キラリと光る会社
今野製作所

株式会社今野製作所

今野製作所イラストイメージ

1961年、東京都北区で医療理化学機器の下請業として創業。1975年に「イーグル」ブランドで、油圧爪つきジャッキを日本で初めて商品化、重量機械の運搬据えつけ作業の負荷を大幅に軽減させ、一躍業界で知られるように。以来、油圧機器事業のほか、量産ができない製品や部品のオーダーメイドに特化した、ステンレス板金加工事業を手がける。また、長年のものづくりの経験を活かして、着脱可能な下肢障がい者用手動運転装置「SWORD(ソード)」を開発。チームワークのサッカー型組織を標榜し、平成24年度の東京都ものづくり人材育成大賞を受賞。
キラリと光る会社第3回は、今野製作所の今野浩好社長にお話をお聞きしました。
今野製作所公式サイト

ケンカがきっかけで誕生した発明品

—今野製作所さんの主力商品、「イーグル」油圧ジャッキは30年以上前に開発されたものなんですね。日本初の商品だったとか。

今野社長:油圧ジャッキ自体は、100年以上前からあったものです。工業用の機械などに対しても使われていましたが、従来のものには決定的に使いづらい点がありました。それを解消するために、「爪つき」ジャッキを開発したのが当社だったんです。今では日本も、そしてアメリカでも、このタイプがスタンダードになっています。

—アメリカでも!すごい発明じゃないですか。

今野社長:発明ですね。だけど、正確にはうちのではなく、運送会社さんの発明です(笑)。もとはといえば、そうした重量機械を運んでいた業者さんの依頼を受けて、一般的な油圧ジャッキを改造し、爪の部分をつくったのが始まりなんです。

—それが大ヒット商品になったわけですね。

今野社長:そうなのですが、最初からうまくいったわけではありません。初回納品分が耐久性の問題で壊れてしまい、 その運送会社さんが怒鳴り込んできた。最初は謝っていたのでしょうが、あまりの剣幕でなじられるものだから、次第にこっちも、「なんだとー!」みたいになって(笑)、ケンカ状態に突入してしまったそう。私の父が社長をしていた、社員が10人もいなかった時代です。町工場として、ものづくりへのプライドがあったのでしょうね、父も「絶対につくってやる!」とムキになったわけです。2~3年にわたり試作を重ねて完成させました。

—今となっては、いいお話ですね。

今野社長:はい。まぁ、父は、変なものを発明しようとしている人だと、地域では笑われていたみたいですけれどね。そのおかげで今の会社があるわけです。

今野社長

今野社長からは、その言葉の端々に、働く人への愛情が感じられた。

町工場をハッピーにしたい

—今野社長ご自身は、大学卒業後、いったん別の会社に就職されていますね。最初から継ぐおつもりだったのでしょうか。

今野社長:大手の工業用ゴム部品メーカーに10年ほど勤めました。その間、今に活かせることの多くを学ばせてもらいましたが、意識するようになったのは本当に後半ですね。就職するときは、家業を継ぐための修行のつもりはありませんでした。

—大手企業から転身されて、どうでしたでしょう。

今野社長:最初はかなり難しかったです。入社したとたんバブルが崩壊して業績が落ち込み、「疫病神」と言われるし(笑)、いろんな勝手が違いすぎて戸惑うことの連続です。組織としてのきちんとした体制もない、マネジメントが確立されているわけもない。とにかく、言葉も通じないところに入ってきた感じでした。一方で、名人芸みたいな職人がいて、その技を目の当たりにしたりにすると、すごいとしか言いようがなかった。つくり方の引き出しをたくさん持っていて、設備や道具がないからできないではなく、あるもので工夫してつくり出すことができます。ここは大企業にはない力 。この人たちが認められないでどうする、という思いにかられました。中小の製造業がハッピーにならなくてはいけないと思いましたね。

—ハッピーにならなくてはいけないと。

今野社長:製造業が海外に安い人件費を求める流れは、今や止めることができません。しかし、これほどのものづくりの技術を持つ製造業は、日本をおいてほかにないはずなんです。それを継承し、時代が変化しても、新しい世の中で必要とされるものをつくり続けることで、相応に認められる業態を実現しないといけない。コスト追求による作業標準化が進められてきたことで、ラインで働く人は誰にでもとってかわることのできる作業を無個性に行うのみで、創意工夫は要らなくなりました。世の中、人間に依存しない方向をめざしているようですが、これでは結局、私たち人間自身がおかしくなってしまいます。

職人さんたち

若手からベテランまで揃った職人さんたち。笑顔から社風が伝わる。

本当の仕事は、「人にしかできない仕事」

—日本の、というか、資本主義経済のジレンマですね。

今野社長:まさにそうです。しかし、それに文句を言っていても始まらないし、そんな余裕もありません。私は、つくり手のクリエイティビティを必要とする仕事こそが、本当の仕事だと思っています。ただし、そこにきちんとした対価を生じさせるために、認めてもらうためのサービスも必要です。ここもまた、人にしかできない仕事。人が人と向き合ってする、もうひとつの本当の仕事ですよね。町工場は、これが苦手なんですよ。コミュニケーションはとにかく苦手で。

—なるほど。町工場はコミュニケーションが苦手ですか。

今野社長:技の伝承も、上の世代の職人は体で覚えている分、伝えるのが難しいです。これが外向きのコミュニケーションになるとさらに大変。話す、書く、どちらもどうなってるんだと思うほどメタメタですね(笑)。基礎のない人間が集まっているので!それでも、こういうと気恥ずかしいのですが、うちの一番の財産はやっぱり人なんです。自分を含め、たいした人もいないけど(笑)、かけがえのないチームです。

—「サッカー型」組織を標榜していらっしゃるのですものね。それで都の人材育成の賞も受賞されている。

今野社長:実は当初は、「ジャズバンド型」組織と言いたかったんですよ。私は学生時代、早稲田大学の「モダンジャズ研究会」というサークルに所属していました。ジャズバンドは即興が身上です。ほかの楽器の音や、聴衆の反応などに刺激され、一体となりながらも個性を生かし合う。その感覚を知っていたので、ぴったりの表現だと思ったのですが、一般には伝わりにくいですよね。だから「サッカー型」としました。チームワークって、響きはいいですけれど、実際には煩わしいものです。ひとりでやったほうが、たいていのことはやりやすい。だけど結局どんな人にだって、ひとりでやれることには限界があるし、ましてやうちのように、しょうもないような人間の集まり であれば(笑)、チームとしての力を上げていくほかにないですよね。

職人さん

ものをつくる人の姿には、なにか胸を打つものがあると思う。

福祉機器の開発に、新たな活路を

—新たに出された障がい者用の携帯型手動運転装置、「SWORD(ソード)」は、これまで御社が手がけていらしたような業務用の製品ではないですし、分野としても新しいですね。

今野社長:これも、障がいを持つ当事者の方のアイデアがあって、開発に着手したものです。その方は子どもの頃から車椅子生活でしたが、今は会社を経営されています。SWORDには共同で特許を取りました。足の不自由な方が車を運転する場合、一般には車の改造が必要です。着脱、携帯ができるSWORDがあれば、専用の車両でなくても運転ができます。

—すごく画期的だと思いました。車両を改造すると、家族内で健常者と障がい者が同じ車をシェアできないですものね。改造する際にもですが、そういう点でも費用がかさんでしまいます。

今野社長:そうなんです。そうした理由で運転をあきらめている方が非常に多いと聞きました。専用の車両でなくても良いのであれば、レンタカーも運転できるから、旅先での自由度も上がります。考えるほどに、これはつくるべきものだと考えるようになり、10年かけて商品化しました。

—ユーザーからの反応はいかがですか。

今野社長:お陰さまで、すごく喜ばれています。障がいをお持ちの方は、助けてもらう立場になることが多いですし、外出の際も、まだまだ物心ともにバリアが解消されていない日本で、肩身の狭い思いをされているのが実情です。SWORDで自由に出かけられるようになり、「羽が生えたようだ」とおっしゃる方もいました。これは本当に嬉しいことです。

—まだ存在を知らない方にも、行き渡ると良いですね。

今野社長:販売を始めたばかりで、わずかな台数しか販売できていませんが、今後普及させていきたいです。また、現在は約18万円するので、量産せずして価格を下げることが次なる目標ですね。

—さらなる創意工夫によってコストダウンですか。

今野社長:はい、なんとかもう少し手頃にできるようにチャレンジしたい。ポイントは量産せずに、です。いっぱいつくちゃったからには売る、みたいな製品ではないし、そういう時代でもないと思っていますから。これに限らず、営業にノルマを課して、なんでもがむしゃらに売らせるようなことは、売る側にも買う側にも、地球環境の面からも無理がありますよね。SWORDは、誇りとやりがいを持ってつくり、売ることができる商品なので、幸い社員のモチベーションも高い。やって良かったと思っています。

—長く培ってきたものづくりのノウハウで、社会的な課題の解決にも役立つ。今野製作所さんのこれからが楽しみです。

今野社長:リーマンショック以降、驚くほど仕事がなくなって、苦しい時期が続きました。今までと同じことを、今まで以上に頑張ってもダメ。生き残り、町工場のものづくりを守っていくためには、新しい価値をつくり出していく必要があります。正念場ですね。

SWORD

10年かけて商品化した「SWORD」。求めている人の元で活用が進むよう、願わずにはいられない。

今野社長

ステンレスは冷たいけれど、今野製作所はあったかかった!

イチオシ 今野製作所のじまんの人 陳貴光さん 今川祥太朗さん
陳さん(左)さんと今川さん(右)

都立航空高専ロボット工学科を一年違いで卒業したおふたり。今野社長曰く、陳さん(左)は「ゆるキャラみたいな癒し系」今川さん(右)は「もっとふざけてもいいくらい真面目」。趣味はふたりとも「模型づくり」。町工場の期待の星です。

陳さん:高専で学び、ずっと、ものをつくる仕事に就きたいと思ってきました。仕事でやっていても、ものづくりはやっぱり楽しいです。今野製作所は、アットホームで居心地の良い会社だと思います。一からつくり、できあがるまでの過程から最終形まで見ることができるのも、やりがいになります。少人数で人との距離が近いので、わからないことも聞きやすいのですが、まだ先輩に頼りっぱなしなので、もっと成長したいです。いつか自分にしかできないようなものをつくれるようになることが、今のところの夢です。

今川さん:就職する前、イメージしていた工場での仕事はライン作業だったので、ここでは自分でなんでもやるのが、大変だけれど楽しいです。うまくつくれるよう自分で考えながらする作業が好きで、仕事が終わってからも、工場で端材を使って練習したりもしているのですが、大きな会社だとそんなこともできなかったと思います。おおらかで自由にやらせてくれるだけではなく、人を育てようという気持ちもすごく感じるので、この会社に入って良かったです。ここにくるような仕事は、どんなものでもこなせる職人になりたいです。

編集後記

二十歳を過ぎたばかりの若き職人おふたりのお話を聞きして、今野社長が大切にしていることがちゃんと伝わっていると感じて、じーんときました。それはもしかしたら、伝え、伝わる以前に、普遍的なものであるからかもしれませんが、本気で実践しようとしている経営者は多くないと思います。逆に、日本を支えていた製造業で、人にしかできない「本当の仕事」を担っている人は、今では少数派なのかと思うと、やるせない気持ちがします。職場での自分の10年後の姿を描いて、そこに夢を語る若者ってどれだけいるでしょう。陳さんと、今川さんの口からは、そういう話が出てきました。同じ年頃のときの自分はどうだったろうと思うと、感心し、うらやましくもなりました。
SWORDは、地雷被害で足を失った人たちがいる国にも紹介したいそうです。実現すれば、ますます日本のものづくりが誇らしいです。
関係ありませんが、NHKのニュースウォッチ9を知っている方、今野社長は大越キャスターにそっくりなんです!年代も同じで、実際、言われるらしいです。フフフ。私は取材以来、大越キャスターに妙に親近感を覚えております。(2014年3月取材)

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