キラリと光る会社
Tuna-Kai

手作りクレヨン工房 トナカイ

Tuna-Kaiのクレヨンイラストイメージ

北海道川上郡標茶町。道東にあるこの町のはずれに、まるで絵本か映画に出てくるような、小さなクレヨン工房があります。ここが日本なのかどこなのかわからない、だけどなつかしい佇まいです。併設されたお店には、手づくりのクレヨンと、オーナーの伊藤朋子さんが選んだ、やはり誰かが大切に手づくりした雑貨が並んでいます。Tuna-Kai(トナカイ)のクレヨンはすべて天然素材でできており、草木や土から求められた顔料に、蜜蝋などを混ぜてつくられます。化学物質過敏症で、市販の画材を使うことのできない少年との出会いをきっかけに、10年の歳月をかけて誕生させたクレヨンたち。ふぞろいだけど愛に満ちています。
キラリと光る会社第7回「番外編」は、Tuna-Kaiに、伊藤朋子さんと、ご主人の敏朗さんを訪ねました。
Tuna-Kai公式サイト

ひとりの少年との出会いをきっかけに、10年かけて

—トナカイさんのクレヨンができるまでには、10年もの時間がかかったのですね。

朋子さん:2000年に着手して、販売を始めたのが2011年、お店は2012年からですね。なかなか思うようにいかなくて…

—途中で投げ出したくはなりませんでしたか。

朋子さん:やめようかなと思ったことは何度かありました。やめずに続けた理由のひとつは、このクレヨンをつくろうと決めたきっかけとなった男の子との約束です。もうひとつは、周囲にもその決意を宣言していたので、引っ込みがつかなくなったと言いますか(笑)。それまでも友人たちに「まだできないの?」と言われていたこともあって。

—きっかけとなった男の子のことを少し聞かせてください。

朋子さん:「絵を描いたことがない」という、小学校一年生の男の子でした。彼は化学物質過敏症で、画材を使うことができなかったのですね。ふつうに市販されているクレヨンや絵具は、原料に石油系の化学物質が含まれているからです。当時、私は草木染めをやっていて、子ども向けのワークショップを行うなどしていました。草木染めの技術を応用し、彼のような子どもたちのために天然の植物で画材をつくれないかと、そのとき思ったのです。

—そうですか…。でも、クレヨンのつくりかたは知らなかったんですよね。

朋子さん:師事していた草木染めの先生に、天然原料でつくるクレヨンのことを教えてもらったことがあったんです。先生がレシピも持っていた。だから、最初はそこまで苦労するとは思っていませんでした。ところが先生のレシピ通りにやっても全然うまくいきません。その先生のいる札幌まで何度か足を運んで確認したのですけれど、先生がやるとできるって言うんですよ。「おかしいなぁ」と首を傾げられて(笑)。

—そうやって、試行錯誤を繰り返されたんですね。

朋子さん:土からつくるのは比較的うまくいったので、先生のレシピでの顔料は、土をベースにしているのかもしれないと、あとから思いました。一方、植物のは苦労しました。やっと色はできても、成形するのにも難儀しました。どうしてもうまく円柱型にならなくて。それを知った友人に、「バカ!丸くなくたっていいじゃん!」って言われて…。確かにそうだなと(笑)。

—あ!そうやっていきついたのが今の形なんですか。

朋子さん:そうなんです。それに、息子が小さいときに描いたトナカイの絵の紙を巻きました。

伊藤朋子さんとご主人の敏朗さん

お店の空気感とおふたりの笑顔に、ここだけ別の時間が流れているような錯覚に。

「動物だけが友だち」の時代を経て、大学から北海道に

—形も、巻いてあるトナカイの絵のついた紙も、すごくかわいいですよね。

朋子さん:息子にクリスマスの絵を描いてほしいと言ったら、サンタさんやツリーではなく、このトナカイを描いてくれたんです。4歳の頃でした。気に入ってずっととっていた、その絵をつかっています。

—息子さんは現在?

朋子さん:いまはもう社会人で、山梨で働いています。絵を描いた当時のことは覚えていないらしいです(笑)。

—いいお話ですね。その息子さんは現在山梨県ですか。朋子さんももともと北海道の方ではないですよね。

朋子さん:はい。生まれたのは岡山で、育ったのは静岡。北海道には大学からです。山梨県には、息子を連れて山村留学をしていた時期があって、息子はそのときの縁で、今もその町にいるんです。

—いろんな場所を経験されているんですね。大学は帯広畜産大学ですよね?

朋子さん:そうなんです。動物の保護に携わりたかったからです。実家の父が、静岡で障がい者施設をやっていました。私が子どもの頃は、そういう施設を地域につくられるのは迷惑だと考える人が多く、地元で四面楚歌のような感じでした。友だちができない私を心配して、両親が犬や猫、うさぎを飼ってくれたんです。だからずっと、そういう動物たちが友だちでした。大学卒業後は飼育係を志望したのですが、その道は当時、女性の私には開いていなくて、結局、農業改革普及員として、道の職員の立場で3年間働くことになりました。

—そうでしたか。その後、草木染めの染色家をめざされた。

朋子さん:道の職員は辞めて、一度、道内の農家に嫁いだんです。出産のとき、ひどい難産で腰の骨を折り、農作業ができなくなってしまったので、代わりになにかできないかと考えて、年間を通してできる染色にたどり着きました。ただ、クレヨンづくりに転向する前はちょうど、草木染めに悩んでいたんですね。自分のオリジナリティみたいなものが、なかなか見つけられなくて。

—その後、クレヨンづくりへのチャレンジをおひとりでなさっている間、お子さんとの生活は経済的にどのように成り立たせていたのでしょう。

朋子さん:保育士をやったり、福祉施設で働いたり、酪農のヘルパーをやったりしていました。

—よく10年も続けていらっしゃいましたね。尊敬します。

朋子さん:片手間だったこともありますが、ひとりでやるから、「クレヨンだから丸くしないと」などということにとらわれて、よけいに時間がかかったんですよ(笑)。

トナカイのクレヨン

これがトナカイのクレヨン。描きごこちも発色もそれぞれ微妙に異なって、愛着がわきます。

販売を始めて知った、このクレヨンを必要としている子どもたち

—販売を始めてみていかがでしたか。

朋子さん:テレビで取り上げられると一気に注文がきて、手づくりなのでなかなか追いつかないくらいになります。しばらくすると静かになって…(笑)。まだまだですが、いろんなお客さんとの出会いのなかには嬉しいことも、それから、「こういうところにも求められているんだ」という発見もあります。

—発見ですか。

朋子さん:うちのクレヨンにはビビッドな原色はなく、各色に「セイヨウタンポポ」「ザクロ」など、由来となる原料の名称を記しているのですが、あるとき、色覚障がいのある子どもさんをお持ちのお母さんからメールをいただきました。一般的なクレヨンは、「赤」「青」といった表記なので、それらの名称と色を結びつけることのできないその方のお子さんは、幼稚園でのお絵描きで、ほかの子とは違う色を選んでしまった。人の髪の毛を紫色に塗ったりしたものだから、先生に怒られて、精神状態を疑われて、それ以来、絵を描かなくなってしまったそうなんです。それが、うちのクレヨンで、「10年ぶりに絵を描いたんです」とメールにありました。りんごの絵だったそうです。

—あぁ、それは嬉しいですね。そうか、小さい頃、クレヨンありきで覚えた色の名前もあるように思います。色覚障がいがあるとそうはならないですものね。幼稚園の先生は、そのお子さんの障がいについて知らなかったのでしょうが、本来は、髪の毛を紫色に塗ったっていいはずですけどね…。

朋子さん:そうなんですよ。太陽は赤なんていうのもそうですが、大人の押しつけだと、私も思っていました。ただ、色覚障がいのことにまで考えが及んでいなかったので、教えられたエピソードです。あと、自閉症の子どもの施設から、絵具はつくれないだろうかと相談を受けたこともあります。口に入れてしまうことがあるので、たとえ飲み込んでも安心な材料でできているものが欲しいと。それも、なるほどなぁと思いました。

—確かにそうですね。絵具といえば、今ちょうど、絵具もつくってるんですよね。

全国から送られてきたお手紙やクレヨン画

入り口の壁には、全国から送られてきたお手紙やクレヨン画が。

モノの持つ物語も、いっしょに届ける

朋子さん:はい、絵具づくりにも着手しています。今は、勤め先を早期退職した夫が工房で奮闘中です。まだまだ色数は多くありませんけれど、クレヨンのときのように長くはかからなさそうです(笑)。

—ご苦労はおありなのでしょうが、朋子さんも、ご主人も、楽しそうに見えます。

朋子さん:そうですね。クレヨンを買ってくださったお客さんに、クレヨン画を送っていただけることがあります。こういうことをしているからこその喜びですよね。最初にクレヨンを買ってくれたお客さんからは、今も毎年ハガキが届くんですよ。

—トナカイさんのクレヨンにしても、絵具にしても、一つのひとつの色に物語がありますよね。安全であるということはもちろん大きな特徴ですが、なかなか、モノが、なにから、どうやってできたのかを考えることがないなかで、それを自然とさせるところ。そこに魅力を感じる人も多いと思います。

朋子さん:それは、常に意識しています。食べ物には気を遣う人も、画材には選択肢もないし、あまり気にされずにきたと思うのです。でも、クレヨンや絵具は子どもの頃に手にするもの。より安心なものを、そして、「フキノトウはこんな植物で、色にするとこんな色になる。不思議だな」「色によって硬さが違うんだな。なぜだろう」なんて、自然のものだからこそ、ただ使うだけではなく、考えられるものであったらいいなと思うんです。これからも、そういうモノをお届けしてゆきたいです。

絵具

敏朗さんが製造に奮闘中の絵具。鬼胡桃の小さな殻を容器にして、そのまま販売します。そのかわいらしさといったら…。

朋子さんと敏朗さんと愛犬プチ

工房で。愛犬プチはシニア犬ですが、抱っこされるのが大好きな甘えん坊なんだそうです。

編集後記

昭和四十年代の建物を改装してつくったというトナカイさんの工房とお店。市街地から離れた場所にぽつんあるその場所には、足を踏み入れたとたん、独特の世界観に包まれます。やさしく、なつかしく、有機的な雰囲気。住所は「虹別(にじべつ)原野」ですから、これはもう、絵本の世界そのものだろうと。朋子さんにべったりだという、甘えん坊の愛犬プチがお出迎え。「こいつ、オレには態度が違うんだ」と言いながら、かわいがる敏朗さん。敏朗さんは結婚してから10kg痩せたそうですが(笑)、おふたりの間には、冗談と笑顔が絶えません。
朋子さんの人生はきっと、たやすいものでなかったに違いないと思います。今こうして、あっけらかんと笑ってお話しされるご様子に、勝手に胸を熱くしてしまいました。こういう人たちが、こういう場所で、こういう生き方をしている。それを知っているだけで、こころが満たされるようでした。(2014年8月取材)

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