キラリと光る会社
タルマーリ― ありかたを問い続ける。不器用なほどに妥協しない、パン屋夫婦の求める道とは

タルマーリー

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著書『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』(講談社)が、2013年に出版されて以来、日本だけでなく韓国でも売れているらしい。資本主義経済の矛盾に飲み込まれ、抜け出して、あらたなあり方の実践のために歩み始めた、渡邉格(いたる)・麻里子夫妻の営むパン屋さんが、その“田舎のパン屋”です。イタルとマリコでタルマーリー。おふたりとも東京出身で、最初は千葉県いすみ市に移住して田舎のパン屋となり、東日本大震災を機に岡山県真庭市のそれとなり、現在の鳥取県智頭町では、広々と気持ちのいいビアカフェにバージョンアップ。パン同様に自家製酵母だけで発酵させる素晴らしいビールもつくっています。ソフトな革命家(もちろん非暴力!)のようなおふたりは、飲んべえ夫婦でもあります。

タルマーリー公式サイト

思いは変わらないけど、アプローチのしかたが変わった

—おふたりを知ったのは、タルマーリーが千葉のいすみ市で、知る人ぞ知るパン屋さんだった時代です。2009年くらいでしょうか。あれから、そう長くはない月日の中で二度の移転・移住ですから、すごい変化ですよね…。

格さん:初めてお会いしたのはタルマーリーを始めて2年目くらいのときですよね。いやぁ、それはもう、すごい変化です。

—いすみ市でパン屋さんを始めたこと、再移住で中国地方にいらしたことの経緯や思いは、メディアにもよくご登場されていることですし、ご著書にも詳しいのでそちらに譲りますが、大変なご苦労があったと思います。でも、現在いらっしゃる鳥取県智頭町で再会して一番強く感じたのは、おふたりの印象が「やわらかくなったこと」なのですけれど、違いますか?

格さん:そうだと思います。以前はもっと、“社会変革”を目指していましたね。激しいことを言っていた時期もあります。ふたりとも根本的なところはそう変わってはいないのですけれど、アプローチが変わったと思います。今は、普遍的な仕事のしかただったり、家族との時間だったり、そうした豊かさをじっくり見つめるようにしています。以前のように、力任せにこじ開けようとすることもなくなりました。

麻里子さん:千葉時代、…岡山時代もそうですが、余裕がなかったんですね。般若みたいな顔してたと思いますよ。理念を共有したいという思いだけは強くて、自分で自分をアウェイにしてました。スタッフとの意識合わせに偏って気合を入れすぎてしまった経験から、いくら理念に共感してもらえても、体を動かしてもらえないとどうしようもないということも学んできました。やっと肩の力が抜けてきて、そろそろ初老の域ですよ(笑)。

タルマーリ―の渡邉格(いたる)・麻里子夫妻

智頭町にあるタルマーリーのカフェの店内で、絵になるおふたり。

しがみつく人が迷惑かける。いかに手放せるか

—あはは。いや、私などが言うのもおこがましいのですけれど、やわらかくなったと言っても、丸くおとなしくなったのとは違って、安定感が増して強くなられた感じというか。ではきっと、おふたり自身、今がより無理がなくて、幸せなのかなぁと。

格さん:そうですね。強くなったというのも、当てはまると思います。怖いものないですもん。パンにしてもビールにしても、これまでそれなりに努力をして、生産手段も、技術も手に入れてきました。財産ですよね。でも、こうした、ある種の成功体験のようなものをいかに捨てるかなんじゃないかと思っているんです。怖がらず、手放せる自分であることのほうがもっと財産。だってそうなれたなら本当に怖いものなしでしょう。世の中、政治でも企業でも、しがみつく人が迷惑かけるんですよ。だから、ちゃんと手放せる自分でいられることは大事だと思います。

—説得力あります。軌道に乗ってきたころ新天地に旅立つ選択を二度繰り返してるタルマーリーならではのリアリティ。かっこいい。

格さん:頭のいい人たちにたくさん会ってきたんですよ。相対的に自分のできなさ加減が身にしみて、自分を知ったというのでしょうか。それによって、ある意味僕が僕でなくなりました。自意識がなくなったんです。パンで表現して、世の中のちょっとしたことに役立ちたいほかに欲はなくなりました。なんでも、やり切るとそうなるんじゃないですかね。中途半端ではダメです。やり切ると、明確に自分に必要なものがわかるようになります。あとは自然の声に身を委ねて、自然の法則に従う。

地元の薪で焼くピッツァ

地元の薪で焼くピッツァもまた、ほかでは味わえない滋味深さ。

しんどかった。タルマーリーの歴史は夫婦の歴史

—すごいなぁ。そうゆう境地にいたるまでの努力があってこそですよね。「やり切る」って、なかなか言えるものではありません。

格さん:がむしゃらでした。今のように思えるまで、10年はかかったんじゃないかなぁ。ほんの最近まで、どこか自信がなくて、元気もなくて。自分は人間としてダメだと思ってたんですよ。本当に鬱っぽいときもありました。

—そんなことをお聞きすると、なおさらすごいなぁって思います。そうゆう10年を過ごしてきたって、簡単なことじゃないです。それから、そんな格さんの隣にいた麻里子さんも、すごい頑張ったんだろうなぁって。

麻里子さん:夫婦じゃなかったら投げ出してたかもしれません。でも、やっと出会ったころの、本来の姿に戻ってくれました。

—しんどい人と一緒にいる人もしんどいですよね。麻里子さん、立派ですよ。だからなんだと思います。夫婦だからこそなのか家族だからこそなのかの強さも、にじみ出ている気がします。そんな関係性をつくり上げてこられたところが本当に立派。

麻里子さん:しんどかったですよ…。こうして店をやっていると四六時中一緒で、「夫婦一緒に仕事なんてありえない」と言う人もいます。でも、それのいいところもあるんですよね。

格さん:慣れてしまったので、一緒にいないと変です。昔の人ってこうやって夫婦でやってましたよね。パン屋の仕事は、頭だけじゃできない昔仕事ですしね。強いといえば、彼女は、ますます、どんどん強くなってますよ。

麻里子さん:そんなわけない。「強い妻」を流布するのは本当にやめてほしいです。いや、ふたりとももともと我(が)は強いんですよ。でも私は年下だし、パンづくりの経験もないし、だから何事も格にお伺い立てて…その実一歩も二歩も引いてきたんです。ここへきてやっと、お伺いを立てなくても判断していい部分が増えてきて、それも、楽になったひとつの要因です。

—きっと、見えない歴史とドラマがたくさんあるんですね。志を変えず努力をし続けてきたおふたりが、だんだん楽になってゆく姿というのはでも、希望です。

タルマーリ―の外観

外観。山あいの町の、かつて保育園だった建物が生まれ変わった。

楽になって、パンの味も丸くなった

麻里子さん:なによりパン屋の経営が大変だったんですよね。いまは保存のきくビールもあるし、カフェをやってるからぜんぜん違います。うちみたいなパン屋だと、製造スタッフを育てるってカフェのスタッフのそれよりはるかにむずかしいんですよ。そこもずっと課題でした。通販をしなくなって、出荷に割かれる時間がなくなったのも大きいです。営業日が週に4日でも、以前はちっとも休めませんでした。

格さん:ここ、智頭町の環境もありますが、そうした諸々もあって、パンの味も丸くなりました。

—つくっているパンの種類も違いますよね?

格さん:そうなんです。つくり方をまるっきり変えて、今はタイプの違うパンをつくってるんです。

—つくり方をまるっきり変えた?

格さん:ええ、製法が全然違うので、つくっているものも別物です。智頭町での一ヶ月くらいは苦労しましたね。その日のパンが全滅したこともありますから。

—えええぇー…。

麻里子さん:そのころおしゃれな本に取材していただいたのですが、取材当日に全滅で(笑)。「うち、失敗するパン屋なんで」って。

—あはは。…って、笑いごとではないと思いますけど、そうまでしてなにをどのように変えるチャレンジをしたんですか?

格さん:以前はパンによって使う酵母を選んでいたのですが、今の製法では、どのパンにも複数の酵母を使ってるんです。例えば、発酵させるための酵母、酸味を出すための酵母、それらの酵母を活かすためのサポート役の酵母、といった具合にです。ひとつのパンに2、3種類使うんです。

「蛇口からビール」の夢は実現。これからも究極を目指す!

—素人には想像が及びませんが、それでも聞いているだけでワクワクしてしまう菌の世界。ワンダーランドじゃないですか。見ている世界が違うんだろうなぁ。酵母といえば、ビール!ビールもびっくりです。野生酵母のビール、なんというかもう、急に長嶋茂雄みたいですが、ビューティフルです…。

格さん:でしょう(笑)。僕ら夫婦にしたら夢の「蛇口からビール」生活ですよ。

—確かに!

麻里子さん:憧れが実現ですよ。それに、地元の人の飲み会でも使ってもらえるでしょ。そうした利用のされ方はパン屋だけだと無理だったから、地元の人との距離が縮まってうれしいです。

格さん:ただひとつ問題は、僕らが酔っ払ってる時間が長いことですね。お店を閉める夕方5時くらいからぼちぼち飲み始めて、ついつい進んじゃうんですよ、これが。

—そのノリもまたいいですね。今の世の中に対するアンチテーゼを表現し続けるタルマーリーらしくていいです。これからの目標はありますか。

麻里子さん:夢が形になった感覚はありますね。でもここからさらに、地元の、里山の資源があってこそできる地域内循環を形にしてゆくことを目指したいです。ここでつくられた農産物を使い、ここの山からの薪を使い、ここの菌を使って。まだまだ、もっと実現していきたいです。

格さん:僕の人生、お金基準だったことがないんです。お金がないと、どうひまつぶしするかですよ。人生ひまつぶし。生きてる限りはひまをつぶし続けるために、むずかしい製法を追及するんです。究極のものをつくるためにやってきましたから、それまで死ねませんよ!

自家製ビール

智頭町の天然水と野生酵母で仕込まれる自家製ビールが数種類。クラフトビール流行りの昨今にあって、別格のおいしさ。

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編集後記

二度ほどお邪魔していますが、智頭町のタルマーリー、すごいですよ。なにがすごいって、全部(笑)。まず、そのたたずまいや空間に、清らかな空気をまとっているというか…これは実際、山あいの空気のおいしいところにあるので事実だと思うのですけれど、それ以上に。パンも、カフェで食べられる料理も、ビールも、すべて清らかなまま体に入ってくる気がします。そんなお店にあって、店主夫妻がちょっとパンクで飲んべえで、ときどき毒舌なところのギャップがとても好きです。おふたりのお子さんがまた素敵で、上のモコちゃん(女の子)なんて、なんというか「カッコいい」んです。家族だなぁと、他人事のようではいけないのですけれど、そう感じさせます。こうしたお店が成功してモデルとなってゆくのは素晴らしいですが、タルマーリーは渡邉家の完全オリジナルだと思います!(2016年3月取材)

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