理職。1996年入社のベテランで、ママ友に誘われ短時間のパートとして、加工現場でパック詰めやフグを切る作業に就いたのが安岐水産でのキャリアの始まり。笑顔と面倒見の良さから「お母さん」と慕われる存在。その森岡さんに、自分を持っていて、「面接のときから光っていた」と賞されるのが2022年に入社した共感マーケティング部EC直販課の新星、中田さん。ファンマーケティングの一環で実施するイベントの企画・運営も、お二人に任されています。

森岡さん:3人の子育てをしながらの仕事でもありましたし、辞めようと思ったことは何度もあります。四半世紀以上も続いた理由を振り返ると、周りの人に恵まれて、ここが居場所だと感じられたからなんですよね。子どもが熱を出せば「遠慮しないで帰りなさい」と言ってくれる先輩がいて、寄り添って考えてくれる社長がいて、若い子は自分の子どものようにかわいくて、みんな仲間だと思えたんですよ。人事はおろか事務職も未経験でしたが、いまもやりがいを持って働けています。

中田さん:安岐水産に入ってから、居心地の良さにぷくぷく太るほどです(笑)。入社したてで慣れなくても、ここには「一人じゃない」という空気がありました。しんどいときには、誰ともなくおやつを差し出してくれるんですよ。森岡さんと一緒に担当しているイベントの企画・運営では、最初は気乗りしない様子だった社員の人たちも、社外の人たちの反応に接してだんだん変わってくれて、2回目の開催ではすでに一体感がありました。とても嬉しかったです。

編集後記

「弱い自分」のお話をされていましたが、安岐さんのご経歴には、過去にも現在にも、挑戦する勇気が際立っていると思います。事実として弱い方なのであれば、なおさらに素晴らしく感じます。上に立つ人には、弱い立場にある人への共感を期待しますが、安岐さんはそういう方だろうと思うからです。風通しの良い社風に寄与しているであろう、社員の方に対して「フルオープン」というのも実は勇気が必要なことで、みなさんを信頼してこそ、信頼する勇気があってこそだと思います。「じまんの人」のお二人は、写真にも見て取れるように、キラキラしていました。特に社歴27年にして自社愛をキラキラとお話になる方というのは、そういらっしゃるものではありません。ここに「あってよかった」と思う人たちがいかにも多そうな会社に出会えて、気持ちが明るくなりました。(2023年9月取材)

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